今回はたまたま当時中学2年生で学徒動員により中島飛行機で働いており、この浅川地下壕で終戦を迎えた方が来て貴重なお話が聞けました。
- 週に5日、中島飛行機で働いていた。一日だけ授業を受けた(ということは日曜日はお休みできたようだ)
- 通勤で中央線を使っていたが空襲警報が鳴ると電車が止まるので、そのたびに多摩川に泳ぎにいっていた
- 昼は配給で握り飯がでた。たまに赤い握り飯があるので赤飯かと思って嬉しがってよくみたら、違った
- 夜は雑炊みたいなものをよく食べていた
- 浅川地下壕では大八車に荷物を載せて、外に運び出す作業をしていた
- 床がでこぼこしているので、よくひっくりかえった
- 玉音放送は山間のためラジオの音が悪くて何言っているかわからなかった(終戦なのか、まだまだやるのか)
予想どおりなんですが、戦時中を知る方は戦時中の出来事を本当に普通の日常としてお話されます。そこにはイデオロギーとか、プロパガンダとかない、素の中学2年生の日常が蘇ります。
写真が以下に続きます。