3月31日(水)雨のち曇り
すごいぞ! VAIOシリーズ!
ほぼ2年ぶりにメインマシンを変更した。いままで使っていたマシンは初代VAIO, PCV-T700MR。これは Pentium II 266MHzをはじめて搭載したマシンで、売りはビデオ入出力端子CD-Rを使い、VideoCDが焼けるという、編集指向のもの。その後のVAIOシリーズの変遷を見ればわかるとおり、VAIOのVAIOたる位置づけを決定付けた初代機である。
しかーし、このマシン、ちょいと時機尚早だった。たとえばチップセット。Pentium IIを活かしきれない 440LX、いったいどうやってみるんだ VideoCDとか、値段が50万以上して高すぎるぞとか、いいんだけど、悪いところもたっくさんあって、非常に評価しずらい。とゆーか、まあよくなんだよね、きっと。MPEG1を使ったビデオ編集はそのフォーマットから好きな位置で切れないとか、ABロールのトランジション(効果)がつけられないとか、編集機として中途半端すぎたのが非常によくなく、50万以上の高価格に対して余りユーザーの満足度は高くなかったわけだ。
その後 S720シリーズにいたるまでどんどんと高画質化、編集ソフトは高機能、業界標準、単体でかうと10万くらいするぞというAdobe Premireのフルバージョンをバンドルするなど正統に進化した。まあこれが VAIOデスクトップのただしい進化の仕方だ。
しかし、だがどうだ。ビデオ編集したりしない人にとって、この機能は無用の長物、そんなボードやら、ソフトやらいらないから安くて、使いやすいものが欲しい。シンプルなデスクトップが欲しい。S620シリーズや COMPOシリーズがそういう感じなのだが、どうも廉価版という感じが否めないし、なんで今更ディスプレイ付属なんだ。しかもCPDシリーズ。確かに業界の中ではよいモニタとされているが、自分のように一日中モニタを見続ける人にとって、CPDシリーズは役不足。GDMシリーズが欲しいところだ。そういうところでも廉価というイメージになってしまう。
そ・こ・で! ようやく出ました、真打のVAIOデスクトップ。そう、それがLシリーズだ。まずすばらしいのはそのデザイン。まさにスマートデスクトップ。エッジがたっていて、それを台形にカットする手法、そしてツートーンのカラーリング、独創的なキーボードカバーなど、非常に堂々とした新シリーズ。液晶ディスプレイはスピーカー内臓で、本体とはケーブル1本ですっきり接続。キーボード、マウスも1本のケーブルで接続しており、構成がシンプルだ。そしてなにより、モデル最高峰には Pentium III 500MHzを採用。事実上、VAIOシリーズの中で最速マシンなのだ。スマートなデザインで最高の処理能力。そして省スペース、統一感のあるエッジなデザイン。これはまさにスマッシュヒットでしょう、ということで、この PCV-L700/BPに2年ぶりにチェンジしたのでした。
もちろんメモリは内臓64MBを人にあげて、128MBを2つ搭載、256MBに。快適、快速。結構くる人くる人、「いいねー」と羨んでくれるのが、ちょっぴり快感。やっぱ最新マシンであこがれのマシンはいいね。
それはガンダム
さて、このLシリーズのデザイン。どことなくわれわれの琴線に触れる。それは何か。ガンダムなんだよね。初代ガンダムのデザインの直線と曲面の使い方に非常にオーバーラップしているのだ。たとえば平面と平面のつなぎめを台形にカットする手法。これはガンダムの基本的な立体の作り方だ。たとえば胴体の赤い部分だったり、腕だったり。そしてカラーリングは同系色のツートーン。同系色のツートーンはザクやゲルググに代表される、モビルスーツの基本的カラーリング手法だ。そしてなにより、半分におれるキーボードカバーや、キーボードをすっきりと液晶ディスプレイの下に押し込めるなど、合体変形な雰囲気も醸し出している。これはガンダム世代やサンダーバード世代には堪えられない。事実、このLシリーズは男性はかなりシニアな世代に売れているという。
それはX68000
ガンダムデザインということはおいといても、Lシリーズを純粋にコンピュータとしてみたときに、その姿はかの名機、X68000シリーズに非常に似ている。マンハッタンシェイプといわれたツインタワー構造の縦置きコンピュータX68000はその名前のとおり、 MPUにモトローラ 68000 10MHzを採用、メインメモリ 1/2MBのマシン。当時国産機としては珍しくマウスを標準採用し、しかもそれはスイッチひとつでトラックボールにもなるという、ある意味「いっちゃった」マシンだった。主流のPC98に対する、マイナーなX68000。もちろんユーザーも「いっちゃった」人たちがおおく、ご多分に漏れず自分もそうなのだが、逆にX68000独特の文化を育んでいった。
とまあそれはそれとして、Lシリーズはこの X68000の佇まいに似ている。特にデザイン上憧れの Compactに似ているのだね。すっきりした縦置きフェイス、フロッピーはやはり縦にささないとね。縦置きマシンは数多くあるものの、中央にラインをひくことでより薄く、ツインタワーのX68000の雰囲気を醸しているのがLシリーズのデザインのポイント。
それでも・・・
とまあ非常にお気に入りのLシリーズなのだが、いくつか気に入らないところがある。それは、まずキーボードのタッチ。今時のキーボードはほとんどそうなのだが、メカニカルスイッチを廃し、TVのリモコンと同じく、導電ゴムシートを使ったタイプなのだ。なのでタッチはゴムでフニャフニャ。音は静かでまあいいんだけど、ストローク反力や、節度間はやはり劣る。そして仕方ないのだが、106キーボードであるということにより、CTRLキーが左下の押せない位置にあるということ。いまだに emacs配列で WzEditorを使っている自分として、一切使わないCAPSキーが小指の押しやすい位置にあり、CTRLキーが押せない位置にあるのは許せない。同じ理由で、ESCキーが左上に追いやられているのもだめ。
つぎに問題なのは、デザイン上大きな印象を作り出している液晶ディスプレイ。綺麗だし、はっきりしているのだが、解像度が 1024x768なのだよ。ここ3年ほど 1280x1024で仕事しているおかげで、1024x768は狭いの一言。普通にメールみて、WEBみてというのなら十二分なんだけど、ホームページを5個ひらき、さらにワード開いて、エディタを3枚開いて、FreeHand開いて、PhotoShopを開くようなことをしている自分にとって、1280x1024でも狭いくらい。ほんとは1600x1200がいいのだけど、20インチモニタでは細かすぎて目に悪いので我慢している。なので、今更 1024x768はメインマシンとしては厳しいのだ。
となるとさて、どうなるんだ? この液晶モニタをやめて、トリニトロンディスプレイに、キーボードカバーつきキーボードをやめて、AXキーボードにするしかない。となると、、、せっかくのLシリーズのスマートデザインがだいなしじゃぁぁぁぁ・・・
さらに問題なのは、マウス。キーボードをかえると、PS/2マウスをつけるコネクタがなくなっちゃうのだ。というのは、本体にはキーボード・マウス共通端子が一つしかなく、キーボードにマウス端子がついているからだ。なのでキーボードをほかのにかえると、キーボード、マウス分岐コネクタを使うか、USBマウスにするしかない。幸いVAIOにはホイールつきUSBマウスがラインナップされている。それを使えばいいのだ・・・と思い、課長から借りて、裏をみると、、、
ボールが下についてるううううぅぅぅぅ
標準装備のマウスと同じようなデザインのくせに、なんと肝心要のボールがついている位置が手首よりになっているのだ。手首よりになっていると細かい操作をするのに、指先でなく手首を使うことになり、手首への負担が増加する。ひいては腱鞘炎の原因ともなりかねないじゃないかあぁぁ、って、それは大袈裟だが、端的にいうと自分には使いづらい。即捨て。マウスは表面じゃ判断してはいけない、ちゃんと裏をみたいとねえ。一番好きなのはマイクロソフトの茄子マウスなんだけどねえ。あれが一番手や指に力を入れずにマウスが操作できるから。
もっとこだわろうよ
あまりにも人間の手に、体にふれるものの作りがゾンザイだ。小学生になったとき、はじめに習うのは鉛筆の持ち方であり、正しい姿勢で、正しい椅子の座り方や調整方法だ。勉強机の売りは体の成長に合わせた幅広い調整だったりする。なのにどうして、キーボードやマウスはデザインばかりが偏重され、体へのフィットを考えられないのだろう。だいたい小学生とお相撲さんのように体格が違うひとが同じキーボード、同じマウスでいいわけがないでしょう。服だって、フリーサイズのTシャツが着れるだろうか? 吊るしのスーツがそのまま着れるだろうか?答えはおのずとわかっているので、割愛。
提案としてはキーボードはキーピッチによりSサイズ、Mサイズ、Lサイズを用意すべき。そしてマウスも然り。キー配列はユーザー定義にするツールがあるからまあいいんだけど、問題はキートップに印刷されている文字と不整合がおきる点。そこで、キーボードの各キートップの中に液晶かLEDを仕込み、今押すと入力される文字を表示しよう。シフトをおせば大文字になったり、かなモードにすればかなを表示すればモードを間違えて押すこともない。確かにディスプレイみればわかるんだけど、タッチタイピングできない人はキーをみて打つわけだし、その間はディスプレイは見れない。
ん、コスト? 確かにね、コストは問題だ。でもねえ、差別化できないこのPC業界で差別化する一つの方法だと思うね。ならキーボード打たずに声で入力しようだって?ふふーん、皆さん 一度 ViaVoice98をやって欲しいね。ボイスは結構きついよ。なにがきついってエンロールメントという、学習させるところね。PC相手に何時間も朗読するんだよ。自分は語りべじゃないんだから、そんなに読めないよーっていう気になっちゃってめげる。それにそれをやったからといって、認識率は100%じゃないしね。結局修正が必要だし、それにはキーボードを使うことになるからね。まだもうちょいかかるよ。どらえもんなみの音声認識はまだ先のようだ。
3月 27日(土)雨
メールマガジンっ再び?
ちょっとためしに、メールマガジンなぞをやってみようかと思いついた。このトップページの内容を更新した日にメールにて送るメールマガジン。
もし 自分のメールアドレスを公開してもよくって、広告のダイレクトメールが送られてきてもよくて、このホームページを見にくるより、メールで送ってもらうほうがいいなーなんて考えている人がいたら、一番下のフォームで申し込んでみてね。
ただし、今回使った無料メールマガジンはできたばかりなのと、マスコットキャラがかわいくないのと、システムが準備中だわ、確認メールが文字化けしてるとか、ボロボロなのでしばらくしたら辞めちゃうかもしれません。それでも良かったらね。
そんなところ、どーしてわざわざ使うの?という疑問があるでしょうが、それはそれ、やってみないとわからないからね。敵状視察よ。それにつきあってくださる方募集です。
しまったぁーーーーーっ!
家でのマシン、つまりホームマシン の PCG-505EXがだんだんとおかしくなってきた。赤外線通信はできない、音はでず、HDDの容量は足りなくなってきた。仕方ないので、はじめてリカバリすることに。メールとデータのバックアップをとって、リカバリCDをセットし、気持ちよくHDをフォーマットし、OSを再インストール。今までずっと培ってきた環境がすっかりとなくなり、また0からのスタート。アプリケーションはインストールしなきゃいけないし、キーボードを 101キーボードにしたり、CTRLとCAPS LOCKを入れ替えたりと大忙し。そんなこんなで、ほぼ復旧したかと思ったのだが、、、、
あるものをバックアップするのを忘れていたのだった。それは IEのブックマーク。はあ。よくいくホームページとか、全部なくなっちまいました。あたた。
でも赤外線通信が復旧したので、ようやく Cyber-shotの画像を取り込めるようになった。なので、ご紹介してなかったものを紹介。これがデロンギのオイルヒーター。AC電源コードが隣の部屋にでているのは、コンセントが足りないため。
しまったぁーーーーーっ!パート2
3/27、本日はパーフェクトグレードシリーズ第2弾、1/60スケール MS-06F ZAKU-IIの発売日。近所のおもちゃ屋で予約できないし、入ってくるかもわからないと聞いたので、渋谷にいく用事があったのでその後にHANDSに寄った。あるかどうかもう、ドキドキしながら、雨の中なぜか足が早まる。なかったらどうしよう、あったら買うよな。でも12000円もすんだよね、ほんとに買っていいのか?いや、これは記念品だし、今後買えなくなっちゃうかもしれなから今買うしかないだろう。しかし買ったとしても本当に作る暇があるのか? いや買ったからにはきっと作るだろう。でもな、英会話スクールにいく暇もないし、作っている暇があったら英会話スクールにいったほうがいいだろう。英会話スクールの代金はそんなプラモデルどこじゃないぞ。でも藤原とうふ店AE86だって、半年かかって作ったことだし、根気よく作ればいいんだよ・・・なんてことを考えていたらすでに HANDSの模型売り場に着いていた。
やっぱHANDSだよ。きっちりとおいてある。しかしたった2箱。しかもその前でカップルが見ている。う、ここでカップルに2箱ゲットされたら、なくなっちゃう、やばい。これはすぐにでも手に取ろう。手に取ったものの、その箱の大きさに圧倒される。しかもこの箱もって、売り場をうろうろできるわけがない。頭をあげると目の前にレジがあり、店員が3人も並んでこっちにみている。ここで箱の大きさと値段の高さにめげて戻すのは男が廃る、この間約1秒、即レジにもっていってしまった。
レジで買ったあと、ようやく緊張がほぐれて少し冷静になってきた。大きな箱を包んでもらい、レジを去りさっきの場所をとおると、なんと3箱になっている。え?? 2 - 1 = 3?? おれって算数もできなくなってしまったのか?? そんなわきゃあない、在庫を出してきたのだ。ちっくしょー、騙された、 かなりの数をストックしているに違いない。ガンプラ世代は1箱とか、2箱とかに非常に弱いのだ。しかもレジの前。ガンプラ世代としては、すぐにお買い上げしてしまうのは長年培った習性に他ならない。
時は西暦1981年
第一次ガンダムブームが到来していた。ガンダムプラモデル、略してガンプラは入荷すれば即売り切れという状態が続いていた。その中、学生は日曜日におもちゃ店、デパートの開店前から並び、開店と同時にダッシュして 希少なガンプラを我先にと買い求めたという。ガンプラであればなんでもよく、 ザクレロだろうと、ムサイだろうが、あれば買ってしまうのであった。開店ダッシュで事故も多発し、新聞にも載るくらいの社会現象となっていた。バンダイが飛躍的に伸びたのはこのガンプラブームでの儲けによるものだといわれている。(昔話モード)
ということなので、ガンプラ世代はどうしても、「ガンプラ」「希少」に弱いのだ。もっと冷静になると、毎週ダイエーやら、イトーヨーカドーに並び、「あそこにはエルメスが入った」とか、「ジオングがあったから買った」とか、情報交換しながら毎週1個以上買う日々が続くと、何十個ものガンプラが部屋に積み重なることになる。さすがに暇な学生とはいえ、毎週プラモを作れるわけもなく、しかもガンプラは綺麗に作るのが非常に面倒なので、ガンプラ赤字状態。結局コレクターとなりはて、友人には100個も作ってないガンプラをもっているやつがいたりなんかした。自分?自分は20個くらい(^^;
ザク
ということで、パーフェクトグレードザクのパッケージ。いっしょに R34GT-Rも買っちまった。このパーツ数でほんとに作れるのかなあ、おれ。
ちなみに、このガンプラ商法でうまくやったのが「たまごっち」。結局ブームが去って、在庫かかえて大変なことになっちゃったらしいけど。おもちゃショーで集中展示してた「だんご3兄弟」のぬいぐるみもタイミング外さずに出せるといいね、バンダイさん。
3月 23日(火)晴
メールマガジンっ?
ちょっとためしに、メールマガジンなぞをやってみようかと思いついた。このトップページの内容を更新した日にメールにて送るメールマガジン。
もし 自分のメールアドレスを公開してもよくって、広告のダイレクトメールが送られてきてもよくて、このホームページを見にくるより、メールで送ってもらうほうがいいなーなんて考えている人がいたら、一番下のフォームで申し込んでみてね。
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そんなところ、どーしてわざわざ使うの?という疑問があるでしょうが、それはそれ、やってみないとわからないからね。敵状視察よ。それにつきあってくださる方募集です。
と思ってフォームはったらうごかねーでやんの、さいてー。削除削除。また今度ね。
なんちゃらVISIONふたたび
おもちゃショーのTOMYブースで参考出品された「なんちゃらVISION」について、少し補足説明しよう。これは世界初、無重力ラジコンと銘打ち、小型(約10cm)の宇宙船の模型を浮遊させ、コントロールできる代物だ。さて、ここでどうやって無重力を実現したのか?という疑問が生じる。浮遊するには例えばヘリコプターや飛行機のように揚力を使う方法、熱気球やヘリウムガスの浮力を使ったものがある。しかし今回のはそのいずれでもない。TOMYはこのラジコンを実現するのに、密かに無重力装置の開発を進めていたのだ。しかしさすがにそれは実現できず、残念ながら開発は中止し、そのかわり NASAでも使われているものを使う事にしたという。そして宇宙と同じく真空に対応するため完全密閉型にしたという。さてそれはなにか?
それは浮力である。え、気球じゃないといってたじゃないのという貴方、そう、浮力は別に空気中のものだけではない。なんと水中なのだ。NASAでも無重力訓練は水中で行うが、それと同じ方法を利用したという。
開発のコンセプトは「宇宙戦艦ヤマトを飛ばせ、スコープドッグをリアルに動かし、その姿を見たい」だったそうな。そのためにまずプールに潜水艦をベースにしたヤマトを沈め、プロポを完全防水として潜ったという。そのヤマトの進む姿に感動してずっと開発を進めてきたらしい。開発は困難をきわめたという。なぜなら、まずプロポが完全防水でも、人間の潜る時間はかぎられるという事。せいぜい数十秒しか潜れず、しかもそのままでは浮いてしまう。そこで同僚に頭を押さえつけてもらうのだが、空気が苦しくなってあがろうとしても、同僚は浮いてきたと思い、ますます押さえつけられたという。つまり開発は命をかけて行われていたのだ。
そして現在の形は熱帯魚をいれるような水槽に、ラジコンの模型を浮力と重力が釣り合うように調整して入れる。プロポはプレステのコントローラのような形で、無線ではなく赤外線を使って信号を飛ばす。バッテリは小型の Ni-Cdを使い、充電は本体から約1分行い、約4分程度もつという。宇宙船のバーナー部分に小型モーターと小さなプロペラがついている。宇宙船はオリジナルで、その開発者自身がデザイン、製作したという。
その浮遊感は非常に独特で、ゆったりと慣性がついて回頭するところはなるほど、無重力空間のようだ。開発者によると、最近のTVゲームは非常に早い動きで、せわしなく、落ち着かない。今まで空中浮遊するラジコンはヘリコプターなどがあったが、コントロールは非常に難しく、浮遊させるのが精一杯、うまくいかないとすぐに落ちて壊れてしまうというものだった。それに対してこれはラジコンは何も操作しなければ、浮遊した状態で静止し、コントロールも楽である。ゆったりとコントロールする楽しみを追求したいとのこと。そして水中であれば、飛行には多少無理な形なものでも浮遊することも、進む事もできるため、好きなロボット、好きな宇宙船を飛ばすことができるわけだ。癒しと懐古と最新鋭、それがこの VISIONである。
まさにオトナのためのマイクロラジコン。子供ばかりのおもちゃショーにあって、子供がよってきてもデモしないという、妙な展示だ。まだまだ防水対策や、コストの問題から販売は検討中ということだったが、是非頑張って欲しいものだ。はやくガンダムやスコープドッグを飛ばしてみたい。
しかしここで重要な問題が。ガンダムはバンダイ、スコープドッグ(ボトムズ)はタカラなんだよね。うーん、TOMYの壁かぁ、なるほど、だからオリジナル宇宙船で頑張っていたのね。
キャラクタ商売と世代
ガンダムは20周年だ。そしてTV新シリーズがはじまる。今日の笑っていいとものゲストは小林亜星、新ガンダム「ターンエーガンダム」の主題歌を作ったとのこと。そして歌うのは西条秀樹だそうだ。デザインはシド・ミードだったり、なんだか巨匠というか、知られた人ばっかりだよね。ちょっと新しい風を感じられないよなあ。
さて、このガンダム、ガンダム世代と呼ばれる人たちはもちろん我々30歳前後の人達のことだ。しかしガンダムシリーズはその後色々な形で展開し、その下の世代も確実にファンがいる。そうでなければバンダイがずっとプラモデルを作り、ゲキタマンとかいってビーダマンみたいなおもちゃにガンダムを使うことはないだろう。ファンの世代拡大、これがキャラクタビジネスのキーだ。
例えばいい例が「ディズニー」だ。ディズニーがテーマパークとして一流なのはもちろん内容が充実しているせいもあるが、その歴史も重要なポイントだ。ミッキーマウスは1920年代に生まれたキャラだ。ディズニーアニメはずっと放映され、おじいちゃんも、おとうさんも、息子も、孫もみんななにかしら見ている。良く考えると、ディズニーが作った物語やキャラクタではないものもたくさん入っているのだが、すべてをひっくるめて「ディズニー」と総称してる。テーマはディズニーそのものではなく、ディズニーが取り扱う物語のテーマを指している。そして世代を超えて、すべての世代が共通にこの物語の体験している。そう、これは「共有体験」に他ならない。共有体験があるからこそ、すべての人はベースを同じくして楽しむことが可能なのだ。
世代をこえて共有体験を得るにはどうすべきか。それはとにかく「同じ物語をずっと続ける」か、「シリーズとしてずっと続ける」必要がある。前者と後者の違いは単純で、前者は「どらえもん」や「さざえさん」であり、後者は「ガンダム」である。どらえもんやさざえさんはとにかく同じキャラクタで、同じ物語がずっと続いている。ガンダムはモビルスーツを軸にした物語で、色々な人に手掛けられ、「ガンダム」という名前がついているものの、テイストはまったく違う。ある意味、後者の「ガンダム」が「ディズニー」に近いといえる。
いずれにせよ「ずっと続ける」とどういう効果があるのか。同じ物語を見て、感じるのは「共有体験」に他ならなく、見たのが場所がどこであろうが、いつだろうが、見た人がどんな人だろうがそれは関係ない。なのでずっと続けることにより、時間軸、ここでは縦軸とするが、縦軸を網羅することができる。
「小学5年生」という本などは非常に端的な世代をターゲットにした雑誌だが、これにとりあげられれば、小学5年生世代はすべて押えられるも同然である。つまり横軸を網羅できる。5年生は次の年、6年生となり、小学5年生は読まない。しかし、同じ物語を取り上げれば、また新しい5年生世代を網羅できるのだ。
では、これをいつまで繰り返せばいいのだろうか。ディズニーは親子何代にもわたっての共有体験となっている。つまり、子供が親になるまで続ければいいのだ。ずばり30年。30年間行えば間違いなく子供はオトナとなり、結婚し、子供が産まれる。子供に与える物語は知らないものより、自分が知っているものの方が理解できるため、与えやすい。あとはこれの繰り返しにより、すべての世代の共有体験となるのだ。
こうして30年間以上もった物語はディズニーのように、テーマパークとして成功する土壌を得ることになる。ガンダムはようやく20年。あと10年もてば確実にブームではなく、定着する。
日本発テーマパーク
日本はグローバルにみれば、漫画の超輸出国である。色々な漫画やアニメが欧米に輸出され、人気を博しているのだ。そんな日本なのに、ディズニーが幅を利かしているのはどうもナットクがいかない(^^) ここは一つ、日本発のテーマパークを企画しよう。
まずは日本を押さえられるだろう、「どらえもんワールド」。アトラクションは例えばスモールライトを使ってミクロアドベンチャーするとか、タイムマシンを使って恐竜時代にいき、ジュラシックパークするとか、西部にいってトロッコ列車にのったり、宇宙にでてスペースマウンテンするとか、ああ、全部パクれるぞ、さすがどらえもん。できないことないな。
世界を制するにはもう日本の漫画、アニメをいっしょくたにして、「東映まんがまつり」みたいなのにしちゃうのが一番だろう。そういうのができるのは出版社かな。
ところでディズニーランドでミッキーやミニーにあえると異常に興奮して喜び、とびついたり、写真とったりする成人女性が数多く見受けられるのだが、それはなんででしょう?みんなミッキーとかってそんなに身近な存在なのかなあ?まあうちらは多分1/1ガンダムやザクがガンダムワールドとかにあったら、そりゃ興奮するだろうけどね(^^) うー、ガンダムワールドできないかな。
3月 20日(土)雨
寒っ
またもや突然寒くなった。せっかくの3連休だってのに、雨、寒、首いた。めげずに生きよう。
おそるべしおもちゃショー
本日は雨の中、お台場は東京ビッグサイトで開催されている東京おもちゃショーへいったきた。目的はウワサの「ファービー」を見るのと、MITの参考出品を見るため。
初めていったのだけど、これは凄い。そんじょそこらのPCなんちゃらショーとか、Windowsなんちゃらエキスポとかなんて目じゃない。まず凄いのは、そのコンパニオンの数の多さ。特にナレーターコンパニオンが多い。ナレーターコンパニオンとは、コンパニオンと違い、マイクをもって説明したり、イベント時の司会をやったりする人のことだ。コンパニオンは若くて、綺麗であればよいが、ナレーターコンパニオンは当然MC原稿を記憶し、歯切れよく、さわやかな弁舌である必要がある。アナウンサーに近いスキルが要求されるので、区別している。どうしてナレーターコンパニオンが多いかというと、とにかく商品が多いのだ。その種類数百から数千はあるかもしれない。なので、その分野にナレーターコンパニオンがつくと、1ブースで数十人ものナレーターコンパニオンがいることになるのだ。
そう、凄いのはコンパニオンの数じゃなく、商品の種類。PCなどは1ブースに数十程度の種類しかないが、ポケモンシリーズとかいうと、1種目で、150種類あり、それが数種目あるだけで一気に数百から数千オーダーにのってしまうのだ。なので、1ブースを見るのが非常に見がいがある。
そしてトドメはバンダイのブースの最後。締めはもちろん「ガンダム」で、今年はガンダム20周年記念、TV新シリーズもやるわ、パーフェクトグレードのザクの参考出品はあるわで、見ごたえありあり。ガンダム世代にはたまらんものばかり。ザクは3/27発売だからね、要チェック。12000円。
このおもちゃショーとにかく、「参考出品」が多い。しかも価格未定。しかもそれは欲しいものばかり。おもちゃというのは、基本的に欲しくなるものばかりで、値段によって買う買わないが決まるものだから、値段設定は非常に重要だ。というか、値段設定により逆に欲しい欲しくないが決定されてしまうくらいなので、参考出品は価格未定なのだろう。ポンプで圧搾空気を作って飛行機のプロペラを回して飛ばす飛行機(バンダイ)や、史上初、無重力ラジコン(TOMY なんちゃらVISION)の参考出品があったりして非常に興味深い。もちろんだんご3兄弟のぬいぐるみ(バンダイ)も、ファービー(TOMY)も大挙して展示してあって、これはもう子供のためのというよりも、はやりオトナのため、商談のため、リサーチのための展示会だね。
今回は時間が短く、あまり見れなくて残念。明日3/21までだったと思うので、見たい人は即Go!
おそるべしパレットタウン
3/19にオープンしたパレットタウンも一応のこのこといって、へろへろと見てまわった。パレットタウンとは、アミューズメント、ショールーム、ライブハウスなどが入った複合施設で、具体的には SNKの NEO GEO WORLD、トヨタの MEGA WEB、オールスタンディング(って普通だけど)のでかいライブハウス Zepp Tokyoなどが入っている。トヨタのは AMLUXのでっかいばんみたいなもので、その中にもアミューズメントが入っていたり、ライドワンといって、200円で好きな車に試乗できるサービスもあったり、規模もサービスもぴかいちだ。一番の問題はトヨタで試乗したいクルマがないってことなんだけど、それはおいといてもディーラーで試乗するともれなくしつこいセールスがついてきたりするから、200円で後腐れなく試乗できるのは嬉しい。
NEO GEO WORLDは雨の中だっていうのに、屋外まで列ができていたので、パス。
ポータルとコンテンツ
なかなかお台場もコンテンツが揃ってきたなというかんじがする。コンテンツがないポータルって有り得ないからねえ、新橋がようやく若者のポータルに成り得るかな。
3月 17日(水)晴
首っ
クビになったわけではない。まあ、こんなことを続けているといつでもクビになっても不思議はないが。突然、首がぐきっといって、痛めてしまったのだ。ムチウチ症と同じ状況で、首を動かせない。なので、メールもホームページもかけなーい状態。なので、また今度。
3月 13日(土)晴
来襲母妹
三寒四温、春の長雨、だんだんと気候が変化をとげる今日のこの頃、そーんな中、妹が3年の海外赴任(?)から帰国することになった。それにともなって、母親まで上京、この1DKの静かな空間がいきなりせからしい(うるさい)空間に変貌をとげた。
何が困るって、やっぱり野間家の人々、なんかネジはずれちゃっている。母親はところ構わず一人でしゃべりくまくっているし、「部屋掃除しないから」といったその日に綺麗にあっちゃこっちゃいじくり倒してくれた。だいたいこれまでの人生、母親が自分の部屋を掃除して感謝されたことがない。なぜか。それは母親の勝手な論理と思い込みで整理したつもりになっているからだ。一見整理されたように見えるものは無秩序に整頓され、どこに何がいったかわからない。しかも整理した当人に聞いてもわからないから始末に困る。結局総当たりで、あっちこっちひっかきまわして探すはめになるのだ。それならまだしも、こっちの大切なものを捨ててみたり、壊してみたり、それはもう、ペットのネコのような立ち振る舞いをする結果となってしまう。なので家に戻った瞬間、「しまったぁーーー!!」と叫び、即座にゴミ捨て場へ直行して捨てられたものがないかどうかチェックする必要があるのだ。
そんなことを幾度も繰り返しているのに、暇なんだろうねえ、必ずやるんだよね。そして今回はネットワークケーブルのコネクタを破壊されてしまった。しかも自覚がないから困る。きっと10baseTのケーブルをなにかに引っかけてばきっとやってしまったんだろうけどね。象が足元の蟻を踏み潰すくらいの自覚がないらしい。そんなわけでちょいと更新が遅れてみたりして(^^;
確定申告
春は確定申告の季節。なんでか98年度は色々な雑多な収入があったので確定申告をすることになった。で、普通に申告するとべらぼーにとられるんだね。知らなかった。まるで50km/hオーバーで捕まって、罰金をとられるくらいショックだ。4月は自動車税とかもくるし、お金がないってのにね。
雑収入があるときは、経費を計上して節税をするものらしい。どうりで皆領収書集めるわけだ。そーんなことを全然知らないから領収書なんて集めてないよ。こういうことこそ義務教育で教えて欲しいよな。知っている人だけ得をするし、お金持ちに有利な構造になっているそうだ。そっか、サラリーマンに甘んじてはいけないな。色々勉強せねば。今回はちょいとお高い勉強代になったようだ。
国語の問題
会社でTOEFLの模擬試験を受けた。今回はじめてのTOEFLなので、少し勉強しようと問題集を買ってきた。TOEICは何度か受けた事があって、それと同じようなもんだろうねえと思っていたのだけど、かなり違う。TOEFLは留学するための語学力を試すもので、会話の理解度を試しているようだ。なのでTOEICよりも会話の速度も速く、設問もひねったものが多い。例えば、
A:「熱の具合はどうだい?」
B:「ええ、おかげさまで」
という会話があり、これは誰と誰の会話でしょうってのが質問。選択肢は「雇用主と雇用者」「会社の同僚」「医者と患者」など。答えは「医者と患者」なのだ。どれもそれなりに当てはまるのだけど、一番相応しく、一般的なものを選ばなきゃいけない。また同じ会話で他の質問として例えば「この会話はどこでかわされているでしょう」ってのがあるとすると、「病院」を選ぶ必要がある。別に道の上で、食堂でも、オフィスでもいいんだろうけど、やはり同じように医者と患者が会話をかわす場所といえば「病院」になるのだ。
一時が万事、こんな問題ばっかり。readingでは、長い文章、なんか新聞の記事や論文みたいなのを読んで、相応しいタイトルはなにかとか、ここの itsは何をさしているとか、作者の意図はなにかとか、それってもう英語の読解じゃなくって、国語の問題だよって感じになる。TOEICでは英語がわかればできるけど、TOEFLは英語が分かって、さらにちゃんと国語ができなきゃいけない、そんな感じ。だから国語が弱い人にはつらいかもねえ。問題としては面白いんだけどね。
謎の妹
妹が今度から勤める場所は、千葉の市原。交通手段はやっぱりクルマだろうということで、クルマを買う事を検討中。妹はとにかく車庫入れが下手で、2台分の駐車スペースがないと駐車ができない。つまり、1台の空きだけだと、隣のクルマにぶつけてしまうのだ。ということで小さなクルマだろうということになった。新車がいいとのことで、候補として トヨタの VITZと、ホンダの LOGOがあがる。
今まで全然 VITZなんて眼中になかったのだが、こうして調べ始めると、なるほど、トヨタとは思えないほどしっかりと作り込んである21世紀カー、ヨーロッパ戦略車だ。100万円のクルマといえば、今まではスターレットなんだけど、スターレットはトヨタの80点主義そのままで、すべてが80点なかんじ、。それに対して VITZはすべてを 100点まであげようという気合が見え隠れする。例えばヨーロッパで通用するデザインであり、軽自動車に匹敵する燃費性能であり、普通車なみの衝突安全性であったり。グレードは色々あるものの、基本的には1デザイン、1エンジン。1000cc 70psの VVT-iエンジン。うー、、非力だ。タイヤ、サスペンションも変わりなく、同じ。ま、ヨーロッパの小型車なんて、だいたいこんなもので、内外装を含めて立派なヨーロッパ車に仕上がっているのが素晴らしい。プジョー106、ルノールーテシア、オペル VITA、フィアットプント、フォルクスワーゲンポロと、ライバルが多々あるものの、エンジンの排気量以外はかなりいけているでしょう。
逆にいうと、ヨーロッパのクルマの場合、排気量クラスってのがなくって、同じボディに様々な排気量のエンジンを載せるのが一般的。1000ccクラスのクルマに 2000ccのエンジンを無理矢理のっけてしまうのとかもありで、それはもうベビーギャングな荒くれマシンの出来上がり。VITZの場合、さすがに1000ccはきついと思うな。まずは1300cc、欲を言えば1600ccくらいのエンジンのっけるとかなり面白いクルマができあがるような気がする。 VITZにそういうベビーギャングなグレードができてくると、まさにヨーロッパ並みになったということだね。だってブジョーなんて、6速マニュアルの設定があったりするくらいだしね。
で、妹に好みをきいてみた。妹いわく、マニュアルがいいとのこと。普通このクラスのクルマはビギナーや女性が多く、ほとんどATなのだ。なので多くのクルマはマニュアルの設定がなくなってきているのだけど、VITZはちゃんとマニュアルがある。しかしリセールバリューを考えると、ちょっとマニュアルはニーズがないだろうねえ。
次にオートエアコンは?ときくと、マニュアルで結構。パワーウィンドウはというと、必要ないとのこと。あれれ。普通の女性が選ぶような装備はいらないらしい。アルミホイールは?エアロは?ときくと、「(運転席に座ると)見えないからいい」とのこと。どうやら見栄えはどうでもいいようだ。走ればいいというウワサもあるが・・・
マニュアルがいいのは、彼女はずっとこの4年ほどマニュアルしか乗ってないからだ。というか、ATに乗った事がない。「ATって、なんだっけ、DとPと2Dがあるんだっけ?」。2DKじゃないんだから、2Dじゃなくって、D2だし、DとPの位置は逆だし、とうか、全然わかってないらしい(^^; あと問題なのは、ずっと左ハンドル右シフトだったので、右ハンドル左シフトに対応できるかという問題。なんか左ハンドル右シフトというと、すっげーかっこよく聞こえるが、単純にデンマークが右側通行だったし、ヨーロッパではマニュアルしかないし、というのが理由。日本でだとかっこいいよねえ。
てなわけで、クルマ選びは続行中。さてどうなることやら。1300ccだったらVITZに即決なのにねえ、、って自分が決めるわけではないけど。
3月 9日(火)雨
場所は大垣、ここは岐阜。遠くには雪に覆われた切り立った山々が見え、平野には畑が広がる、安土桃山時代ゆかりの地。一見何もないこの大地にはこれからの日本を支えるかもしれない可能性とインフラが秘められている、ヒミツ基地なのだ。
OCNを知っているだろうか。OCNとは NTTがはじめたプロバイダ事業みたいなものだが、このOCNを最初にサービスをはじめた場所は 神奈川県藤沢市と、この岐阜県大垣市。はて、どうしてこの2つなの?なーんかおっかしいんじゃないのぉ?と普通の人は思うが、業界の人からは一目瞭然。そう。この藤沢市と大垣市には、共通点があったのだ。藤沢には慶応義塾大学 湘南藤沢キャンパス(略して SFC)、そして大垣には 国際情報科学芸術アカデミー(略して IAMAS)というネットワーク(インターネット)をインフラとした教育機関があったからだ。この二つのキャンパスは、日本離れしたリッチなネットワークインフラをベースに新しい情報、科学、芸術教育を行うのが主旨である。
そんななかで、インターフェース、メディアアート、インタラクションについての展示会が大垣で開かれたわけだ。もうオトナなので、夜行列車には乗らずに、新幹線で大垣へいったきた。
Stream of Consciousness 意識の流れ David Small / Tom White
循環する水の流れとともに落ちてくる文字の列。その文字に光を当てると文字がまるで連想ゲームのように、次々と関連する意味の単語へと変化していく。(パンフレットより)
今回の展示会でいっちゃん気に入ったのがコレ。まずは川の流れと湖をモチーフにした造形が美しく、完成度が高い事。そしてその水の流れにあわせて文字を動かす。くるくると立体的に回し、まるで波間に翻弄されるかの動きを醸し出している。それはまさにリアルの一言。そしてとどめは新開発の液体パドルにより入力装置。 液体パドル(水枕みたいなもの)に手を押し付けると、その圧力により、青い光が発生する。その光を文字にあてると文字は大きさを変え、色を変え、そして他の文字へと分裂することもある。さらにこれは水の流れまで左右し、水の流れに沿えば、早く文字は流れ、逆に動かすと、文字は淀む。液体パドルの不思議な触感と、子供が波間に翻弄される木の葉で遊ぶかのように、時間を忘れ、何も考えずにただ手を動かすのに集中してしまう。ゆっくりと時間をかけてもらいたいためか、ちゃんと木製のベンチまで標準装備だ。
このインスタレーションを 操作していると、なにかの臭いに気付く。あわい刺激臭で、あまり好ましくもないし、逆に嫌な感じもしない。なにかなーと思っていたら、なんとこの特製液体パドル、この中には醤油が入っているのだ。なるほど、醤油原液の臭いであれば、確かに刺激臭だし、かといって嫌な感じでもない。でもどうして醤油なの?
と思い、製作者の Tom Whiteを捕まえて聞いてみた。すると、この液体パドルはしたからビデオカメラで撮影しており、画像処理を行っているとのこと。つまり、手をおしつけられると、白、液体があると黒というふうに、画像処理をしやすいように黒い液体を選んだらしい。じゃあ気の抜けたコーラでもよかったわけね。
MetaField Maze 「からだで探る迷路ゲーム」 Ronald MacNeil / William Keays
床面に立つと、シーソーのように揺れる巨大迷路。バランスをとって、たまをゴールへ導くために、見えない重力場の連想まで必要になるシミュレーション・ゲーム。(パンフレットより)
パンフにはこう書いてあるものの、もっと適切なことばでいってあげよう。マーブルマッドネスと CAMEL TRYを足して、Dance Dance Revolutionだか、ファミリートレーナーで割った感じ。だいたいだなあ、玉が穴に落ちた時の音が「マーブルマッドネス」で玉が落ちて割れる音と一緒なんだよ。まったくもぉ、皆知らないと思ってか、ちゃめっけなのか、なめてるよな。
といいつつ、かなり何回もトライした。非常にわかりやすく、面白い。しかしゲームとしてみると完成度は高くない。ゴールした人がいたが、ゴールしてもなにも起きないから。
VideoPaint Easel 「マジック・キャンバスの肖像」 Daniel Rozin
キャンパスを筆でなぜるだけで、自動生成する肖像画。ポーズをかえたり、遠くの風景を撮り込んだり、カメラで撮り込んだイメージから多重合成の傑作まで自由自在。(パンフレットより)
もぅ、パンフレットの紹介文って、ほんとあてになんないよなあ。 やることを単純に解説するわけでもなく、エッセンスを汲み取ったストーリーでもなく。きっと作者はげんなりすると思うけどな。
やっていることはというと、画像ソース3つ、一つはキャンパスに取り付けられ、筆を持って操作する人を映すカメラ。一つは会場の外に向けられたカメラ。そしてもう一つはTV画像をキャプチャしたもの。この3つの画像ソースをリアルタイムに利用する。ユーザーは絵の具の缶に筆を入れる事で、この画像ソースを選択し、筆でなぞった部分がコラージュ状にオーバーラップするというもの。
とまあいうなればそんだけのことなんだけど、これはもう少し奥深いことがある。まずインターフェース。筆とキャンバス、そして画像ソースの切り替えが絵の具の缶という、非常にオーソドックスで説明の必要のないものを使っているという事。そして画像ソースの意味。これは意識の距離を意味する。つまり別にこれで絵をかこうとか、面白いからとかやっているわけではなく、人間の持っている意識を断片的に飛ばしているのだ。まず自分カメラ。これはそのまま鏡を見たときの自分であり、自分の通常の意識の距離を意味する。次に会場の外に向けられたカメラ。これは自分が入ってきた場所であり、数分前の出来事、もしくはこれから出て行くだろう将来の意識の映像である。そしてTVの映像。TVはまさしく電波で受像する映像であり、その映像はいつどこで誰が作ったかはわからないが、意識の距離は飛躍的に伸びたものである。この意識の距離を mixすることにより、時空を超えた人間の意識を映像化しようとしている、、、そんな風に思えた。
Windgrass「風にそよぐ草」 Elaine Brechin
息を吹きかけると、束ねた線香の火が揺れ動く。見えないインターフェイスの存在が、自然とのやさしい対話を触発する。(パンフレットより)
ほとんどのインターフェースが「触覚」を使ったものであるのに対し、これだけ「息をふきかける」という異色のインターフェースをもつ作品。残念ながら空調の風に邪魔されて、自然との対話はなかなか成り立たないものの、女性らしい、暖かみを感じる。ふーふーするさまは、赤ん坊にごはんを冷まして与えるかのような錯覚を覚える。
ということで、10作品のうちの一部をご紹介。他にも色々な面白いものがあり、岐阜県民には是非見にいってもらいたい。東京からいくべきかって? うーんそれはちょっとねえ。1時間ほどで全部見れちゃうからねえ。
3月 6日(土)晴
こまねずみ生活
人間の心拍数は一分間に60回から150回くらい。緊張したり、カラダに負荷がかかったりすると心拍数はあがる。マラソンなんて、高い心拍数を保ちながら 42.195kmを走りきる競技だともいえる。さて、この心拍数、象の場合はかなり低いらしい。どうも数十くらいしかない。一方小動物、ねずみとかだと数百ほどあるという話だ。心拍数は CPUの動作周波数と同じようなもので、心拍数が高ければ高いほど、機敏な動きをするといえる。
逆に心拍数が高ければ高いほど寿命も短いということも考えられる。哺乳類のカウントできる心拍数は決まっていて、心拍数がある累計まで達すると寿命となるという説もあったような気がする(おいおい)。
それはそうと、最近の自分の生活は以前に増して密度が濃い。まるでこまねずみのように、右へ左へ動き回り、あれやり、これやり、ぼーっとする時間がない。ぼーっとしてないんだけど、たまに空虚に感じることがある。これってなんだろ?
生きている感覚
「生きてるー」という実感を持つ時とはいつだろう。自分の場合は、サーキット、ジムカーナなどでコーナリングが決まった時がその瞬間だ。ぎりぎりのブレーキング、そしてブレーキペダルを少しだけ弱め、タイヤのグリップ力をコーナリングフォースに少しだけ分けてあげ、ハンドルを切ってターンイン。このとき、車の荷重が前荷重からコーナリングの荷重、すなわち外輪へと移り変わる。そしてヨーモーメントが発生、ターンを行う。そしてコーナー出口にめがけ、アクセルオン。このアクセルオンの瞬間からハンドルを戻しきり、コーナーの脱出に向かうまで、このたった1秒ほどの瞬間、自分がこの世の中に実在するという感覚を色濃く持てる。まさにクルマばかの答えだ(^^;
逆にこの世の中に自分が実在しないかもしれないという、不安がよぎるときはいつだろう。それを考えるとおのずと見えてくる。例えば町中で歩いている時、電車に乗っている時。群集に紛れたとき、自分という存在は群集に紛れ、埋没し、1つの存在ではなく、群集を構成する一要素になってしまう。群集の一要素にしか過ぎない存在は、べつになくなっても大筋にはかかわらない、軽微なものとなってしまうのだ。
自分がこの軽微なものへと変わっていく様が感じ取れてしまう、そんな時に不安になるのだろう。これは社会の中、会社の中、友達グループの中、なんでもよい。人が存在する中にいるとき、自分を見失うことができさえすれば、いつでもそうなれるのだ。
群集の中に埋没しながら、軽微な存在にならないためにはどうすればいいのか。どうやったら自分を見失わずに済むのか。それはいつでも自分の絶対的存在、相対的存在を感じ、考え、定めていけばよいだけのこと。まあひらたくいうと「自分は自分」ってことだ。なにかに優れたところを持っていたとすると、他の人と比べると劣っていたとしても全体的にみればやっぱり優秀というところが必ずあるはずだ。それが絶対的価値であり、相対評価すると失いがちな自信を支えることができる。つまり自信をもつこということが大事なのだろう。
のまのやぼう
のまのやぼうの一つ、それはTV CMに自分の作ったものを出す事だ。なーんて考えていたら、あれま、VAIO Lシリーズ(液晶デスクトップ)のCMの中に一瞬だけ出てきてる。うぉーーーー、すげーーーーー。いつの日か自分のもので、15秒CMをジャックしてみたいところだ。
コミュニケーションの質と量
忙しさにかまけて、すっかり電話しない奴になっている自分がここに一人。家の電話なんて、週に一度使えばいいほう。留守電にはなにもメッセージがはいってない。1月に1,2件がいいところ。学生時代は一日に数時間も電話し、夜9時から12時の間に何軒も、それこそ5人くらにははしごで電話していたくらいだ。最長長電話記録は7時間。朝6時半まで電話してたくらい。そんな電話ダイスキだったやつが、このていたらく。携帯の方はといえば、一日に1件程度、それに1回が短く3分くらいだよね。たまに電話すれば、長電話にもなるけど、それにしてもやけに減ったね。
さて、これはどういうことか。まずは E-mailの発達。会社で一日に100件くらいのメール。うち10件くらいが私用のメールかな。それと家では So-netのアカウントのメール。こちらは一日に1,2件程度。そんなに多く感じないんだけど、前の一日5,6人電話していたときに比べれば、コミュニケーションしている相手の数は多いのかもしれない。
それでもなんとなく希薄な感じがするのは、やはりメールのコミュニケーションの質が、電話と比べて高くないんだろう。まず電話のいいところ。まずはリアルタイムに、耳元でささやく肉声。存在感が違うね。つまり本当にいるかのように、受話器は振る舞うのだ。これはいわば、バーチャルリアリティである。逆にいうと、まあ、それだけかねえ。留守番電話というものは、リアルタイムだけだと困るので、ストレージしてしまおうという考えだが、音ってのはどうしても時間軸が同時存在するので、件数が増えると聞くのがかったるーくなり、処理するのに手間がかかってしまう。
一方のメールはといえば、テキスト文字による、ストレージ型。ま、本当に葉書とか、封書と一緒。郵便局(POPサーバー)に取りにいく。見た目は郵便配達屋が届けてくれるように見えるが、ほんとは違う。メールは電報と一緒で、電話ほどリアリティがない。でもそれが逆に「ココロがあるよね」ということにもなり、情緒が生まれる可能性を秘めている。それとテキスト文字がゆえに件数が増えても処理できる量は多い。視覚による処理能力は高く、時間軸には制約されないためだ。
人と人のコミュニケーションを考えると、質、量、ともに必要だ。通常のコミュニケーションを考えるとそれは直接会ったり、話したりが一番効果的で、影響力も強い。次に電話やら、メールやら、ハイテクメディアを使って間接的に行うこともできる。間接的なものが、直接的なものを超えられるのか。それがコミュニケーションと質と量ということになる。
例えば男女がつきあって結婚するということを想定してみよう。普通は出会って、デートを重ねて、ゴールインということになるが、最近はよく「ネットで知り合って」というのを聞く。おいおい、なんでチャットやら、掲示板やら、メールで出会って結婚できるよなーなんて感心するが、実はそうでもないのだ。というのは、ゴールインするのにいくらかのコミュニケーションの絶対量が必要だとすると、それを達成するのに直接あうのは確かに効果的だが、それよりも絶対量が少ない間接的メディアであったとしても数多くやれば、達成できるのだ。つまり、質×量。ま、最終的にはどっかに質の thresholdがあるから直接会う事は必要だが。
今ねらっているのは、いかに質を高く、そして量をこなせるメディア。電話だとつながらないこともある。メールだと必ず読まれるけど相手の反応が今一歩わからない。チャットも同時にやらないと駄目だし、反応がよくわからない。この両方の問題をクリアできる、質、量をこなせるメディア。そこが重要。TV電話がまったく普及しないのは、値段が高いからではなく、TVがついてもコミュニケーションの質が余りあがらないのがポイントなのだ。それどころか、風呂上がりは出られないとか、化粧しないと駄目とか、デメリットも出てきてしまう。そんなわけでTV電話は電話を超えるメディアにはなれない。
じゃあ、どんなのが質が高く、量をこなせるメディアなのだろう。
- いつでもつながる
- リアリティがある
- コストが安い
- メディアを選択できる
- 相手を選択できる
というのが条件。いつでもつながるというのは、相手が出られない状況だとしても、必ず相手に自分がアプローチした「証拠」が残る事。そして「メッセージ」が残せること。リアリティがあるというのは自分の存在を相手にアピールできること。コストはもちろんのこと。メディア選択というのは、ようは声なのか、テキスト文字なのか、それともグラフィック(画像、映像)なのか、ビデオなのかということ。相手選択は嫌な相手を傷つけずに断るということ。
世の中色々なものが出ているけど、すべての条件を満たしたものはない。これを高度にバランスさせたメディア、ツールがあればそれはもらったも同然。今ちょっと気になるのは「文字電話(DDI Pocket)」、「i モード携帯」、「ポケットステーション」、「ICQ」、「プレステ2」、「GPS付き腕時計」。買いたいものばかりだってゆーはなしもあるが、まあ、そういうこと。気になるものは、欲しいのだ。会社で買えないのかなあー(^^)
3月 5日(金)晴
イニシャルD、湾岸MIDNIGHT新巻発売
うきうき、わくわく、非合法暴走漫画の2タイトルの単行本が揃って発売だ。今回のイニシャルD14巻は、京一のランエボIIIとの戦い。場所はいろは坂だ。
オイルパンのないドライサンプ式、グループA仕様のエンジンを低重心にマウントすることによる飛躍的なコーナリング性能の向上、それが新・藤原とうふ店号の武器だ。対する京一のランエボIIIはミスファイアリングシステムによる、ターボラグのない途切れない加速力と4WDのトラクションが武器だ。いろは坂という、直線とヘアピン、しかも急な勾配を持ったコースでいかに作用するか、そこが今回の見所。
設定では京一はジムカーナで磨いたテクニックを駆使し、サイドブレーキによるタイトターンを得意とする。確かにジムカーナではサイドブレーキをきっかけとしたタイトターンが多い。その時、4WDのトラクションをいかすと非常に高い速度でコーナーから脱出することが可能だ。一方FRの藤原号だが、設定ではサイドを使わず、バツグンの荷重移動によるブレーキングドリフトできっかけを作り、ターンしているらしい。まあ普通に考えると ジムカーナ仕様の 4WDターボの方が早いように感じるが、実際この漫画もまんざら嘘ではない。というのは、ターンだけ考えると、ほぼ互角かもしれないからだ。
というのも、まず藤原号はいうまでもなく、軽量であるということだ。次にサイドブレーキを使わないということは、減速区間が短く、アクセルオンの時間が長い。それに対して、サイドブレーキをきっかけとした4WDターボは、つまりは藤原号と比較して、曲がらないということに他ならない。曲がらないために、リアタイヤをロックさせ、無理矢理ヨー方向の動きを作っている。次に4WDのトラクションを支えているのはデフ。フロントデフ、センターデフ、リアデフの3つからなっている。この3つのデフのセッティング次第では、アンダーも、オーバーも覗かせる。もちろんサスペンションセッティングとのバランス、エンジンパワー、タイヤのグリップ力を考えると総合的なセッティングは難しい。京一のランエボはタイトに曲がることができるものの、前に進んでいたかは疑問だ。つまりタイヤのグリップをオーバーするほどの力をかけ、滑らせることで曲がっているに過ぎないかもしれない。
ラインを考えるともちろん近道の方がいいが、高速に曲がれるのであれば、遠回りしてもよい。このバランスが問題。そんなこんなで京一は藤原号をパスすることができず、引き分け、実質の負けを喫するのだ。うーん、奥が深いねえ。現実はやっぱりランエボの方が早いと思うんだけどね。
やっぱりおセンチ(死語)
さて、湾岸MIDNIGHTはといえば、ケイのスープラがついにブラックバードを捉える。しかしスープラには致命的なアキレス腱があった。それは、ボディだ。リアまわりの補強を意識的に落とすことで、800馬力のパワーを逃がし、タイヤからの入力を逃がす。逃がしつつ、車を前に進める。それがケイをスピードの向こう側にある死に至らせないための、1つの解。800馬力を活かせる期間は僅か。その僅かな時間を使いきった後、ドライバーの意志でブラックバードをオーバーテイクする。しかしそこまで。スープラのボディはよじれ、ついえてしまったのだ。ケイは車を降りてしまい、通常の生活に戻るが、再生したスープラに再び乗ることになる。
今回のポイントはボディ。ボディ補強をすることで、ボディがどうなるかなんて、ほんと、やったことがあるひとじゃないとわからないと思う。だいたい、想像もつかないよね。よく「ボディ剛性が・・・」なーんて、したり顔で評論家がいうことがあるけど、ほんとにそれがわかるの?? それは曲げ剛性? ねじれ? ボディがよじれるのは当然タイヤとサスペンションからの入力、負荷に応じてのもの。タイヤだって、ホイールだってねじれる。サスペンションのアームもそう、ブッシュは潰れるし、そんな中でほんとに鉄を張り合わせて作られたボディの剛性ってわかるんだろうか?
もちろん比較すれば誰だってわかる。ノーマルのボディ、補強されたボディを乗り比べることができればだ。しかしそんなことは難しい。だから今回のボディのよれ、入力を逃がす作りってのは非常に高度な話だ。しかし、それだけに非現実的な速度域のすさまじさが伝わってくる。
さて、自分の車はボディ補強していない。なぜか。それはねー、お金がかかるんだよねー。フルボディ補強50万円。ボディ補強はすればハンドリングがシャープになるし、ボディが動かなくなるので、サスペンションが本来の正常な動きになるのでもちろんやったほうがいいだろう。しかし、じゃあ実際どれくらいタイムにつながるのということになると、値段分のタイムアップにはならないかもしれない。だったら、その分を他のタイムアップするパーツに使いましょう、というのが今回のポリシー。でもねー、あこがれるよなあ、ボディ補強して、ロールケージを組んだ、がちがちのボディに。ま、まだドライバーがそこまでいってないからね、お預け。早く違いのわかるオトコになりたい。
ケイゾク
ドラマ「ケイゾク」はなんだか凄いことになってきてる。中谷美紀がこれほどまでに美しくなく映されているものは他にはないだろう。かといってリアリティがあるかというと、そうでもなく、ちょっとダークな精神世界に入り込む、ちょっと「いやな」ところを刺激する作りは見るものを逆に魅了する。いま一番のお勧めドラマ。
3月 4日(木)晴
DIALYおそるべしその容量
だいたいDIALYは一月分で40KBくらいある。これをほとんど自分の手で、キーボードたたいて打っているのだ。40KBとは、40x1024バイトのことである。ってことは 40960バイト。漢字1文字は2バイトコードなので、 20480文字をうったことになる。2万文字だ。だいたい3日に1回更新しているとして、1月に10回かいているとすると、1回あたり、2000文字。400字詰め原稿用紙5枚分を3日に1回かいていることになる。これはたいしたもんだ。月によっては50KBもあったりして、いったいどんな駄文をかいて埋めているんだか、自分でも感心。
DIALYおそるべしその購読者
DIALYで意外なのは、その購読者の多さだ。だいたい毎日延べ100名程度の人が読んでくれているらしい。どうもありがとう。しかもそれは自分の友人知人から、その他たまたま通りかかって読んで読みつけてしまった人まで色々だ。ここで考えたいのはその親近度。例えば読んでいる人のことを筆者がしっていれば知人となるが、知らない場合は読んでいる人は読者となる。読者は筆者と話したことがあれば、かなり近い存在だ。見ただけとなるとかなり遠くなってくる。見たこともなく、友人からは無しに聞いた程度というのもある。只単にサーチエンジンやリンクできちゃったような読者にとっては、この筆者「のま」の存在はまさにこの数十バイトのテキスト文字だけがパーソナリティを形成するための手段になる。
おそるべし、のまののまたるのまのま
何いっているだかわからないけど、それはおいといて、人の存在を考えた場合、その人の何を元にそのパーソナリティを想像するのか。メディアというものが一面性、一意性しか持たない、いやもてないことを理解しなくては、そのパーソナリティを想像する種を持つことができない。それは親近度というか、その人との時間的空間的体験共有を持てば持つほど種が多くなるのはいうまでもない。逆に持たないほど種が少なくなる。
種の数は多ければ多いほど、正解に近い芽がでる確率が高くなる。逆に少なければ発芽した芽はどっちへ向くか、わかったもんじゃない。
ん、抽象的で比喩的だって? そう、いつものような文章はまた今度。
日曜日いってきまーす。いったい何をしにだ? そりゃ見に行くためでしょう。岐阜にいく前に西新宿オペラシティの NTT ICCにいくのがスジってもんだが、ま、新宿はいつでもいけるしね。
おそるべしプレステ2
発表されたね、ついに。あの衝撃のプレステ発売から4年。たった4年しかたってないのだよ。それなのに、それなのにぃ、なんでこんなに性能があがっちゃうんだろうね。Pentium IIIをも凌駕する CPUパワー、業務用CGマシンを凌駕する グラフィックスパワー、そしてすべてのPCをも凌駕する低価格。すべてが桁外れの性能を投入したマシン。まったくもって、SCEの野望ってやつは、おそるべしだ。
おそるべしSCEの野望
プレステを発売したときの、SCEの野望は非常に明快だ。「32bitゲーム市場を押さえる」。スーパーファミコン CD-ROM開発で任天堂に歩み寄りながら、達成できなかった無念さ、屈辱をまさに晴らした格好だ。なんだか時代劇の復讐劇のような顛末。しかしそれだけではSCEの野望は収まらない。なぜなら、SCEは 32bitゲーム市場を押さえることで恐ろしいほどの富を得たのだ。
SCE, Sony Computer Entertainment、それは Sony Corporationと Sony Music Entertainmentの 50%づつ出資の子会社である。しかし設立から数年で、親会社 SMEの売り上げを超え、Sonyグループの中の利益の数割を占めるほどの成長を見せてしまった。いわばとんびが鷹をうんじゃったような状態だ。そんななかのプレステ2の発表。いったいプレステ2の野望はなにか?ドリキャスを潰すことか?それとも NINTENDOを潰すことか?
断言しよう、SCEの野望は家庭からPCを追い出し、プレステ2で占有することだ。恐ろしいほどのスペックを恐ろしいほどの低価格で提供、しかもプレステでの実績、ソニーのブランド、簡単接続。筋書きは見えている。性能が低く、高価格で場所もとるPCをわざわざ買うのはマニアに限定されるだろう。一般消費者、電気屋さんにファミリーで乗りつけるユーザーはPCは買わない、買う必要がない。
PCなら色々できるじゃない、WORDとか、EXCELとか。家でわざわざそんなことをしたい人はいない。だいたいオフィスに十分PCが行き届いている。今後オフィスでは一人一台ノートPCが配給されるだろう。そんな時代には、家で仕事をするのであればオフィスと同じPCを使えば済むこと。家で使うのはもっとパーソナルで、エンターテインメントなことだ。そこにフォーカスすることを考えれば、プレステ2のような形態になる。
competiterは誰だ?
ではSCEと競合する他社はいったいどこになるのだろうか。同じポリシーを掲げているところが、その競合他社だ。そう、それは「家庭の机に一台PCを(だっけかな?)」のマイクロソフト。ビルゲイツが偉いのはこのポリシーを貫きとおし、実際にそれに向かって邁進しているところ。しかも現実主義者で、芸術家でもなければ、孤高の技術屋でもない、今できることをできるだけ、背伸びせずにバグありでも提供するところだ。マイクロソフトが嫌いで、ビルゲイツを蔑んでいる人だろうと、マイクロソフトにお金を払って使っている。それって、なんだか余りにも卑屈な行為に思えるのだがどうだろう。
ドリキャスのOSは Windows-CE、マイクロソフトだ。プレステ2のOSはマイクロソフトではない(んだよね、きっと)。そうであればマイクロソフトの基本的戦略と真っ向から戦うことになる。
PCショック
そう考えると今なんとか堅調を保っているPC売り上げだが、普通に考えて落ち込むだろう。その落ち込みは数十パーセントの割合で冷え込み、PCショックとなるのは間違いない。その時期はいつか。プレステ2が発売されて以降だから、2000年だね。とくに特色のない、安いデスクトップは軒並み売れないだろう。
プレステ2が発売されて以降のPC業界がどうなるか、楽しみでならない。
3月 1日(月)晴
長かったよ もう少しで 凍えそうで目を閉じた (WHATEVERより)
長かったこの瞬間。ようやく光明が見えてきた。昨日出た JMRC関東ジムカーナシリーズ第1戦、A2クラスで 9位になった。シビックの乗り換えてから初めての一桁、シリーズポイントゲット。今年最初のジムカーナで、幸先のいいスタートにもなったし、なんだか春の予感。