11月 28日(土) 晴
本日のハイラル地方
攻略本をかってみた。いけない部屋へいく方法はわかったが、どうもストーリーの進行上絶対必要ではなさそうだ。それにそこへいく手段をじつはしらないし。
悪魔の攻略本
確かに知りたい情報は載っているし、見やすい、素晴らしい攻略本だ。しかしいかーん。依存心が芽生えてしまったのだ。そう、今まで自分の力で、歩いて、探して、見つけ出して進めていたのに、ちょっとでもわからないとこがあれば攻略本をめくる誘惑にかられてしまうのだ。実際ゼルダの場合に限らず、フィールドを移動しなければならなく、効率が悪い。するとすぐに近道を考えてしまう。一番の近道は、攻略本を読んで、効率よくイベントをこなしたり、移動したりするのが一番だ。
が、しかーし、いかん、努力を厭ってはまるっきし楽しみを失ってしまうのだ。ゼルダは登山なのだ。登山は自分の足で登頂する過程を楽しむもの。それがヘリコプターかなんかで、普段着のままぶーんと降り立っては何の意味もない。トレッキングシューズをはき、登山用の服に身を包み、食料を背負う。帽子をかぶり、手には杖をもつ。肩から水筒をぶら下げ、喉が渇きに備える。この雰囲気を、自然の風光明媚、気候の変化、非日常の一瞬の断片を全霊を傾けて感じ、楽しむ。これが真骨頂だろう。
確かに登山は苦しい。時間もかかる。大変だ。楽にクリアできること。これに価値があるとすれば、時間をセーブできる、苦しさをなくすことができる。確かにそうだが、それはすなわち楽しみも無くすことである。苦しみと楽しみは反対のことではなく、まったく独立の別事象のものだ。苦しくなければより楽しいというものでもないのだ。
悪魔のマニュアル文化
攻略本の魔の手に襲われてしまうのは、やはり自分が、社会が、日本がマニュアル文化に汚染されているからだ。学校教育により徹底的に教科書、参考書、ありとあらゆるマニュアルを暗記し、それにのっている中からテストが出題され、それを答えるだけの脳みそを作りあげる英才教育だ。これによりマニュアル文化が深く、広くわれわれ日本人に浸透しているのだ。それも知らず知らずのうちに。例えばファッション誌。数多くのファッション誌が出ているし、多様性がある。しかし問題はそのファッション誌がとりあげた、ほぼそのままを受け入れ、実行する。別に採点されるわけでもないのに、皆よい成績をとろうと努力している姿は立派であり、呆れる。
洗脳は単一の価値を埋め込むための手段として確立したものだが、問題はそれだけではない。洗脳により注入する単一の価値の内容だけでなく、注入する手法が学校教育によって行われているマニュアル文化的教育手法と類似している点だ。つまり、マニュアル文化教育に適応すればするほど、洗脳されやすくなるということである。新興宗教の幹部にインテリが多かったり、東大やら京大の優秀な学生が原理教(だっけ?)に入信してしまう理由はここにある。もちろん入るキッカケは別にあるに違いないが、入信するまでのはやさとはまり具合は実に優秀に違いない。
マニュアル文化の問題は、「活字になっているものが絶対であり、それを覚え込むことに価値がある」としている点だ。子供のころ教科書に載っていることに間違いがあると思ったことがあるだろうか? 新聞での報道は正しいと思っているのではないか? 新聞は「東スポ」のおかげで、すべての報道は絶対ただしいわけではないと認知できるが、読売と朝日で書いていることが違うなんてことに気付くのはかなり後の話だ。サンケイのCMでは「新聞を疑え」とあるが、まさにそのとおり。ちょうど今、中国の国家首席が来日しているが、非常に気を付けないとだれがどうねじまげるかわかったもんじゃない。だいたい戦時中の事実が明らかにもなっていないのに、謝罪もなにもあったもんじゃない。だいたい謝罪というなら、アメリカは原爆投下に関して公式な謝罪は行ったのだろうか?はて。
話はずれたが、マニュアル文化に毒されたぼくたちは、もっと用心深くならなきゃいけない。マニュアルに頼る甘えの意識にも気を付けないとね。
マニュアル文化から偏差値文化
学校でのマニュアル文化教育を測るためにテストがあった。テストの成績は偏差値に直された。偏差値というものは統計学的な手法であり、平均を 50としたときに、標準偏差σ(シグマ)を 10として、1シグマ上だと 偏差値 60、2シグマ上だと 70となる。偏差値のよいところは、テストの点数ではわからない、人数分布を数値化できる点だ。例えば 2シグマ上の 70だと、上位何パーセントだという数字(失念)が決まる。つまるテストの点数と違って、毎回比較できるできる数字になる。偏差値という言葉は使わないが、工場やプロジェクトでの品質保証に6シグマ(シックスシグマ)と呼ばれるものがあるが、これはつまり偏差値でいうと 110となる。おや、100超えているよ。別に超えていてもいいのだ。数値的には 10のマイナス何乗というわずかな値である。もともとは NASAがアポロ計画を成功させるために導入した手法であり、そこまでやりゃあ失敗しねーだろーという考えだ。
どうも一般的には「偏差値」というと、あまりいいイメージはない。問題は色々あり、まず人間をテストの成績で判断することに対する抵抗感、テストの成績からよくわからない統計学の数値に直される点、偏差値そのものが本当に成績を判断するのに相応しい手法なのかどうか。まあそれぞれ賛否両論あろうが、そもそもの成り立ちは前述したように、平均と標準偏差から導いた数値なだけである。これについては賛否以前の数学的なことであるので問題はない。
ではどうしてイメージが悪いのか。結局マニュアル文化への適応度を測っている数字だからだろう。マニュアル文化に対して疑問をもった場合、その適応度を測る数字にはなんの意味もない。また偏差値で人間の価値を決めるような受験戦争の風潮にも抵抗がある。このへんは漫画「東京大学物語」のテーマでもある。
さて、このように偏差値というものが現在は一意に、テストの成績にのみ使われている数字だからこそ問題があるのだ。この際偏差値というものを一般化してみよう。
例えば「美人偏差値」。ちまたでよく「あのこかわいいよ」とか、「美人だよ」とかいわれるが、これがまた困ったことに主観に基づいているので、実際みてみると賛同できない例が多い。そこで偏差値化するのだ。
「あいつ、こないだの模試で偏差値 70だったらしいぜ」「え、まじかよ、すげーじゃん。」
「あのこ美人偏差値 70なんだってよ」「え、まじかよ、超美人じゃん。あわせろよ」とまあ、こんな具合だ。他にも料理人の腕とか、運転の腕とか、色々と使える。偏差値という数値は用いてないが、空手、柔道や将棋、囲碁、そろばん、スキーとかに何段とか、何級とかいうシステムがあるよね。まあそれでもいいんだけど、だいたいの場合は何がクリアできれば何段とか決まっているからねえ。TOEICの試験はかなり偏差値に近い考え方らしいんだけど、実際の採点方法がよくわからないし、人数分布は釣り鐘型じゃないから違うようだ。
人間の価値
人間の価値って何できまるんだろう。少なくとも単一の偏差値で決まるものでも、複数の偏差値で決まるものではないらしい。というか、そもそも数値化できないんだよね。理系はなんでも数字にしようとするからいけないよね。数値じゃないものであらわしていいじゃない。例えば、
「たいへんよくできました(はなまる)」 in 幼稚園
あのゴージャスなはんこを押して欲しいがために頑張ったよなあ。
ファミリーカーなアルテッツァ
アルテッツァ特集のベストモータリングを買った。うーん、うーん、うううーーーーん。やっぱり自分が試乗して感じた通りのようだ。結論からいうと、「所詮、トヨタ車」。あんだけスポーツだとか、ニュルブルリンクだとかいったって、それは「売り文句」でしかなかったわけだよ。ツインカムとか、20バルブとか、VVT-iとかと一緒。ガンさんも指摘しているように、ブッシュやら、サスペンションやらは全部やわい。やわい理由は簡単。そう、「乗り心地」を捨てられなかったのだ。結局最後は80点主義。きっと主査は 80点の中での 100%の 80点はとれました。といっていたのだ。でも残りの普通の乗って用を足す車としての配点20点については手をつけてないね。ホンダのタイプRシリーズは 乗って用を足す車としての 配点を減らして5点にして、残りのスポーツという部分の配点 を95点にしたのだろう。このへんの違いだ。結局ベストモータリングとかは「スポーツ」としてしか採点しないわけだから、そりゃ点数は辛いわな。
でもそうなると許せないのが、欺瞞がある点だ。17インチホイール、40タイヤ、16インチブレーキディスクなど、外見はばりばりに走りにふったように見せかけ、ホンダのタイプRシリーズ以上にピュアな「FRスポーツの提案だ」とか打ち出している。しかし結局は快適性でカローラに負けるわけにはいかないんだろうね。トヨタ車ヒエラルキーから逸脱できなかったようだ。ちなみにトヨタ車ヒエラルキーとは、車格至上主義で、下位の車が上位の車を超えられない一次元的な階級制度のようなものだ。これをつかう理由は、スターレットからカローラ、カローラからコロナ、コロナからマーク2、マーク2からクラウンと、ステップアップでき、ステップアップするごとに確実にすべてが向上する点にある。逆にいえばスターレットは確実にカローラよりも貧乏臭くできているのだ。それは広さ、エンジンパワー、見た目のゴージャスさ、装備、すべてに渡る。
とはいえアルテッツァはやはり異端児である。この先、この車が本当のFRスポーツカーとなるかどうかでトヨタという会社のリスペクトが左右されるだろうね。ホンダは NSX、インテグラ、シビックとタイプRを出したが、これを出すのにそれぞれベースの車が出てから2年位かかっている。この点を考えると、トヨタも2年でタイプR相当のものを出して欲しいものだ。まずは軽量化、エンジンパワーの向上、サスペンション能力の向上。ブレーキ、ホイール、タイヤはきっと十分以上だ。ということで、今はかえないね。
それよりホンダS2000が超期待できる。やっぱホンダだよ、ホンダ。
11月 26日(木) 晴
寒い
すっかり冬である。空は青く、澄んできて、空気はピンとはりつめてきた。エンジンが調子よくなる今日このごろ、でもクルマはドック入り。
ニッポンの中心・霞ヶ関
さて、本日は検察庁からの招待状(出頭はがきともいう)を片手に、検察庁までいってきた。さすがはニッポンの中心霞ヶ関。地下鉄を出た瞬間、警察、警察、警察。パトカーに、護送用バスに、なにやらかにやら。昔四谷の大学に通っていた頃は迎賓館が近く、警察の警備なんて当たり前だったのだが、久々にみるとなんか異様だよなあ。この違和感はなんだろうと思ったら、そう、ここは「公務員パラダイス」だったのだ。会社員がいない。そしてその公務員なかたがたはどうも昭和な雰囲気を醸していて、戦後ニッポンを何十年も支えてきた疲れが背中にみえるんだよね。毎日がルーチンワークなためか感情が希薄っぽい。そういえば町並みもそらぞらしいし、やけに空の青さがリアルに見える。
ちなみに、どうも簡易裁判の方式がかわったようだ。今までは検察庁にいくとそこですぐに略式裁判を行い、数十分後に罰金が言い渡されて、その場で現金で払わなければならなかった。ところが今回は略式裁判は別途やり、後で裁判所から振込用紙が郵送されるとのこと。せっかく今までの経験を活かして現金を用意していったのにさ、残念だ。
郵送先は基本的に自宅とのこと。でも一人暮らしで書留送られてもねえ、絶対受け取れない。「勤務先に送ってもらえませんか?」ときくと、「送ってもいいの?」と検察官。なんちゃら裁判所という封書でいくから、普通はあまり歓迎されないらしい。なので本人の了承を得てからじゃないと送れないという。ふーん、でもさ、結局今日だって「検察庁いってきまーす」と上司に断ってきてんだから、関係ないね。だいたいそこまで配慮してくれるんなら「ヒサヤ大黒堂の試供品」とか、「裏ビデオ通信販売」みたいに、封書に会社名が書かれてないもので送ってくれると完璧なのに。
本日のハイラル地方
現在炎の神殿で、いけない部屋あり。わからんなーもー。やっぱ攻略本かってくるしかないかも。そういえば、初代ゼルダではじめて攻略本かったなあ。禁断の書ということで、なるべく見ないようにして進んだ覚えがある。今回も楽しみを減らさないようにちょこっとだけみよう。
11月 23日(金) 晴らしい
「どこいくの?」「ちょっと冒険しに」
でたでた、ついにでた。やっとでた。NINTENDO64用「ゼルダの伝説 時のオカリナ」。これは 1986年 2月に任天堂ファミリーコンピュータ、ディスクシステム用ソフトとしてデビューを飾ったもので、その後スーパーファミコン、ゲームボーイに移植された名作ソフトだ。ジャンルとしてはアクションRPGと位置づけられ、当初はRPGということでドラクエ(初代)と比べられたりした。設定が中世をモチーフにしていること、出てくる敵がモンスターなどであったり、その頃はハイドライドなどの「アクションRPG」という分類があったころから RPGという分類になってしまったようだ。が、実際にはアドベンチャーに近い、アクションゲームである。RPGはだいたいにおいて「使いっぱ」と成り下がる。あっちで御用聞き、こっちで御用聞き、だれかがあれ欲しいといわれれば死ぬ危険を冒して洞窟を探検してアイテムをとり、もっていったと思ったら今度は向こうの村へいけといわれ、いってみればあれが欲しいといわれの繰り返し。さらにその戦いは単調極まりない。乱数で勝手に戦闘モードへ突入。戦いたくなくても戦わなきゃ行けない。一体なんのために、誰のためにやっているんだかわからなくなってしまう。
その点ゼルダはまったく違う。いつでもモンスターは画面上に表示され、モンスターのわきを摺り抜けて戦いを避けることが容易だ。もちろん逃げ切れない場合は戦うが、基本的にはプレイヤーの自由である。
無個性という器
ゼルダの伝説の主人公は「リンク」という名前だ。そしてリンクは何も喋らない。何も考えない。感情もない。あっちにいく、こっちにいくはすべてプレイヤーの自由であり、考えること、つぶやくことはすべてプレイヤー自身である。確かにストーリーをすすめる上でのラインというのはある。しかしそれは比較的自由で、順番を入れ替えてもいいし、最低限のことをしてればストーリーは先へ進む。その点が通常の RPGの主人公、ストーリーと大きく違う。
例えばドラクエやFFの場合、主人公は必ず喋る。そして考える。怒ってたり、悲しんだり、感情をもっている。そしてストーリーを進めるためにこなす作業は多い。
この違いは何か。そう、これは主人公がプレイヤーが乗り移ったものなのか、それとも主人公がストーリーを進めるための操り人形なのかの違いだ。 前者がリンクであり、後者がジャパニーズRPGものである。ゼルダの場合、リンクはプレイヤーの生まれ変わりであり、乗り移った姿だ。だからリンク自身は何も喋らないし、感情も持たない。感情はプレイヤーが持つものであり、行動はプレイヤーが決める。ジャパニーズRPGものでは主人公はストーリーに乗っかった行動をすべきであり、感情も決められている。プレイヤーはストーリーを進めるために必要な操作を行っているに過ぎなく、プレイヤーの感情や選択は軽視(無視?)されている。
顕著なのが、リンクは基本的に寝ない。プレイヤーがおきて、ゲームを遊んでいる時間はずっと起きているのだ。ジャパニーズRPGものは、必ず宿屋などで寝る。プレイヤーが寝てないのに、寝てるのだ。
たとえるならジャパニーズRPGものが、プレイヤーの操作が必要な映画とするならば、ゼルダの伝説はバーチャルリアリティであるといえよう。もう一つの人生、それがゼルダの伝説である。
ゲーム性とハードの性能
初代ゼルダの凄いのはクイックディスクという、両面でたった 128KBしかないメディアにその壮大なバーチャルリアリティの世界を築きあげたということだ。たった 128KBだよ。いまでいえば 2HDフロッピーの 12分の1の容量。CD-ROM 540MBに比べると、なんと約4320分の1だ。CD-ROMにもし初代ゼルダをいれたとすると、その世界は4320倍に広がる。初代ゼルダは表面、裏面クリアまで1ヶ月ほど遊べたソフトだから、なんと 4320ヶ月、つまり360年かかる計算だ。江戸時代がおわってしまうほどだね。
もちろん 8bitのファミリーコンピュータの表現力なわけだから、この試算は無意味だ。しかしここで重要なことに気づかなければならない。ハードの能力があがり、記憶容量が倍倍ゲームで増えていくのにあわせて、クリアできないほど長く、広くするのかということだ。答えはもちろんNO。ゲームクリアまでは同じ時間であり、向上した能力や容量はほとんど表現力にあてられるべきものだ。
変えることと守ること
実際ゼルダの伝説はファミコン、スーファミ、N64と向上したハードに合わせてリリースされたものの、その進め方、ダンジョンの謎の解き方はほとんど一緒だ。最低限のヒントと明らかにわざとらしく置かれたものから、推理と勘を働かせて進める。その謎ときが快感であり、ゼルダの神髄といえる。
ハードが進んだからといって、神髄がかわるわけではない。神髄はそのままに、それを如何に表現するか。ハードの制約からできなかったことができるようになった、それを表現してくれること。続編にはそれだけが求められているのだ。その点ゼルダはよくできている。やはりスーパーマリオ生みの親のプロデューサー 宮本 茂の尽力が光るということか。
攻略本の功罪
ゲームには最近必ず攻略本が出る。攻略本というものはファミコン時代の初期にはなかったものだ。ゲームがシンプルだったのもあるが、それ以上にちゃんとゲームをやっているうえでゲームを進めるのに必要な情報が提示されていたからだ。攻略本はそれ以上の情報、例えば裏技や、効率のよいクリアの仕方などを載せるものであった。ところが今ではゲームを問題集とすると解答集みたいなもの。すべてを明かしてしまう。まあそれはそれでもよいのかもしれないが、それでゲームをするということは宿題を出された子供が解答をノートに写しただけの作業でしかない。それじゃまた時間の無駄だ。
ゼルダの場合、ほとんどの場合は攻略本はみなくてよい。いや、みてはいけない。みたらゼルダの面白味の9割はなくなってしまうだろう。実はN64用ゼルダをキムラヤでかったら、64DREAM責任編集の攻略ヒントブックをくれた。うへー、悪書だ、悪書。見たらつまんなくなるー。とはいうものの、やっぱり何時間もつまると見たくなるね。で、ちょろっとそこだけ見ようとしたら、載ってない。そう、このただ本の範囲はストーリーの前半だけだったのだ。あはは、よかった。
友人に相談するのは良い手だ。友人は本当に必要なところだけの情報を教えてくれるからだ。ただ今回の問題は、N64持っている友人が少ないというところだね。
じつは・・・
ドラクエが終わってないんだねえ。FF7も終わってない。なんでか。そもそも戦うのがめんどくさい。つかいっぱもやだ。ストーリーをすすめるのは好きなのだが、ゲーム時間を延ばす目的で無意味な戦いがあること自体が許せない。レベルアップなどふざけるなだ。人がお金払ってソフトをかった上に時間まで奪うとはなにごとか!ストーリーがみたいだけだから映画でいいよ。安いし、楽だし。
じつは・・・
今ゼルダにつまってしまったのだな、これが(^^; おとといから寝てるかゼルダやっているかで、全然外に出てない。つまってしまったのは、昔はかなりあからさまに臭いアイテムとかトリックであったのが、3Dポリゴンになったせいで、結構注意深く観察しないといけなくなってる。3Dは視界狭いからねえ。たちどまって回りをみないといけないらしい。うーーーーー、鍵がたりないーーーーー。
よし、これからまたチャレンジだ。
11月 19日(木) 晴
獅子座流星群
ししざ、ししざ、しーしーざー。次の日がTOEICの試験だったので、友人の流星ツアーを振り切って帰宅。なんておれってストイックなんだろう。で、TOEICの試験問題をやったところ、全然わからん。readingのところだけやったんだけど、特に間違い探しの問題はひどすぎる。どれも正しく、いやどれも間違ってみえる。間違っているのは自分の英語力なのだが、、、。正答率は 1/3。これじゃあてずっぽの 1/4とあまりかわらない。余りにできないのに情けないやら、反省やら、複雑な面持ちで獅子座流星群情報をインターネットで見る。無性にみたくなってきた。で外にでて、空を見上げる。うーん、明るい、全然星が見えない。みえない? うーん、33年ぶりのチャンスだってのにみえない? みえないってことは後悔するってこと?? そりゃいかん。いくら明日 TOEICの試験があり、その試験の点数が悪くったって、また受けることはできる。いや、それ以上に自分の実力はだいたいわかってるし、いまさらあがいても仕方ない。これは獅子座の方が優先事項だ。うん。よし見に行こう。どこに? 暗いところ、でも徹夜は無理だから、片道1時間くらいなところ。しかもメジャーなところはだめ。
少し考えて、神奈川の愛川町、宮が瀬より厚木よりのマイナーな峠にする。そこだと東名つかって1時間でつくはずだ。ということで2時にいえをでた。
246号は少し渋滞してたけど、無事に3時すぎに峠の入り口に到着。さあ、数年ぶりに峠あがるかと思ったら、次から次へと一般車が上がってくる。あれれ? ここって超マイナーなとこじゃなかったっけ? 普段はラリーの練習に使えるくらい、一般車は通らない場所のはずなのに、数台が連なって峠をめざす。あがっていくと対向車が増え、しまいには峠近辺ですれ違いで大渋滞。おそるべし獅子座流星群。こりゃどこの峠、どこの海も超こみこみなんだろうなあ。Uターンをし、途中のポイントでクルマを止めてしばし鑑賞。いくつか明るいのが見れた。とりあえず満足。なにより、ここらへんに出るかなーと思ってみてたところにばっちり流星が現れたのが嬉しかったね。BINGO。
4時に現地をでて、5時には帰ってこれた。渋滞知らず。真鶴で見た友人は、5:30にでて、藤沢についたのが8:00だったそうだ。横須賀でみた友人は5:00にでて、横浜についたのが7:30くらい。鹿島でみた友人は6:00にでて、高津に9:00だったらしい。あっちこっちで獅子座渋滞が起きたらしい。そういった意味では、自分のチョイスはよかったね。
TOEIC
てなわけで 2:30睡眠で臨んだTOEIC。9:30出社でなんとか寝ずにできた。出来は、去年よりはできたような気がする。英会話学校効果か?
踊る大捜査線 the movie
しかしTOEICで集中力を使い果たしたあと、廃人同然(^^) これじゃ仕事にならないので 15:00に退社。兼ねてからねらっていた「踊る大捜査線」を見に行く。まあ、平日の 16:00の回だってーのに、席はほとんど埋まっている。人気だねえ。
内容のほうはというと、、、これはいいねえ。ほんと。超お勧め。笑いあり、涙あり。久々に泣けたよ。
please tell me がつん
さて、さっき NEWS23でクリントン大統領が出ていた。あれー、いつのまに来日してたんだ。しかもなんで筑紫哲也の番組にでてんだ?
それはそうと、視聴者代表の出席者が質問する。ここで I'd like to hear your honest opinion. please tell me がつん ということで、がつんと英語でかましたのは3人、全員女性だった。うーん、なんでだろうねえ。でもさ、英語で質問されるとその音って、副音声で流れないんだよね。質問内容がわからーん。まあ英語きいたところで、わからんのには代わりはないが、ただTV局がそういう事態に備えてないというのが気になった。日本人は全員日本語で質問するとでも思っていたんだろう。いやいや、もうそんな時代じゃないみたいだねえ。
英語で質問したひとは、きっと帰国子女か、留学経験者か、海外経験がある人に違いない。純粋に日本から出たことがないひとで、あそこまで話せる人っているのかなあ? というか、日本の学校教育だけであそこまで話せるようになれるのかな? ちょいと、いやかなり疑問だね。べつに学校もただじゃないし、お金払っているわけだから、ちゃんと身につくよくつくじゃないと、時間もお金ももったいない。
それにしてもクリントンの英語って、凄くシンプルで、聞き取りやすいね。意味はほとんどわかんないけど(^^;
USAの大統領くりんとんと日本の首相のおぶちくん
筑紫哲也も最後にまとめてたけど、おぶちくんに今度は出て欲しいね。一国の総理たるもの、誇り高くいて欲しいものだ。プライドだけ高い、派閥の操り人形はもういらないよ。
11月 15日(日) 晴
間違いだらけな車選び本
徳大寺なんちゃらがよくかいている「間違いだらけの車選び」本。最初出た時はかなり衝撃的で売れたらしいが、どーもこの本、怪しい。なにが怪しいって、独断と偏見はともかくとして乗ったこともないのにボロクソにかくんだよね。とくに自分の乗っている車や、好きな車がけなしてあると気分は最悪。車なんてのってなんぼなのに、こんな本がまかりとおる世の中ってなんか間違ってるよ。
車は乗らなきゃわからない
最近でた「間違いだらけの外国車選び」での「ロータスエリーゼ」のくだり。試乗もしたことがないときっちり前置きした上で、「このような車は 3000kmも走るとガタがきて、修理しなきゃいけなくなる」とか、「衝突安全性に配慮がなく、ぶつかったり間違いなくぺしゃんこだ」とか、憶測で記事をかいている。確かに評論家様が乗ってきたさまざまな車に似たものもあっただろう、その似たような車がそうだったかもしれない。しかし、このページは「ロータスエリーゼ」に関しての情報を載せるべき場所だ。それに憶測だらけの駄文を載せられていたのでは、読んだだけ損した気になる。立ち読みでも時間かえせといいたくなるね。
アルテッツァは??
トヨタが満を持して世に問う FRスポーツセダン アルテッツァ。期待しているファンも多いだろう。実際自分を含め、モータースポーツやっている関係の人の注目度も高く、期待度も相当なものだ。本日友人が購入を考えて 3Sエンジンのアルテッツァに試乗するというので、喜んで横浜は金沢まで足を運んでみた。
試乗車が少なく、特にスポーツモデルの 3S-GE搭載モデルがあるディーラーは少ないらしい。今回の試乗車は 3S-GE、 5速AT Z-edition。まずは購入を検討している友人が試乗。つぎに自分が変わって試乗。試乗コースが予め決められていて、ディーラーの回りの道を一周するだけ。その中でわかったこと。
信号が青になり、アクセルを全開。もわーとトルコンのスリップロスを感じながらエンジンの回転数の上昇を感じる。だんだんとエンジン音が上昇し、パワーがそろそろでてきてもいいんじゃないのかなというところでタコメーターを見る。するとなんともうレッドゾーン寸前。そしてシフトアップ。つまり・・・
パワーがない
なにがないって、盛り上がりも、トルク感も、パワー感もなにもない。あるのはアクセルのつき(レスポンス)だけ。しかしトラクションにつながらない。試乗車がATだったせいもあるが、Zエディションで17インチ 40タイヤで見た目凄いのに、じぇんじぇん走りませんがな。いや、これはきっと友人がのっているツアラーV 2500ccツインターボ280psや、ジムカーナ仕様シビックタイプR 185psと無意識に比べてしまっているだけに違いない。そりゃ 2000cc DOHCで、 車両重量1360kg+大人3人載せてるんだから遅く感じるのも仕方ないのだろうか。と逡巡しながら友人とファミレスで検討会。そのファミレスを出るとき、道をいく一台の車が目に止まった。
ホンダDNA、アコードSiR
そう、その車はアコードだったのだ。アコードはFFとはいえ、ちょうど 4気筒 2000cc DOHC VTEC、AT仕様もある。大きさもアルテッツァなみだ。そうだ、これと比較しよう。そこで早速ホンダクリオへ。しかしちょうど試乗車が出払っているという。そこはやる気のあるセールスマン、早速他店へ連絡して試乗車を持ってきてくれるという。アコードは今までカタログみたことなかったけど、2000cc DOHCで、180ps(AT仕様)だ。車重は1320kgでほぼ同じ。ふふん、睨んだ通りだ。カタログスペック的に考えればアルテッツァと同じくらいに感じてよいはずだ。
今回もさきほどと同様に、ディーラーの人を含めて3人で乗車。しかし今回は好きなところを好きなだけ走ってよいという。高速道路にのってかっとんでもいいらしい。とはいえ、とりあえずそのへんの道路を走ってみた。
アクセル全開フル加速。やはりNAのセダンはセダン、まあ出足はさほど違わない。ある程度車速がのったところでそろそろパワーがくるかなとタコメーターをみた。ばっちり 5000回転強。そのままアクセルを踏み込んでいるとVTECが高速カムに切り替わり、さらにパワーを引き出す。これだよ、これ。この盛り上がりとパワー感だよ。明らかにアルテッツァよりもパワーがある。いや、アルテッツァがないというべきか。
ためしにサーチをかけてみたら、こんな記事発見。 やっぱりね、そう思ったのは自分達だけなないみたいだ。 色々原因を考えてみた。
3S-GEエンジンが F20Bエンジンにはかなわない
所詮は古い設計の 3Sエンジン。最新F20エンジンで、しかもバルブタイミングだけでなくリフト量までかわる仕組みの VTECにはパワー感でかなわないということか?
FRのフリクションロス
FRはエンジンからの出力を後輪まで伝えるのに、プロペラシャフト、リアデフ、ドライブシャフトを介する。たいしてFFはドライブシャフトのみ。この点であきらかにフリクションロスが大きい。
タイヤがオーバーサイズ
アルテッツァが 215/40 R17なのに対し、アコードは 195/60 R15。アルテッツァはブレーキも大径を装着しているため、バネ下重量が重く、フリクションロスとなっている。
ATのトルコンロス
ATの宿命ではあるが、トヨタのATの方が乗り心地重視で、変速ショックを抑えるためにトルコンが柔らかいのではないか?それにしても5速ATだというのに、全然意味がないが、、
以上のことにより、きっとアルテッツァのATには期待してはいけなーい。思ったよりも全然はしらなーい。
じゃあハンドリングは?
開発主査こだわりのハンドリングはいかに?ハンドリングは町中の試乗ではためせなーい。いくらニュルで鍛え上げたとはいっても、町中で走るだけではまったくわからないに違いない。ブレーキもタイヤもそう。17インチホイールに大径ブレーキディスクはいらんだろう。そう考えると3SエンジンのAT仕様はかっちゃいけないね。どうも評論家の間でも6気筒モデルを薦めているようだ。
とはいえ気になる6速MTモデル
期待してただけに、期待おおはずれだったアルテッツァATモデル。残る希望は6速MTモデルだけであり、その活躍の場所は町中ではなく、17インチホイール&大径ブレーキが生きるサーキットでしかありえない。はやく筑波サーキットのインプレッションがみたいね。
以上、車はのらなきゃわからないでした。あ、ちなみにアコードはアルテッツァよりも約50万円安い。FRでドリフトするならともかく、AT仕様じゃあドリフトどころじゃないからアコードがお勧めだよ。
11月 14日(土) 晴
公共性
公共性がある、なしについて、思うこと。公共性とは、自分と他人がいて初めて構成されるものが「公共」の場であり、その秩序のことを「公共性」という。秩序とは、その場を守るための力であり、秩序がなくなればその場を構成しつづけることは不可能だ。
インターネット上(WWW)でこうやって日記のようで、エッセイのようで、つぶやきのようで、単なる自己満足のテキスト化であるところのHTMLを公開することも、ひとつ公共の場へのデータの提供という意味で「公共性」が求められるものであろう。公共性が求められるということは、インターネットでの秩序を守るということである。WWWではユーザーが自由にデータの提供者のデータを見ることができる。これがWWWの公共性であり、秩序である。それは即ちどういうことかというと、ユーザーを基本的に平等に扱うということだ。
「のまのしわざ」の危機 !?
なんだかんだいって11ヶ月もの間に好調(?)に連載をつづけてきたこの「のまのしわざ」に、重大かつ緊急な危機が生じてしまった。ことによると連載中止も有り得る非常事態だ。そ、れ、は、、、
親がこのページを読み始めたことが発覚!!
あげくに感想までメールでよこすこの状態。やばすぎる。なにがやばいって、親不孝なこの息子、帰省はしない、電話はしない、隠し事はするという、超秘密主義で今まで親不孝で(親的に)非倫理的なことを重ねてきたことをすべて白日の下にさらした、このページを見られてしまうとは! 王様の耳はろばのみみーーーーっていってたのを人に聞かれてしまったかのような衝撃だ。
しかしインターネットの公共性を考えたときに、読む人が親、兄弟、友人、知人、その他の人の区別をしないのが普通だ。そんな、親に見られてまずいことを載せていた今までのスタンスを崩してしまうのであればそもそもWWWにページを公開すべきではない。とはいうものの、なーんかいやだなあ。なるべく読まないでね>親
親という存在
ちょうどいい機会だから、親の存在についてかいとこ。うちの家は両親とも熊本出身で、変わり者。父親は非常に公共性意識が強く、まあ昔ながらの大黒柱的存在でいうことはすべて正しい。母親は何本かネジが抜けてて、いわゆる常識が通用せず、常識はずれな行動を多々し、その行動力には舌をまいたり、腹をたてたり、呆れたりする。そんな親と生活していたおかげで、うちの兄弟3人はそれぞれ全員が独立的で、自分の考えを元に行動する、自分本位な奴等になってしまったらしい。一家5人集まったのはいったい何年前のことだろうか(^^; すくなくともここ5年はないな。9年前くらいかな?
おっと話しがずれた。ようはじつは父親には頭があがらないんだよねえ。父親のいうことはいつもすべて正しくって、間違いがない。非常に常識的で、客観的な判断を下す。だからこんなことやっているとぼっこぼこにいわれるんだよなあ。まあ父親は文句はいうものの、干渉はしないからまあ読んでないことを祈るだけだ。
ダイスキ!でホームステイ
長らくダイスキをみてきたけど、ホームステイは新しい企画だねえ。かなりいけてる。これくらいの英語だとわかるねー。やっぱホームステイって英会話には効果的なんだろうなあ。今なら行ける精神力をもっているけど、学生のときはそんなこと少しを思わなかったなあ。とかいって、うちの母親、50歳前後でホームステイにいったんだよな。おそるべし・・・
で、ダイスキでは日本にいるイギリス人のおうちにホームステイに行ってるわけだけど、面白いことが。さすがイギリス人、庭にはハーブが。さすがガーデニングの国。ところがその横にあるクルマは TOYOTA LandCruiser。あれー、RANGE ROVERじゃないんかいな。まあ日本でのコストパフォーマンスを考えたら、ランクルだよな。湾岸戦争で大活躍した、米軍が認めたランクルだからね。
サスペンションマジック
何がよいサスペンションなのか。最近はずぅーっとそればっかり考えている。昔の全日本ジムカーナのビデオひっぱりだしてきてみたりしてみたけど、前はわからなかった車の動きがだんだん見えてきた。サスペンションがどう動いてクルマが動いているか、前に比べるとわかるようになってきたぞ。うん、進歩だ。やっぱり人間、進歩するもんだねえ。努力あるところに、進歩あり。同じだけ英語やれば上達すんのかな。来週は TOEICの試験なんだよな。さていかに。
11月 10日(火) 晴
謎のエクササイズツール「ダイナビー」
のホームページはその名も www.dynabee.com!おそるべし、ダイナビー、いけいけダイナビー。
イニシャルD13巻
待望の13巻が出た。今回はレビンターボと、ドライサンプ仕様エンジンとして生まれ変わったパンダトレノの一騎打ちが見所。エンジンとクルマの違いだけでなく、ドライバーの意識の差が一番の見所でもある。
登場人物はボケボケ主人公 藤原拓海、そしてレビンターボを駆る 渉。拓海は中学の頃からパンダトレノでとうふは配達で峠を往復。本人の意思、やる気には関わらずの走りの英才教育を受けた生っ粋のエリートドライバー。そのためメカ音痴で、車の性能などには一切拘らない。一方の渉は昭和の車、AE86を平成の最新車種と渡り合うために悪魔に魂を売り渡し、ターボの加速を得た。同じ車種に乗る二人なのだが、考え方は対照的だ。
どうやら渉はびんぼーらしい。コンプレックスの表われとして象徴的なセリフは以下の通り。
「たのぶぜおれの 4A-Gターボ!! こわれないでまわりつづけてくれ。おまえはおれの涙と汗の結晶なんだ」
「ブルジョワメカチューンなんかにおくれをとるな!!根性みせろ」うーん、まさにプロレタリアート(^^) でもさ、いまどき86買って、ターボつけて、セッティングするのって十分お金かかると思うんだけどねえ。
渉はさらにいっちゃってしまったらしく、結構やばいことを口走っている。そのセリフとは。
「おまえのトレノから、ほとばしるオーラがおれには見える!」
いつからイニシャルDはガンダムになったのか? それともダンバインか??(^^;
まあそれはともかく、すごく人間くさいやつだよ、この渉ってキャラは。86乗りにこういうモチベーションの奴がいるかどうかはわからないけど、負けん気が強く、しかし自分のできることはかぎられていて、その中で最大限の力を発揮しようとする、その気力。人間として魅力的だ。でーも結局英才教育エリートドライバー拓海が勝っちゃうんだなあ。
湾岸MIDNIGHT 12巻
そして同時期に湾岸MIDNIGHTもでた。この巻は 800馬力までチューンされたモンスタースープラと、悪魔のZとの前哨戦。すべてが一流の手にかかった車は超一流。しかしその性能を引き出すのはドライバー次第。最後まで踏めるか踏めないか。踏み切ることで今まで見えなかったことが見えてくる。それは神の領域か、悪魔の領域か。そして元首都高仲間のチューニングについての象徴的なセリフ。
「走り屋とか、チューニングとかいうモンがいかに無意味でばからしかってコトに(気づく)」
たしかにね。お金はかかるし、命もかけるし、失うものは多い。でもほんとにそうなのかな?踏み切ることで見えなかったことが見えてくる。その領域を垣間見た人間は似たようなセリフではあるけど、きっと違うセリフになるんだろう。
競技のためのチューニング
ジムカーナをはじめて5年半。最初は2年でやめるつもりではじめた。ジムカーナをやるということ、スラローム競技をやるということは車を改造し、練習する必要がある。軽量化のために、エアコンなしは当たり前。パワーウィンドウすらついてない。後部座席もいらないから外し、定員は2名となる。車高をさげ、スプリングは強化、ダンパーも合わせてきつくする。乗り心地はサイアク。エンジンマウントを強化して騒音は増す。やればやるほどハンドリングはドライバーの意志に近づき、快適性はなくなっていく。お金をかけてある部分を失い、ある部分を得ていくのだ。
それに最初から気づいていた。気づいていたから2年でやめようと思っていた。しかし2年ではやめられなかった。理由は簡単。下手のままだったから。シード選手になること、それが一つの目標。3年でBシード選手となった。目標はクリアできた。しかし辞めなかった。なぜか。まだ何も見えてなかこなかったから。ドライビングも、車のセッティングもそう。その後2年ほど成績も向上せず、張り合いも、やり甲斐も薄く、ただ惰性で続けていたような気がする。
ずっとシティに乗っていた。シティを選んだ理由、ランニングコストが安いこと。競技用のタイヤでも1本1万円。しかも減らない。燃費もよい。チューニングするところが少ないから、戦闘力のあるクルマにするのにも安い。すべてが安上がりなクルマ、それはシティだった。シティはたった 100馬力しかないものの、筑波を 1'12"で走れるクルマだ。そんなシティでずっと続けること、それもよかったかもしれない。でも刺激はだんだんとなくなってきていた。
そんなときだ。元SMEの人で、当時衛星インターネット会社の社長に出会ったのは。55歳くらいの社長は29歳の自分や友人より、ずっと生き生き見えた。どうして? 何が違うんだ?? その社長は仕事はもちろん、趣味の英会話を実に楽しそうに話していた。つねに何かに挑戦しつづけること、攻めの体制、それが大きな違いだと感じた。その社長に比べてなんて自分の保守的なことか。一体何を守るものがあるんだろう。自分には守るものなんて、何もないのに。
そう感じた時、迷っていた車の買い替えを決心した。シティからシビックRへチェンジ。大きな賭けだ。お金はシティの倍以上かかる。シビックRが競技車として戦闘力があるかどうかなんて、まだわからない。そんな車に貯金をはたいていいのか? 人生は一度きりだ。きっと今、この瞬間にシビックRを買わなければきっと買うチャンスは二度とないだろう。そして見えないまま競技を終えてしまう、そんな気がした。
シビックにしてどうだったか。まあ、実によくお金がかかる(^^; タイヤ代は2倍以上だ。燃費もシティに比べると悪い。車高が下がったので高速道路をよくつかい、これまたお金かかる。でもね、お金では得られないものがえられた気がするし、わからないことがわかってきている。経済面ではぜったいにお勧めできない趣味だが、ホンキでやればやるほど面白い、奥の深いもんだよ。来年には結果を出したいね。
ラリー屋は凄い
久々にラリー屋さんと林道に練習にいった。ラリー車の車の横に3年ぶりに乗ったけど、やっぱすげー、こえー、おそろしー。1車線しかない峠道で、なんであなたはドリフトしてんの?? グリップ走行なんて一切してない、全コーナードリフト。遅い、パフォーマンスだけのドリフトではなく、早い、前に出る Fドリ。うげー、恐ろしすぎる。でもなあ、ここまでクルマを仕上げて、ドライビングしてこそ競技に勝てるんだろうね。自分もそうなれるんだろーか・・・ なれるかもしれないけど、林道でドリフトはしないぞ。
11月 8日(日) 晴
謎のエクササイズツール「ダイナビー」
会社の後輩がみょうちくりんなモノをもっている。ルービックキューブが好きで、ルービックキューブシリーズや、派生して四面体のものとか、そーゆーのを集めている。最近は地球ゴマもお目見えした。そして満を持して投入されたキワモノが「ダイナビー」である。
ぶいーーーん
ジョンが丸い物体をもってくるくると手首で回している。物体からはブイーンという、はちの鳴くような音がでている。そこへメアリーが登場。
メアリー「ジョン、一体なにしている?」
ジョン「ああ、メアリー、いいところにきた。これはね、ダイナビーという、まったく新しいエクササイズツールなんだ」
メアリー「ふーん、そうなのお。で、いったい何に使えるの?」
ジョン「よくきいてくれた。これは一見小さなボールにしかみえないんだけど、こうやって手首で回すだけで手首、握力を鍛えることができるんだ」
メアリー「手首を鍛えるものって、他にも色々あったじゃない。」
ジョン「メアリー、今までこんなことはなかったかい。例えばバネを握る、握力増強ツールがあったよね。あれはバネの強さがその人にとって強かったり、弱かったりしないかい?」
メアリー「そうね、私にはちょうどいいものって、ジョンには軽すぎてトレーニングにならないわね。」
ジョン「そうなんだ。トレーニングというのは、その人にあった筋力に合わせた負荷をかけなければならないからね。その点、このダイナビーはこれ一個だけで、子供から大人、男性女性問わず使えるツールなんだ」
メアリー「あらジョン、またまた冗談ばっかりいって。そんな都合よくいくかしら?」
ジョン「はっはっはっ! 君がそう思うのも無理はない。これは NASAの科学者が開発した画期的なものなんだ。ダイナビー自身は重さはさほどないけど、こうやって手首を回せば回すだけ重くなっていくんだ」
メアリー「 あらあらジョン、また冗談をいって。重さがかわるものなんてあるわけないじゃない」
ジョン「そこがNASAの技術力だよ。中に回転するボールが埋め込まれていて、これが回転すると回転するだけ重くなっていくんだ。つまり、手首の力で回しただけ、負荷がかかるんだ。ちょっと君もやってごらん」ジョンがメアリーにダイナビーを渡す
メアリー「なに、これジョン。なんか暴れているわ」
ジョン「そう、回転数が上がれば上がるほど暴れるようになるからそれを握力で押え込んで、さらに回して回転数をあげるんだ。そう、その調子だ」
メアリー「なるほど、回転があがると音も大きくなっていくのね。これは面白いわ! 楽しみながらエクササイズができるってわけね」
ジョン「そう、それにその人の筋力以上には回転させることができないから、トレーニングのやりすぎということも起きない。」
メアリー「もう疲れてきたわ。結構くるのね」
ジョン「そう、だから毎日たった5分これを楽しむだけで、驚くべき効果が発揮できるんだ。」
メアリー「なんてすばらしいんでしょう!ところで、これは一体どこで手に入るの?」
ジョン「そうだなあ、横浜でいえば東急ハンズ B1Fのスポーツフロアだ。ダイナビー、ダイナビー TURBO PROのほかに回転数カウンターがついたものも置いてある。回転数カウンターがついているとその人の筋力を測ることができるんだ。どこかの会社ではフレックスボードでランキングしてあるという話だ。
メアリー「それじゃすぐ買いに行かなきゃ」
:
:ということで、ダイナビーとはこんなもので、こんなホームページもある。 お値段は 3800円か、4800円くらい。効能は幅広く、特に Get the Competitive Edge! とう称してテニス、野球、ゴルフ、格闘技、バスケ、鞍馬、さらにキーボードタイプに効くらしい。Competitiveなキーボードタイプって一体どんなんだろう??
ちなみにこのダイナビー、回し始めがひっじょーに大変。コツを掴むまで練習あるのみ。できれば回せる人に教えてもらうのがいいでしょう。一回まわせればあとは持続、回転数アップは簡単。
なんでも解決、怪傑ゾロ
ただ券を持っていたのでスピルバーグ presents B級映画を見てきた。ゾロといえばアランドロンのゾロだが、それをリメイクしたのではなく実質その続編というか、another storyというような作りになっている。脚本、演出はなかなか完成度が高い。出てくるキャラクターは粋で、いなせな感じで、見ているものを引き込む。witに富んだ会話はしてくれるし、ただ券でここまで楽しめればOK。
ところどころに見え隠れする日本風「時代劇」っぽさがまたよい。効果音や、ちゃんばら風景っていったものは、まさに日本風。一人でそこまでバッタバッタと斬れるかいなという感じだけど、日本人好みでしょう。
踊るひとびと
本当はゾロをみたかったんじゃなく、「踊る大捜査線 the movie」を見たかったんだけど、すごいことになっていた。長蛇の列&立ち見状態。映画を立ち見するってのはどうも性にあわない。作品へ没入するには、回りの一切の感覚を断ち切って一番リラックスした状態でいたいものだ。例えばトイレにいきたかったり、暑い、寒いとかの身体的感覚や回りがうるさかったりして飛び込んでくる現実のさまざまなことは避けたい。平日に見に行くか、ビデオになるのを待ってから見るかかなあ。あーあ、今みたい、すぐみたいのにー。
11月 3日(火) 晴
ぜんぜんアンダーじゃん by 社長
ようやくシビックが曲がる車になってきたと思っていわれた言葉がこれ。あーあー。まだまだ先は長いらしい。ということで、今日は 笹子峠、都留、道志、宮が瀬、ヤビツを走り込んできた。
峠とハッキネンとシューマッハーと
F1の因縁の決着がついについた。F1のシリーズチャンピオンは優勝でハッキネンに。F3時代の最終マカオグランプリでシューマッハーの車に追突してチャンピオンを逸したフライングフィン、ハッキネンはその雪辱を晴らした格好だ。さて、ここでフライングフィンとは?
フライングフィンとは「空とぶフィンランド人」のことだ。F1はともかくとして、ワールドラリーなど多くのレース界にフィンランド人が活躍しており、彼らの速さに敬意を表して使っている。フィンランド人は空とぶくらい速いのだ。しかしどうしてフィンランド人はそれほど速いのか? フィンランドはご存知の通り、北欧の国。スカンジナビア半島に位置し、一年の多くは雪に覆われている。しかも超田舎、なにもないらしい。そうなるとやることは一つ、この雪の中をクルマでかっ飛ばすのが唯一の娯楽(^^;
そんなこんなでフライングフィンは世界へ旅立ち、あちこちのレース界で活躍するのでした。とくにラリーは強い。なんてったって、ドリフトしたくなくても滑る雪の上で運転してるもんだから、テクニックは超一流。
日本人は運転が下手
日本人が世界で活躍できない理由は簡単。みーんな運転が下手なのだ。ホトトギスと一緒で、うまいやつの側にいるとうまくなるけど、下手に囲まれていると、上手くなれない。車は一流、腕二流と揶揄されてしまうニッポン。はて、それはどーして?
理由は簡単で、コーナーを曲がるのが下手なのだ。コーナーはどこにあるかというと、交差点にもあるけど、交差点はコーナーを曲がるというよりも、進行方向を変更する役割が重要で、しかも安全を確認した上でハンドルを切って曲がるためコーナーを曲がるのとは根本的に違う。コーナーを曲がるという意味ではもっとも重要なのが峠だろう。峠はコーナーの宝庫である。峠はコーナーが連続する。峠をうまくはしることができれば、コーナーを上手く曲がることができるといえよう。
峠が死んでいく
そんな峠がどんどん死んでいっている。峠が死ぬとはどういうことか。タイトコーナーが連続する、いわゆるつづら折りの道が峠なのだが、それが橋やトンネルによってどんどん直線化させられていくのである。直線化する理由は簡単で、その方が交通量を増やせるし、事故も減らせると信じられているからだ。直線化した結果、峠は信号のない田舎道と成り果て、町中を走るのと同じような感じでドライバーは走ってしまう。
直線化した峠の危険性
直線化した峠のなれのはては憐れだ。走りやすくなったために平均速度は自然とあがり、運転の下手なドライバーさえも通るようになり、交通量は増しことにより、事故は増加する。しかも速度が上がっているため事故も深刻化する。それまでは速度が遅いため接触事故で済んでいたものが、人身事故に発展する。
運転の下手なドライバーはいつの世でも存在する。当たり前の話だ。だれもが初心者ドライバーから初め、経験を積むこと、トレーニングすることで腕を上達させる。これはスキーと同じで、滑走日数がスキーヤーの腕の目安ならば、ドライバーも運転距離に比例して上達する。しかし高速道路や町中を走っているだけでは、直滑降をずっとしているようなもので、いつまでたっても綺麗なパラレルは描けないのだ。パラレルを描く、つまりコーナーを曲がることを習得するには峠を走るのが一番の早道だった。
しかし、今は本当の意味での峠はめっきり少なくなってしまった。そして日本人は総じて下手になっていくのである。そんな中で世界に通用するドライバーはなかなか出難い。
直線だらけのアメリカ人はどうだって? 確かにアメリカは直線だらけだ。だからアメリカ人は F1のようなくねくね曲がるレースより、ドラッグレースや、最高速チャレンジとか、オーバルコースとか直線が好きなのだ(^^)
人間シューマッハー
ハッキネンをずっと脅かし、そして最後の最後まで逆転を信じて攻める手を緩めなかったシューマッハーの今シーズンのドライビングはすさまじいものがあった。それまでマシーンと呼ばれるなど、ドイツ人にありがちな感情を抑えこみ、冷静にドライブするというイメージがあったが、今シーズンはまったく違った。スピン、コースアウトの連続の中でのベストタイム更新。限界を超えてのドライビングは昨シーズンまでの「ミスをしない」ドライブとはまったく違ったスタイルだ。そしてはじめて、シューマッハーの勝利に対する執念を感じた。確実な仕事をして、その結果として勝利がついてくるというスタイルではない、とにかく勝ちたい、負けたくない、そのためにはどんなことでもやってやるという強烈な意識がドライビングから伝わってきた。そして最終戦鈴鹿で最後尾スタートから3位まであがりながらマシントラブルでリタイア。その無念さ、悲しみは痛いくらいだ。痛い、そう、シューマッハーはマシンではなく、人間だったのだ。
負けず嫌い王選手権
競技ってのは基本的に負けず嫌いがやるものだ。とにかく勝ちたい。負けたくない。理由なんかいらない。ただ勝ちたいだけ。勝利に貪欲なやつほど、勝利を得ることができる。
ということで、レーサーは女の子にも貪欲だ。土屋圭市などは、毎回違うおねーちゃんを連れて歩いているらしい。しかもどっかにフケる(^^) 星野一義もかなり好きらしい。一方イメージと違ってストイックなのが近藤真彦(情報源:チーム ADVANのドクター)。ということでわかってきた。レーサーは好きものであればあるほど、レースに強いらしい(^^)