DIALY OF DECEMBER 1998


12月31日(木)晴


さよなら1998

今日は大晦日。部屋の掃除をして、紅白をみる。今日もまた同じ一日なんだけど、少し特別な日。日付がかわるとき、年が変わる。みなさん1998年はどんな年でした? 1999年はどんな年になるでしょう。楽しみ楽しみ。

紅白歌合戦の謎

紅白は大晦日に見る、国民的番組。普通の人は炬燵を家族で囲み、みかんを剥きながら一つのTVに向かう。それが国民的番組。紅白歌合戦に出ることは、アーティスト、シンガーの夢であり、芸能界での成功の具現化の一つとなっている。それは日本国民が一番多く見る番組であるからだろう。

紅白歌合戦の問題点

そんな紅白歌合戦だけど、もうすっかり問題だらけだ。そもそも数十年も同じスタイル、「紅白」で女性陣と男性陣が対決するというスタイルが古い。そもそもどうして女性シンガーと男性シンガーが対決しないといけないんだ? それにグループ、ユニットの場合、何を基準に紅白にわけるんだ? メインボーカルが女性なら紅になっちゃうんだろうか?この紅白制度はまだまだ女性の立場が低かった時代に、歌では対等に扱ってやろうという男尊女卑の象徴的行為である。現在の男女平等の中にあっては前世紀の遺物でしかありえない。

次に、この紅白歌合戦の出演者はバラエティに富んでいる。小学生に人気のグループから、おじいちゃんが好きな演歌まで、老若男女に受けるようにまんべんなく取り揃えている。つまりこれは田舎の農村、大家族制のなごり。孫からおじいちゃんまで、一家6人くらいはいるだろう層をターゲットにしている。例えば今のような核家族にとっては演歌の時間は無意味であり、他のチャンネルにまわしたくなる。

どうして紅白がこんな古いシステムままを維持しているのか、それは実は NHK自身の存在意義にまで関わってくる。紅白はすでに終わった古きよき日本の社会構造に対応していて、現在の日本の社会構造には対応できない。それはどうしてか。NHK自身の存在理由が、古きよき日本の社会構造を基盤にしているからだ。つまり現在の日本の変革した社会構造においては、NHKの存在理由はない。首都圏や都会を除く、まだ古きよき日本の社会構造を残している、いわゆる「田舎」に対してのみ存在意義を果たしているのだ。だから紅白を変革することはNHK自身の存在理由まで言及することになり、それは大波乱を呼ぶことになりかねない。

NHKの救いは、唯一、この正月の時期だけ日本の社会構造が古きよき時代に戻る点だ。都会にでている人、家族もこの時期だけは田舎に帰る。そして一時的にだけ大家族制が復活するのだ。しかしこの状況も今後どうなるかは不明だ。家族というシステムが瓦解しかかっている今日このごろ、間違いなく10年後にはかわっているだろうね。


12月30日(水)晴


北京風邪蔓延パート2

先日、友人にメールを送ったら、衝撃的事実が発覚。自分が出席した忘年会の出席者10人のうち、実に7人ほど39度の高熱がでたらしい。おそるべし北京風邪。すっかりキャリアになってしまったようだ。ご迷惑をおかけした皆様、大変申し訳ありません。

中国国際航空乗組員事情

XYLISH中国国際航空にのってひときわ目立った人が、この方。どーしたらこんな髪型なのだろうか? 最初は「永井豪」系とよんでいたが、結局我々一行は彼女のことを「XYLISHのキャンペンガール」、略して「キシリッシュ」と呼んだ。あの髪を維持するにはどうしているんだとか、乱れないのかとか、論議は論議をよび、3時間余りの飛行時間は非常に充実したものとなった。実際フライト最後のほうは少しくるりんに乱れが生じ、少しは人間味あふれていた。

中国へいく際には、是非チェックしてほしい(しないって)。ちなみにもちろん中国人らしい。

 


12月27日(日)晴


北京風邪蔓延

今日、友人からメールがきた。39度の熱を出して、死んでいるそうだ。はて、この症状はどーも怪しい。私が持ち込んだ北京風邪じゃないのかな? 実際中国から帰ってきて忘年会にいったメンツの中で2人も同じ症状で風邪をひいたらしいので、きっとそっちからうつったのだろう。この高熱がばーっと出るのには「プレコール持続性カプセル」で一気に解熱できるので、心当たりがある人は飲んでね。

中国当世食事事情

中国といえば、中華料理というのは、これ当たり前。街には中華料理屋、西洋系のファーストフード マクドナルド、ケンタッキーがひしめきあう。そして注意したいのが、街頭の露天商。韓国にもつくねとか、串焼きみたいなのを売っていた露天商が多くいたが、中国の場合はそれよりもずっとみすぼらしい。

中国も生水注意の国なので、当然露天商の場合もやばい。食べて下痢でも起こすのはちょっと厳しいので、普通に友人に中華料理屋に連れていってもらった。そこは1Fが飲茶のファーストフード、2Fが普通のレストランという作り。飲茶のファーストフードっていいね。好きな点心を選り取り見取りして持ち帰れるというシステムが日本にあれば繁盛しそう。2Fで友人5人でメニューを見ると、全部漢字ばかり、何がなんだかわからないので選定は友人にお任せ。向こうのテーブルでは50前後のおじさん5人が席についた瞬間からどんどんと注文している。こちらの人は最初から注文決めているのかあと思った。 そのテーブルに点心がやってきた。なんと点心は一つの蒸し器に12個ほどはいっている。その蒸し器がなんと7つ。すっげー、さすがは中国4000年の歴史のやつらは胃袋も違う。12個以上もくえんのかよ。1個の大きさだって凄く小さいわけじゃない、こっちはまあ一人4、5個くらいだから、2箱くらいだろうと注文したのにたいして圧倒的だ。

自分達の注文したものが来て、食べてみると非常においしく、パクパク食べられる。でも一人1箱は食えないよなあと思っていたら、向こうのテーブルのおじさん達の食事が終わった。注文するのも、食べるのも早いなあと思ってたら、なんとその食べ残しも凄い。何十個もの点心が山積みで下げられていく。そう、どうやら食べたいものを次から次へと注文しただけで、分量なんて計算外だったのだ。こちらの人は「全部食べる」と「足りない、まずい」という意味で「失礼」にあたると考え、必ず「残す」ようにするとのこと。残すことは「十分食べましたよ、おいしかったですよ」という意味になるらしい。

なのでこっちのポリシーは「一口食って捨てろ」が美徳なのだ。日本人には理解できないねえ。もったいない。でもお値段考えると一口食って捨てても全然もったいなくない。実際、動物園でパイナップル串を持っていたカップルは一口食べて捨てていた。考える前に注文(購買)、食べて捨てる。これが中国。


12月26日(土)晴


版画

今年の年賀状はハンコで作ることにした。プリンタかってもねえ、1年に一度しか使わないんじゃ高いし。でもハンコも結構お値段かかるんだね。ちまちまとお金かかる。ひさびさに彫刻刀もって、消しゴム削ったけど、はまるねえ。なんでも彫りたくなっちゃう。ふふふ。

中国貨幣価値事情

ツアコンの金さんいわく、「1000円族」というのが存在するらしい。その族は観光客が来る場所で行商をする。この族の面白いのはなんでも 1000円なのだ。例えば万里の長城の側にいるのは、Tシャツ、帽子、マフラー売り。 Tシャツ売りは「3枚せんえん」とか喋っているし、帽子だと「2つでせんえん」、キツネのマフラーも「2つでせんえん」なのだ。葉書も「10枚せんえん」。ネクタイは「10本千円」。なんでも単位は千円。ディスカウントの仕方はこの千円が800円とかになるわけではなく、数が増えるのだ。例えばTシャツの場合、最初は「3枚せんえん」なのだが、しばらくたつと「4枚せんえん」、そして帰るころには「6枚せんえん」とかいっている。おいおい、半額になってんぞ。そう考えると実に千円というものの価値が高く思えてくる。

絵葉書売りは「10枚せんえん」とかいってたので無視してたら、「10枚ひゃくえん」にまでなった。百円?どうやら 100円硬貨もかなり価値が高いらしい。この絵葉書はしっかりしたカラー印刷のもので、日本でならほんとに1000円で売られるものくらいのクオリティだから、やっすいよね。

ちなみに、いまの換金レートは 1万円で 690YUEN。げんと発音して、日本と同じく \という略称を使う。だから1ゲン 15円くらい。で、物価はどんなものかというと、チャーハンが8ゲン、自然博物館への入場料が15ゲン、タクシー初乗り10ゲン、1kmあたり 2ゲン。ミネラルウォーター 500mlが2ゲン、ビールが中瓶で5ゲンから15ゲン(店による)。喫茶店で350mlのビールが10ゲンで、ホテル部屋のだと20ゲン。中華料理店で男5人が腹いっぱいくって、ビールもたらふくのんで、全部で100ゲン、1500円だったのにはびっくり。日本の中華街でなら一人3000円コースでしょう。

中国でカラオケをやるということは、日本でいうところのスナックへいくということらしい。となりにおねえちゃんがついて、お酒ついでくれたり、一緒にデュエットしてくれたり、少しのタッチならOK、というもの。これがおねえちゃん一人あたり1万円なのだ。さーて、日本の店でならきっとこれってまあ驚かないお値段だし、安いくらいなんだろうけど、飯代が5人で 100ゲンだからねえ。一人1万円=690ゲンがいかに法外に高いかということがわかる。し・か・も、これは非合法な商売。日本なら怖いおにいさんが出てくるところが、中国の場合は公安がでてきて、最悪出国できない(帰国できない)ことになりかねないから、そりゃあもうスリリングだ。サービスの内容と比べると冒険できないねぇ。

夜、ホテルの部屋にみんなが集まって話していると電話がなった。とると「・・・1時間 100ゲン、1時間 100ゲン。OK?」という女性の声。うーん、100ゲンってことは1500円だよなあ。安いよなあ。ってそうじゃないけど丁重にお断りして電話を切った。そしたら友人いわく、「1500円ならさあ、入れればいいじゃん。横にいてもらうだけでもいいよ」とな。それも一理あるな。ちょっと後悔(?)。にしても電話かかってくるんだねえ。きっと部屋総当たりなんだろうな。


12月25日(金)晴


メリークリスマス

キリストさま、お誕生日おめでとう。

1周年おめでとう

このホームページも、いつのまにかに1周年。たくさんのアクセスありがとうございます。これもすべて皆様のおかげです。これからもますます楽しく、妙な話題を振り撒けるよう、努力しますのでよろしくお願いします。

免許停止おめでたくないー

風邪がようやく鎮まってきたので、免許停止の処分を受けに府中までいってきた。一時期調布に住んでいたころは府中の運転免許場にきてたことがあるので、それ以来。久々にいってみると、なかなかにしてその公務員の数に呆れる。だって、客(一般人)より多いのだ。窓口にいく客の20倍の人数がその窓口の中にひきめし合っている。うーん、立派なものというか、なんとゆーか。人件費はどーなんちょるねん。

免許停止のほうは、通常だと90日の停止処分になるところ。係員は昔のデータをドットインパクトプリンタで打ち出しもってきてた。「うーん、君は平成6年以来違反してないね」「違反はみんな速度違反だけだね。しかも50km/h以上オーバーだけ。スピードの出るいい車乗っているんだねえ」。いやはや、すべてお見通しだよ。てっきり昔のデータは expireされてるとばかり思っていたらそうではないようだ。どっかのでっかいハードディスクのなかに保存されているんだねえ。少なくとも10年分は入っているね。さて、その潔い違反歴を評価されたのかわからないが、速度は気を付けなさいよと恩赦してもらい、60日になった。ほえー、聴聞会を欠席しても60日になるんならラッキー。これで講習を受ければ 30日に短縮、1月末には免許が戻ってくるわけだ。あ、ちなみに聴聞会を欠席した理由は「出張」としておいた。ええ、自己負担の海外出張ですよ。いやぁ、勉強してきたよなあ。

中国博物館事情

中国自然博物館。そこは生命の45億年の進化の歴史をホルマリン瓶付けというキーワードでマニアックに突き詰めたコレクションの殿堂。国内、国外を問わず博物館、美術館をそこそこ回ってきたけど、中国ほど地味で、地道で、もはや病的な博物館ははじめてだ。例えば、大英博物館。これは英国の輝かしい世界制覇、略奪の歴史の展示だ。それに比べて中国自然博物館のテーマ、「生命45億年の進化」ってのは、凄く実直でシンプルだ。まるで学研のマンガ、ひみつシリーズの「生命のひみつ」ばりのシンプルなテーマだ。ベアセルゲートとという蛋白質が生命のスープの中で混じって最初の細胞が誕生し、多細胞生物ができて、爬虫類やら両生類、哺乳類、鳥類と進化をしていく、「生命の樹」が描かれるというやつだ。

この博物館はとにかく標本が好きだ。なんでもかんでもホルマリンづけにして瓶詰め標本展示。魚類はもちろん、カエル、かめ、わに、なにもそこまでしていれなくてもいいだろうと思うくらいホルマリンづけ瓶詰め。しかも豊富な種類と数で圧倒。一つ一つみていたらきりがないくらいの数。普段目にしている魚も縦に瓶詰めされて展示されているとすでにグロい。この調子でかえるやら、わにやら、だからもう気分はなえなえ。しかも皮はいだやつとか、骨だけとか、神経だけとか、血管だけとか、ばらんばらん。勢い余って植物までホルマリン付けやら樹脂づけ展示。キノコとか、シダみたいのも瓶詰めになっていると、なーんでかこれも気持ち悪くなってくる。

生命45億年の進化の歴史の終着駅はもちろん「人間」だ。そう、賢明な人はもうお気づきだろう。勢い余って植物まで瓶詰めしちゃうこの博物館、クライマックスはホンモノの人体標本展示だ。人体だよ、人体、しかも本物。ってことはいいかた替えると、死体だよ、死体。死体展示。人体はさらに細部をよくしってもらおうと各部を分解されている。つまりは中華街でブタや鳥がばらばらにされてつるされているのと同じノリで人体もばらばらになって、ホルマリン付け展示されているのだ。し、か、も、老若男女とりまぜて。胎児の1ヶ月ごと、幼児の縦カット、腕だけ、足だけ、皮はいだ全身、筋肉まではいだ全身、内蔵がよく見えるようにおなかの肉だけカットしたもの、わーかいててやになってきた。 とにかく、動物と同じように処理された本物が数十も展示してあるのだ。

しかも年齢制限なし。5歳くらの子供からご老人まで実に熱心に見ているのだ。 どーなってんだ、この国は? 命の尊厳は?? 人間性はどこへいったんだ?

まあ逆をいえばそれだけ人間というものを動物としてとらえているということ。ん?中国って動物はなんでも食うよな。となると、当然人間も食うということか。こりゃ洒落になってないな。こんな光景を5歳くらいから取り乱さずに冷静に見れる中国人のオコチャマはいったいどういう感受性してるんだろう。

ちなみにここの風景、ビデオでとっちゃったよ。余りにあんまりなのでズームは一切してないけど、撮影できちゃうのもびっくりだ。しかし迂闊に再生できないぞ、このビデオ。 おそるべし中国。

 


12月24日(木)晴


死ぬかと思った

中国から帰った翌日に忘年会にいき、日本酒を飲んだのがいけなかった。案の定二日酔いになり、ダウン。会社にいけず(おいおい)。午後になれば回復するかと思っていたら、吐き気はおさまったものの頭痛はますばかり。おかしいなあと 思っていたら39度もの熱。ベッドから立ち上がる気力も体力もないが、食事しないと衰弱してしまうのでフラフラしながらコンビニへ向かい、ゼリー、ヨーグルト、おかゆを買い込む。次の日も高熱は収まらず、このままでは高熱でパーになるか、衰弱死するかもしれないよ。ということでまた一念発起、今度はクルマに乗り込み薬局へいって薬を買った。とにかく解熱する薬くれといったら、ほんとにこれがよくきき、39度あった熱が37度まで下がった。やー、熱がなくなるといいねえ、活動できるよ。とはいえ大事をとって、会社は休み、病院へいった。医者も「39度かあ、それは大変だったねえ」というし、やっぱり39度は相当だよね。40度に達したら119番しかないなと覚悟したくらい。 しかしまだ死にたくないな。やりたいことたくさんあるし。

歴史的建造物:天安門&故宮

ということで、中国だよ。北京の建物といえば天安門広場。ここは西太后、ラストエンペラーなどで有名なところ、故宮と隣接している。それにしても MS-IME97は中国に弱いな。何一つ変換できやしない。いまどき単漢字変換はないだろう。 それはともかく、天安門広場を見渡す場所に立った。その広さはすさまじい。まさに広場、数十万人は入るといわれている。戦車と人民が戦ったというここで野外コンサートやったら燃えるだろうなあーなんて思いつつ、とにもかくにもでかけりゃーいいだろうという、前世紀的発想に触れて納得。

天安門広場から北に数百メートルいったところに故宮がある。故宮はというと、仏教様式というか、中国様式というか、日本にもありそうな神社仏閣(同じにするなって?)と基本発想は同じで、門があり、塀に囲まれた広い敷地の奥に本殿があるという形式をとっている。その文様の木目細やかさ、広さ、赤と金色の色遣いのあでやかさが独特の気高さを物語っている。故宮は実際には中心にある本殿(なんとか殿)がいくつもある。まあいくつもあるのはいいんだけど、名前が違うだけで、内容は一緒。歩いていると、ほとんどロシアのマトリョーシカ(だっけ?、箱をあけてもあけてもまた箱があるというやつ)かデジャブかという感じで、門をくぐるたびに、また同じような光景が広がる。しまいにゃみんな飽きてきて、門をくぐると「またかよー」「あきたー」という声が広がる。写真ずきでなんでもかんでも写真をとってしまう習性の日本人はここで相当フィルムを無駄にしただろう。いや、きっとこれは中国4000年の歴史による罠に違いない。フィルム業者の思うつぼ。

歴史的建造物:万里の長城

次にとにかくおっかしいのが「万里の長城」。なーにがおかしいって、やっぱおかしいよな、その発想と実行力。いくら蒙古が残虐で恐ろしいからってそれに備えて要塞をつなげて城壁にしようって、いくらなんでもコスト感覚がなさすぎる。すでにそれ自身が歴史的 VOWネタなのに、それを実際に見てみるといかに? 万里の長城は北京から高速道路を約1時間走った、郊外の山並みにあった。山といっても日本と違い、山水画にでてくるような山で半分くらいは地膚が見えていて背の低い木が少し生えている程度。斜面は切り立っていて、風は強い。万里の長城は別に入り口があるわけではなく、現在のような観光のために入りやすい名所が3個所くらいあるらしく、そのうちの1個所から入る。入ると、なんてことはない、写真で見慣れたあの万里の長城だ。幅は数メートルある石畳の城壁になっている。ただそれだけ。それが尾根にそってうねっていて、小高い頂に監視所となる要塞がたっている。これがすべての山あいにあるのだ。上がればあがるほどその長城の姿が見えてくる。あっちに長城、こっちに長城。右にも長城、左にも長城。あれ?そう、長城はうねりすぎているのだ。長江のうねりのように、くねくね蛇行。いったいこの長城はどこからだれからの攻撃を防ぎたいんだか、ポリシーがまるで見てとれない。ただ山間の尾根をつないだだけのような感じ。現地建築担当者の会話が聞こえてきそうだ。

「あいやー、つぎどっちにすんべー」「そだなー、右のほうにすっべか」「そのつぎはどうすべかー」「そだなー、さっきは右にしたっぺから、左にすっべ」

とにかく塀をつくるのが先決、目的と手段が入れ替わった好例(悪例?)だね。のわりには入念に作り込まれていて、しっかりできてる。煉瓦と石が導入される前の漆喰と土でできたものは浸食から消失するものも多いが、煉瓦と石のものはかなり頑丈だ。にしてもこの山には石はない。いったいどこからこれだけの石を切り出してもってきたんだか。なんていうかな、長城は中国特有の「志はでかく、いい加減」というポリシーをまざまざを見せ付けてくれたような気がする。

で実際に機能したかというと、結局買収工作で無血開城したということで。今も昔もお金な世の中だねえ。


12月20日晴


中国当世旅行報告

中国へいってきた。中国といえば、中華人民共和国。毛沢東、天安門広場、万里の長城、共産主義、中華料理。なーんてイメージしかないまま、友達がいるからというただそれだけの理由で友人5人といくことに。ノリは中華街か熱海で忘年会しようという感じ。そんなノリなので、あれ、なんでパスポートがいるの?という状態。 しかし出発数日前になり、友人一人が突然キャンセル。そう、その友人はあの日債銀に勤めていたんですねえ。そりゃ行ってる場合じゃないよなあ。大変だあ。 さ、そんな感じで中国という外国、しかも世界に2つしか残ってないかもしれない共産圏にいくという重大さを感じずに、飛行機にのって中国へ乗り込んでしまった。さて、いかに?

中国交通事情

さて、中国へいってすぐに乗ったのが団体用のバス。まず右側通行、左ハンドル。車は日本車、ドイツ車が色々とあるが、一番多いのがシャレード、サンタナのタクシー。とにかくそればっかり。4ドア車ばっかりで、2ドアクーペなどない。とにかく約にたつ車ばっかりで、ぼろぼろ。洗車しないから埃まみれ。車はツールなんだねえ。車はそんな状態だから、車線は守らず、というか、車線は関係なし。スペースがあれば、つっこむ、つっこむ。3車線しかなくても、車が4台並んでいるのは普通。これが中国。

そしてあちこちからクラクションが聞こえる。日本だとクラクションを鳴らす場合というのは、「てめー、ふざんなこらー、あぶねーじゃねーか」とか、「邪魔だよおらー」というのがほとんど。だから喧嘩一歩手前な状態。しかしどうやらそうではないらしい。鳴らすタイミングを見ていると、追い越しするとき、車線変更するとき、「おれはここにいるぞー」という存在証明が主。しかもビッビッビーではなく、ビーーーーーーーーーと鳴らし続けるのがコツ。追い抜きするときは追い越しが完了するまで鳴らし続ける。ようするに自分が何かやること、いることの意志表示らしい。なのであちこちらからビービーと聞こえてくる。余りにも多いので、誰が鳴らしているかわからないほど。クラクションの音をきいたら、操作をキープ。急ハンドル、急ブレーキ、車線変更とかは音が聞こえている間はしてはいけない。あとミラーは見ないのもコツ。とにかく前しかみない。前以外みていたら、追突しちゃうからね。これが中国。

中国といえば自転車。自転車はといえば、、、これはほんと凄いよ。まず切れ目なく自転車が波のように押し寄せる。その中に歩行者が混じる。そして自転車だろうが、歩行者だろうが、車だろうが、バイクだろうが、なんだろうが、とにかく道路上にいる物体はすべて自分の進みたいところへ進みたいタイミングで進む。つまり信号はまったく見てない。信号なんて意味がないのだ。車が来ていても進む。少しの車とクルマの間を縫って、進む。進めない時は、どんな場所でも止まる。それは道路上の中央分離帯ならまだしも、車線の白線上だったりする。それが毎車線上にいると、なんと歩行者自転車の中を車が抜けていくことになる。30cmずれれば、間違いなく跳ね飛ばす。でもそれでぶつからない。そんな状態だから、道路上のいたるところに物体が存在する。まるで異種格闘スクランブル交差点状態。優先なんてない。とにかくすこしづつ前へ前へと進む彼らたち。これが中国。

次回予告

次回は中国歴史的建造物事情です。お楽しみに?


12月17日晴


NARITA

本日から日曜日まで、中国へいく。最近飛行機は落ちるわ、米英のイラク攻撃ははじまるわ、おっかない世の中だあねえ。今回の飛行機は中国国際航空。うーん、どんなんだろう。てなわけで、帰ってきたら DVカム DCR-PC1で撮った映像を載せる予定。

にしてもNARITAはとおいね。昨日ジムカーナの練習にNARITAの先までいったんだけど、朝は1:30、帰りは 2:00くらいで帰ってこれた。しかーし、今日は電車だ。電車だと2時間半くらいかかる。アクセスが悪すぎるね。車だと早い代わりに駐車場代がかかるし、なにより渋滞したときが怖い。今こそ羽田から飛んで欲しいところ。

12月14日晴

パンダ

日債銀が大変だ。今度中国に旅行にいくメンツの中に、日債銀に勤めている友人がいたが、案の定キャンセル。そりゃそうだよねえ、会社が事実上潰れたも同然の時期に呑気にネイティブパンダみにいく場合じゃない。ちなみにこの中国旅行の目的はパンダが何くっているかを確かめるため。

「パンダぁなにくってんだ」「パンだ」 ゴニョゴニョゴニョ・・・ !「わーハッツハッツハッツ」

セカンドキャリア

このご時世、いつなんどき会社を首になるかわからないね。再就職できるだけのキャリアを日頃から養成しとかないといけない。自分の場合はなんだろう。少なくとも車の整備士にはなれないな。筋力、体力が足りない。やっぱコンピュータ関係かなあ。いつでも会社を辞めてもいい意識はあるものの、実際辞めた後のことは考えてないね。片手落ち。

年末

大掃除の季節。ホームページもそろそろ1年。おかげさまでなんと7万ヒット以上。年末年始休みにリニューアルしたいところだねえ。今度車屋さんのホームページを作るから、手がまわるかどうか。とりあえず、不評だったフレームをなしにしてみました。今度ちゃんとしよう。


12月 13日(日) 晴れ


たまにはのんびり

年の瀬だ。忘年会だ。色々な予定がびっしりと埋まってきた今日このごろ、昨日なんてダブルヘッダー、夜中の3時までやっていた。今日はうってかわって、何もなし。家からも出ず、車洗ってお終いよ。しかも夕ご飯食べたら寝ちゃうし、なんだかな暇な一日。しかし、本当にオレは暇なのか?暇にしてていいのか? ま、たまにはいっか。

今ごろなコト

さて、今、熱いのがPDA。PDAとは Personal Digital Assistantという、一昔前、アップルがまだイケイケだったころに Newtonというハンドヘルドコンピュータを PDAというコンセプトで出したあれだ。PDAの特徴は "Assistant"というネーミングからわかるように、あなたを助ける相棒みたいなことをしてくれるところだ。それには「エージェント」というモチーフを使って、仕事を肩がわりしてくれる有能な秘書みたいなことをさせようとした。そのコンセプトは斬新で手書き文字入力を使った新しいユーザーインターフェースとあいまって、マニアでコアな人々には大歓迎されたし、そりゃあ自分もすっげー感化された。やっぱこれからはこれだよこれ、SFな世界に突入したよなあと震えたものだ。

でも実際は今のようにインターネットもなく(実際にはあったけど、一般的ではない)、通信機能もまだ前提になく、たんなるでっかい、不便な電子手帳に成り下がり、結局商業的に失敗してしまった。この PDAというコンセプトに感化されたのはなにも個人的な人たちばかりでなく、メーカーもそうだったんだろうねえ、あっちこっちのメーカーから PDAと名を冠したものが雨後のタケノコ、そしてどれもこれも成功せず(^^; 唯一の例外は SHARPのザウルスのみ。ただ、ザウルスの場合は PDAというでーっかい夢みたいなコンセプトではなく、ちょっと便利な手帳ですよと控えめだったところだろう。この謙虚さがうけたのかどうかは知らないが、今に至るわけだよね。たとえて言うなら Newtonは見た目が派手な美人で、実際に結婚してみると家事ができないくせにたかびーな妻、ザウルスは地味なおねえちゃんで、家事はこなし、ごはんもうまい、そして三つ指ついておでむかえ、歩く時は3歩さがってついてくるようなイメージか。

夢やぶれて山河あり

Magic Linkを知っているだろうか? General Magicが開発した Magic Cap OSを元にプロダクト化された PDAだ。 telescriptというエージェント言語を使ったそれは素晴らしい夢と希望が満ちた次世代OSだったはずだ。でもプロダクト化されたものはやはり成功せず。日本では NTTと PASEO(パセオ)というオンラインサービスまで行ったものの、なんと英語バージョンのまま。日本語入力できない状態で、メールが送れてどうすんのよ。案の定大失敗ってとこだね。

そもそもソニーが出した PDAの代表作は PalmTopだ。PalmTopという言葉はいまではすっかり一般用語となり、IBM PC110や、3com Pilotとか、 Windows-CEマシンとかも全部この言葉でくくられてしまっている。でもでもでーも、本当のPalm Topはソニーのパームトップのことなのだ。まあ、いいんだけどね。で、この PalmTopももちろん失敗。失敗したから Magic Linkを作ったのに、これまた失敗。いやー、PDAはなんか取りつかれているね(^^;

おっと、Palm Topでリンクさせてもらった人は「さぱら〜」だった。びっくり。なんか妙な気分。

Palm Topという意味と価値

でもねえ、PDAでさんざんな目にあったところがよもや PCG-505や C1で大成功するとは、世の中面白いものだ。Palm Topから Magic Linkまで失敗した理由は色々あるけど、やはりコンセプトと実際のギャップがあるからなんだろうね。その点、505や C1なんてはっきりいって代わり映えしない Windows ノートPCとして、薄いとか、カメラついてるとか、コンセプトがそのまま実際に反映されているからいいんだろうね。

Palm Topが難しいのは、名前の「手のひらにのる( Palm Top)」という制約だろう。そしてはそれは同時に「手に入れやすい(買い値が安い)」ということでなければいけなく、これでハードウェアの制約が非常にきつくなってしまう。小さく、安く。そして入れ込むOS,ソフトは使いやすくするためにGUIであり、ペン入力だったり。そして市場も Palm Topで、小さい(^^; それは採算がとれなくて当たり前。

とはいえ、 Palm Topというコンセプト、PDAというコンセプト、これらを実現するために培ったGUIといったものは決して悪いものではない。時機尚早だっただけ。インターネットが通信の標準になり、CPUパワーも、メモリもふんだんにあるこの状況で、ようやくこのコンセプトを活かす時機が到来したといえる。いまからが勝負。だからといってまた新たにハードウェア開発してというのはちょっと効率が悪い。既存のものを活かしていきたいところ。その点シャープは偉い。ザウルスなんて、ルーツをたどればポケコン。PC-1211からはじまり、電子手帳になり、そしてザウルス。ところどころ方針変更をしつつ、うまーく時代の流れにのっている。電子手帳なんて、ソフト入れ替えただけで、ハードはまんまポケコンだったのにはびっくり。こないだ紹介したコミュニケーションパルなんて、ポケットボードもどきだけど、ザウルスだったり。このへんの経済感覚はやっぱり大阪圏だからなのかな。

PDAなツール

ここで確認したいのは、PDAということと、電子手帳であるということはまったく異質なものだということだ。ザウルスとかのカタチはPDAによく似ているが、中身はまったく違う。PDAはあなたをインテリジェントに助けてくれるツールである。いま使っているコンピュータでPDA的なものはさてどんなのか。

いわずと知れたICQ。これの凄いのは、すっげシンプルなツールということ。だけどそのアイディアが斬新かつ、それまでなかったということだよね。リリースしてからたった1年ちょっとでユーザー 2000万人という爆発的普及が便利さを物語っている。ちなみに、日本のインターネットユーザーは 1000万人しかいない。

いつも使っているサーチエンジン。あーなんか知りたいなあと思ったら、まずはサーチ。はっきりしたタイトルの場合はディレクトリサービス系の yahoo、適当な言葉でひっかけたい場合はキーワードマッチ系の infoseekと使い分けている。まだまだその検索結果には不満が残るけど、十分助かっている。

push型情報サービス。登録型のものだと、自分の嗜好にあわせた情報を提供してくれる。jmail.comもそうだっけかな?おや、グリーティングカードサービスまではじめてるよ、おい。しかしなんだかたいしたことないし。グリーティングカードサービスといえば、老舗(元祖?)Wonder Mail。特許をとれなかったのが悔やまれる(^^;

PDAということは?

自分が多忙な社長であったときに、有能で綺麗な秘書ってところ。だから自分が多忙でなかったり、社長のように重要なポストにいなければ、まったく必要なんだろうねえ。そういう意味では携帯電話も PDAなツールかもしれない。

ここで宣伝

突然ですが、友人の会社を紹介します。布団屋さん。でもふつーのふとんじゃないぞ、肌の弱いひと、アトピーなひと、乳幼児をかかえているひとに超おすすめの防ダニ加工(特許)のふとん。結構その筋では有名で、TVに出たり、学会で発表したりしているらしい。


12月 10日(木) 晴れ


linuxな毎日

今週は合計3台のマシンに linuxをインストール。スペックはそれぞれ

な感じ。最後のやつがちょっと凄いね。メモリがHDDなみにある(^^; スワップエリアは通常メモリの2倍だから、、、って、800MBもとっちまった。きっとこれは意味ないね。ちなみに最後のやつは「さぱり」用サーバーにするんだけど、このスペックで 38万円なんだよねえ。今までのワークステーションはなんだったんだろ。ふーむ。

ドラマハンターD

本上まなみの「眠れる森」がいま熱い。中山美穂じゃないのかって? いや、やっぱりここは爽健美茶の初代CMガールの本上まなみでしょう。今まで全然みてなかったんだけど、先週の土曜日の夕方に総集編をやっていたので見ることにした。これは面白いドラマだったよ。というより、やっぱり怖い。ドキドキするね。もう、本上まなみ、殺されるー、やめてくれー、あーやっぱりー、ってな感じ。あーあー、来週から魅力半減だなあ。

それはともかく、謎が多いねえ。さっぱり犯人がわからない。この手のドラマは金田一少年の事件簿よろしく、すべての状況、すべての行動をまだ明らかにしてないからわかるはずがないのだ。大胆な想像と仮定をしないと無理だろうし、きっとすべての状況や行動が明らかになるのは最終回の最後の15分とみた。まあそこまで気を持たせるというか、緊張感を持続したままにするのがこの手のドラマのポイントだよね。

少ない情報を元に、少し考えてみよう。まず登場人物の整理から。クリスマスイブの日に起きた一家惨殺事件の唯一の生き残りの中山美穂。そして不幸な記憶を消すために精神治療を施す医師とその息子、木村拓也。中山美穂の幸せな記憶はすべて木村拓也のものだった。しかし15年たって、その作為的に上書きされた記憶の底から、「フラッシュバック」として蘇えはじまる本当の記憶。その不幸な記憶から守るために、再び木村拓也は中山美穂の前に現れる。

中山美穂の姉は大学の友人、陣内孝則と婚約していた。しかし結婚を反対され惨殺事件を起こしたとして逮捕された。そして15年たち今、仮出所を果たし、本当の犯人に復讐するために不気味な行動をとる。その陣内孝則の同級生、仲村とおる(同い年ってのは無理があるよな・・・)は中山美穂と婚約し、惨殺事件が起こったクリスマスイブの日に結婚式をあげようとしている。そしてその日は奇しくも事件の時効の日。

中山美穂のフラッシュバックによって蘇る記憶の断片。幼い中山美穂の手に握られた凶器のナイフ、そして救急車で運び出された時にみた、本当の父親。そう、中山美穂は母親の浮気相手の子供だった。その相手とは木村拓也の父親、精神治療を行った人物。父親からの幼児虐待を受ける中山美穂。そして惨殺事件と同じ、15年前のクリスマスイブに謎の失踪をとげた仲村とおるの母親が15年を経て、15年前の姿のまま現れる。夢か、幻か。 なぜ同じ日に。

復讐に燃える陣内孝則はサンタクロースに扮し、中山美穂の身辺に近寄りはじめる。そしてサンタクロースに襲われる木村拓也、しかしその時に顔の撮影に成功する。その写真を現像し、顔を見たのは木村拓也の恋人、本上まなみ。そして本上まなみは単独でサンタクロースに会い、殺されてしまう。

というのがあらすじ。詳しくはこちらをみてね。 で、不思議な点がいくつか。

いくつかおかしな点があるが、ここで考えたい。本当に中山美穂を除く、一家惨殺は一人の犯行だったのかということだ。多分ほとんどの場合、一人で行ったということを前提に考えるため、辻褄があわなくなる。そこで殺された人、一人一人をピックアップして考えるとほどけるのではないだろうか。

そして現場、現場近くにいた人間は以下の通り。

ということから、想像するとこのとおり。

うーん、無理あるなあ。一体、本当はどうなんだろう。仲村とおるの母親の位置づけがわからん。現実のものではなさそうだから、仲村とおるに乗り移った霊か、多重人格の表現か。でも岡田真澄の前にも現れているし。

残りの2回は見逃せないぜ。


12月 7日(月) 雨のち曇り


linux雑感

友人から AHA-1542CFをゲットし、486DX-66MHzマシンに装着。SCSI HDDは 2GBと 1GBが引き出しから出てきたのでこれを 接続。これで linuxインストールの準備はOK。で、ようやく linuxをインストールできた。

それにしても PC-UNIXをインストールするのは久しぶり、4年ぶりだろうか。その昔、UnixWareという SVR4のPC-UNIXの仕事をしていたのだ。業務内容は PCへのインストールテストや、SVGAドライバの開発。来る日も来る日も、ボードを抜き差しし、メモリをつぎたし、IDE, SCSI, HDDを入れ替え、ありとあらゆる組み合わせでインストール。そして起動後、ベンチマークテスト。SVGAドライバの方は、PCで使っていた S3の 805チップや、ATIのmach32チップを直接叩き、ハードウェアアクセラレーションを効かせることで高速化を計った。というのも、その当時は丁度アクセラレーション機能がついたグラフィックチップが出始めた頃で、まだそれに対応したドライバが、PC-UNIXではなかったからだ。

Unixの仕事でありながら、実際は 8086アセンブラ。C言語なのに、いきなり _asm{} ではじまり、ポートを叩き、レジスタに値をセット、メモリからデータを転送する。そこそこのベンチマーク値をとったはずだった。しかし、そこに出てきたのが XFree86。PC-UNIX用のVGAドライバだ。各ベンダーのハードウェアアクセラレーション機能に対応したドライバで、性能もそっちの方がわずかに良かったし、安定していた。あれは哀しかったなあ。誰も相談することもできず、会社の隅の方でこそこそと開発していた割りにはそこそこできていたけど、XFree86のパワーの前にオープンソースであること、アメリカ製のチップでドキュメントが日本に渡るまでに時間がかかることなど、色々と自分の能力の限界、日本で開発することの環境の限界を感じたものだ。

もちろんこのPC-UNIXの仕事はその後立ち消えになり、自分のホームマシンはなぜかこのPC-UNIXマシンであった。もちろんSVGAドライバは自家製。プライドだね。結局その後2年くらいはこれがホームマシンで、メールも受けたし、httpdも立ち上げたし、なんとか色々とやっていたねえ。

そして今、linuxブーム。第3のOSとかいわれて、Micosoftが恐れるOSになっている。なんかねえ、じぶんにとっては時代錯誤な感じがするな。実はUnixは大の嫌いで、あの幾多もあるコマンドをRPGの呪文よろしく覚えるのにも納得がいかないし、わけわからんオプションはついているし。今で言うとポケモンの150種類を覚えるくらい、不毛なことだよと思っていた。やっぱりWYSIWYGが基本でしょう。

PCの性能向上と、MicrosoftのOSの肥大化がマッチしなくなってきている。PCの性能向上をそのままユーザーが享受できなくなった今、前世紀の偉大な遺跡、Unixが今熱いわけだ。確かに面白いのは、Unixはオープンソース、だれしもがコンパイルしてカスタマイズしてOSをチューンすることができる。86系のチップは組み込みハード用に1チップ化されたものが低価格である。こう考えるとUnixは、小さく安くできる可能性をもっているOSとなるね。 しかも Unixはそもそもネットワーク対応。これからの時代への必須条件は揃っている。

友人が PocketBSDという、NEC Mobile Gearに FreeBSDを入れるということをやっている。大した物だ。まだこれはハンドヘルドコンピュータに Unixがはいっただけだけど、この意義と可能性は大きいね。NECあたりは気付いているかなあ?

コミュニケーションパル対応

近日中にこのホームページを、9600bpsのコミュニケーションパル対応にモデルチェンジしたいなあと思っている今日このごろ。やっぱりフレームはあまりよくないらしい(^^;


12月 6日(日) 晴れのち曇り


ダメ人間再び

ボーナスシーズン到来。外は寒ければ、財布も寒い、そんな時期にちょっとした暖かいおもてなしのボーナス。さて、今まではといえば、ボーナスには手をつけずに貯金していた自分。ところが今年はどうしたことだ、すでに散財したい放題。貯金できる見通しがない。というのも、「欲しいもの」はほとんど例外なく買っているから。例えばレーシングスーツ。ジムカーナをはじめて6年、ずっとお古のLLサイズのだぶだぶのを使っていたからいいよね。例えばコミュニケーションパル。いやいや、究極のモバイルだし、自分へのお誕生日プレゼントだしいいよね。そして一昨日、バーゲンセールという名の欲求喚起にやられてしまったよ。そう、今度は憧れの DVカム、DCR-PC1を買ってしまったのだ。でもね、ジムカーナをはじめてずっと使っていた Hi8カム、 CCD-TR1000がそろそろきつくなってきたからねえ。例えばバッテリーは1回買い換えたけどメモリー効果で5分しか録画できなくなってきたし、ACアダプタは熱で変形してしまったし、いまどき 液晶モニタないから見返すのが大変だったり、色々不自由してた。それでもなんとか使えてきたし、欲求を抑えてきたんだけど、ついに爆発しちゃったね。ちょっとお安めだったんだけど、20万円近い買い物。欲求を抑えられないなんて、なんて、ダメなんだおれはーーーー(^^;

気を取り直すと、これでついにビデオフォーマットを制したことになった。ばんざーい。ED Beta, S-VHS, Hi8につづいて miniDVだ。ゲームマシンもフルフォーマットに近く、プレステ、セガサターン、N64、ゲームボーイ、スーファミがあるから、うちにいったいどれだけのハードがあることやら。やれやれ。

インスパイアされるもの

最近インスパイアされるもの。それを主に買っている。DCR-PC1もそうだし、コミュニケーションパルもそう。このふたつのテーマは「ウェアラブルとモバイル」。 DCR-PC1のCMでは「持つというより、身につける」というコンセプトのもとに、PC1を腰にぶらさげて、外国の街を闊歩して映像シューティングをする。このコンセプトは今までのビデオカメラの常識とは異なるものだ。ソニーが牽引してきた主なビデオカメラのコンセプトは「子育て記録」「結婚式記録」である。 そして歴史に残る、パスポートサイズ CCD-TR55になり「海外旅行記録」というコンセプトが加わった。基本路線はこの2つで、前者はスタミナ 12時間録画に発展し、後者はニューパスポートサイズに発展してきている。そして今回の DCR-PC1はさらに新しいコンセプトを追加してきている。それはなぜか。

じつは、ビデオカメラ業界はやばいのだ。なぜなら従来のコンセプトを満たすためのビデオカメラは十二分に市場に行き渡り、 10万円以上するビデオカメラをわざわざ新しく買い換えることをしなくても、子供はとれるし、結婚式もとれる。ビデオカメラが壊れない限り、買い換える必要もない。

そしてビデオカメラを今まで買っていたユーザー層は、そう、シニアなユーザーだ。子供ができてから結婚するまでだから、つまりは親。親はだいたい 20歳以上でボリュームゾーンは30歳から 60歳だろう。このゾーンの購買は飽和しているわけだ。そこで新しいコンセプトのかっこいい「身につける」、映像シューティングハンディカムなのだ。

VAIO 505をみるまでもなく、ユーザーは「かっこいい」「stylish」ということを「性能」と同じくらい評価する。それはヴィトンのバッグを身につけるようなもの(なのかな?)で、ハードウェアの単独のスペック評価ではなく、そのハードウェアが生活に入り込んだ時にどれくらい「かっこよく」なるかを評価しているのだ。つまりは「ライフスタイルをどれだけ充実させるか」「拡張できるか」であり、最先端マシンはそれを要求されている。

身につけることで見せびらかしもできる DCR-PC1。さらにいえば VAIO 505のCMではフランス旅行をする女性が透明のバッグに 505と PC1を入れ、町中で撮影、 iLinkを使って映像をキャプチャして日本の友人にメールしている。ヨーロッパでそんな高価なものを見せびらかして歩くのはひったくりの格好の的になるような気がしてならないが、 それはともかく、超イケてるのである。日本で、男性がそれをやったらただのオタクだが、こういうシチュエーションでは超かっこいいのはなんでだろうね。

多分それはスペック性能の評価ではなく、ライフスタイルのみの評価だからか。海外旅行している女性とは、CPUパワーやHDDの容量、iLinkだかなんだかとか、DVがどーたらかーたらとはまったく関係ないし、意識してないことの象徴である。海外からホットな映像を 505と PC1を使い、インターネットメールで地球の裏側に即時に送ること、このことを純粋に評価されているのだ。確かに便利だし、事実凄いことなのだよ。湾岸戦争の記事を電話回線でメールで送ったことが評価されたが、今ではそんなのシロートが映像つきで送ることができるし、シロートホームページでばんばん情報発信できるのだ。この可能性、この拡張性がココロの琴線にふれるわけだ。

話はずれたが、そういうわけで、PC1はカッコイイのだ。ウェアラブルな映像シューティングマシン、PC1。だが動画はともかく、静止画をとるのはデジカメがよい。デジカメと違い、DVでは静止画は単純に静止画を4秒録画するだけだから、ハンドリングはよくないからだ。

iLinkつき VAIO PCG-C1をゲットしたので、今度透明なバッグに C1と PC1とを入れて持ち歩こうかな。単なるマニアにしかなんないなあ(^^;

インスパイアされないもの・R4

R4を友人が買い(買わせた?)、ちょっとやった。うーん、初代リッジな感じなんだけど、グランプリモードだし、チームオーナーからはぼこぼこにいわれるし、ハンドリングはロールなんて関係ないし、やっぱりリッジはリッジだった。今年の冬も GTのセッティングにはまろうと思った今日このごろ。そう、再来週から免停になるのでした。はぁ。ボーナスの1割が国庫に納められてしまうのだよ。凄い社会貢献。

混乱させるもの・jungle park

以前から目をつけていた、マルチメディアものCD-ROMの jungle parkを T-Zoneで見掛けたので買ってみた。内容は「さるを操作して、ジャングルになっている島をうろつく」のである。ゲームと違い、目標なし。何をするのも自由。島のあちこちにはイベントが仕掛けられていて、野球場では野球盤をやり、ホッケー場ではホッケーゲーム、Uコン飛行機で遊んだりとまだ実はそこまでしかいってないんだけど、そんなイベントをやりつつ楽しむものらしい。このゲームでもないので分類できないマルチメディアCD-ROMは結構あちこちの雑誌やらで評価されていたものなので、それなりによい。良い点色々あるが、一番は「目標がない」ことだろう。ゲームはクリアしなきゃいけないし、実用ソフトとかは実用にならやきゃいけない。何かしなきゃいけないという、強制力というか、義務がそもそもある。それに対して、自由。何もしなくてもいい。イベントはちょっとしたスパイスで、ゲームであっても勝つ必要もない。

これって子供の頃の遊戯に似ている。鬼ごっこにしても、缶蹴りにしても、どろじゅん(どろけい)にしても、確かに勝ち負けとかあるが、目標は「いかに遊べる時間を充実して楽しむことができるか?」だった。「味噌っかす」制度による、優遇措置というのは体力的ハンデがある幼児を遊びに参加させるためのルールだったし、同じ公園、遊び場でも毎日同じことではなく、飽きれば違う遊びを導入したりしてた。

これに対して、スポーツや、記録や、ギャンブルといったものは違う遊びだ。「勝ち負け」があり、勝たないといけない、上達しなければいけないといった強制力、義務が発生しがちだ。これも緊張感や目標達成したときの充実感を考えると素晴らしいものだ。でもさきのとはまったく異なる充実感なんだろう。

jungle parkはそういう問題提起をしているような気がする。ゲームが点数や、ゲームクリアを目標とした、競技的な楽しみ方なのに対して、jungle parkは公園(はらっぱ)で夕方までいかに充実した時間を送るか。オトナたちは時間をずっと「いかに役立つか」とか「効率よく使うか」とかそんなことばかり考えてしまいがちなので、時間を「いかに楽しく過ごすが」というコドモの時の気持ちになり、逆に新鮮だ。惜しむらくはこの jungle parkがシングルユーザーである点。独りで島にいても、公園に独りなようなもので、まったく面白くない。ぶらんこを独りでこいで、楽しい奴がいるだろうか。ぶらんこは必ずペアで設置されていて、2人以上でこぎ合いうのが楽しい。そういう意味で絶対に jungle parkはマルチユーザーでなければならないものだ。この jungle parkがマルチユーザーになったときに、本当の jungle parkが完成する。そのワールドは自分にとっては脅威だな。あ、その前に自分が達成すればいいんだけどね。

ラッシュ

12/6も終わろうかという時に、友人から電話があった。「今度結婚することになりました」。なにぃ? いつのまにかに彼女ができてたんだ。「今月に結婚する」。なにぃ?? この年の瀬にかい。やけに急な話というか、よくこの時期まで公開しなかったなあ。普通3ヶ月ルールといって、3ヶ月前に公表するのがうちの会社流ってもんなのに。で、聞いてみると、はっはーん、そりゃいえないよねえ、部署内とは。二人は完全ノーマークでつきあっていることすら知らないかったわけだから、余計いえないね。

ということで、結婚ラッシュなのだ。というか、ラッシュはずっと続いているねえ。よくまあ、皆結婚するよね。凄くエライことだと思う。でこの友人のほかの友人で「先を越された」と悔しがっていか、焦っている友人がちらほらといるらしい。まあ普通結婚適齢期ってのがあって、25から30歳とかいうから、そういう意味でその時期に皆結婚すればラッシュになるのも当然というもの。それとそうやって適齢期という言葉のプレッシャーがやはりあるということだ。

そもそも適齢期とは、「適した年齢の時期」という意味だよね。結婚適齢期でいえば「結婚に適した年齢の時期」ととれるんだけど、はて、ここで問題。結婚って一人でするものだっけ? そう、もちろん違って二人だ。ということは「二人の結婚に適した年齢」、つまり「結婚するにあたって、二人に適した年齢」ということになるわけだ。 となると二人の年が異なれば、そのカップル毎に違う適した年齢があるはずだ。となれば別にねえ、数字に拘らなくてもねえ。だから焦らなくてもいいと思う、今日このごろ。

なーんてこといっていると、親から「なにごちゃごちゃいっている」と怒られそうだな。すまないねえ、孫は妹、弟に期待して。長男は通勤も結婚もオフピーク星人。


12月 2日(水) 雨


この世に産まれておめでとう!

本日はわたくしめの誕生日。この世に産まれ落ちてからはや31年。産まれたことに感謝&おめでとう。人生後半戦に入ったことを感じつつ、策を練ろう。今までの30年もの間に色々なことがあったね。ひとつひとつ思い出して見ると、こんな性格でこんなことをやっている自分に至るまでの軌跡がたどれて、なるほどと思う。人生というか、人間というか、成長しながら生きているんだね。身体は無理がきかない年頃だけど、細胞は死ぬまで細胞分裂を繰り返し、いつでも fresh。毎日がチャレンジ、毎日が勉強。

linux quest

いま一番熱いロールプレイングゲーム、それが「linux quest」だ。もう現役を退いたPCに PC-UNIXの linuxを入れる、これが今巷で人気沸騰中。そこで自分も i486DX2-66MHzのマシンと、 DEC HiNote Ultra II(Pentium 120MHz)に入れることに決定。今日は HiNoteと戦った。

NotePCはりソースがかぎられるため、非常に困難な戦いだ。しかも家にはデスクトップPCはなく、 VAIO note 505EXだけが頼りだ。構成は以下の通り。

DEC HiNote Ultra II, mobile media(CD-ROM), Megaheltz 3288(10baseT+28.8kbps modem)
VAIO 505, CD-ROM, 3Com EtherLink XL(100/10baseTX)

問題なのは、mobile mediaが linuxのインストーラーから見えないこと。しかたないので CD-ROMドライブのイメージをハードディスクに入れようと HiNoteから色々なアプリをアンイストールしたら、HiNoteの調子が悪くなった。再起動してもCD-ROMが認識されない。VAIOからネットワークカードをはずし、CD-ROMを接続、一度VAIOに入れてからネットワークで HiNoteにいれようとする。しかしVAIOのハードディスクは 100MBしか空きがない。じゃあVAIOのデータを一度ネットワークで HiNoteに移して、、、とやっているうちに、HiNoteが CD-ROMを認識。お。じゃあというのでHiNoteの CD-ROMからハードディスクへコピーしようとすると、ファイル名がよくないらしく、コピーできない。あれれー。

ここで一息つき、WEBで検索。色々みたところ、HiNoteの mobile mediaも、VAIOの CD-ROMも インストールには使えないことが判明。おいおいおーい、みんな一体なにでインストールしているんだか。どちらもそのマシン用のCD-ROMなのにぃ。うー、しかしHiNoteも、VAIOも linuxが動くらしい。こうなったら絶対インストールしてやるう。なんとか、ふつーのCD-ROMドライブをゲットせねば。

メールちゃちゃちゃ

今日は寝坊をし、会社にいくまえに渋谷T-Zoneによる。目的は linux用PCMCIA ネットワークカードを買うことだったんだけど、対応したものがないので、かわず。結局 持っている Megaheltzのが使えそうなので良かったんだけどね。

それはともかく、ちょっと前に目をつけていたあるものが目に留まった。それはシャープ「コミュニケーションパル」。 NTTのメッセージボードのシャープ版みたいなもので、中身のテクノロジーはまんまザウルス。しかしザウルスが軒並み 5万円以上するのに、これは定価が 38000円、買い値は 3万円。これでメール、ウェブ、スケジュールにアドレス帳と必要十分な機能が入っている。しかもメッセージボードは DoCoMoの携帯しか駄目なのだが、これはデジタル携帯であればなんでも対応。素晴らしい、衝動買いするにはもってこいの商品だ。しかも今日は誕生日。自分へのプレゼントということにして、深く考えずに買ってみた。

実際どうかというと、これは素晴らしい。ザウルスで培った技術を惜しげもなく投入、簡単にインターネットの設定ができるし、ペンも使える。赤外線通信でデータをPCと送受信もできるし、ソフトもダウンロードして使うことができる。単三乾電池2本駆動、キータッチはポケコンライクで非常に親しみやすい。必要な機能はキーになっているから操作も簡単でスピーディ。ひとつ問題点があるとすると、メールの添付ファイルで対応してないものがあること、しかもそれがサーバーから removeされないために何度も読みに行ってしまう。removeする方法はあると思うので、これからチャレンジ。あとお値段だね。ふつーのSo-netのアカウントで、So-netにつなぐとメール1通の送信でも携帯で 30円かかってしまう。ネゴシエーションの時間にお金とられてるんだよね。そう考えると DoCoMoの 10円メールはよい。これだけで TU-KAから DoCoMoにかえようかと思ったくらいだ。ほんと、そうしようかなあ、、、

とにかくいま熱いのはこれ。熱いのはマニュアルもだ。なんと総ページ数 312p!! それだけの機能が満載ということだ。それでこのお値段は安い・・・はず。

linuxに、コミュパルに、ゼルダに、色々やることあんなあ。人生相変わらず熱いぜ。


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