DIALY OF August 2000


8月 31日(木)晴


ぜんぜん落ち着かない

ってのは自分の人生そのものって話もあるけど、なんだかまるで生活が立ち上がってない今日この頃。

順番がへん

普通の(国内の)引越しは達人、何度もやってなんでも大丈夫なつもりだが、ここは異国の地。英語の砂漠、なにをするにも障害が多い。英語を喋らなきゃいけないってのがすでに苦痛なのでそれだけで行動は後ろ向きになってしまう。

そんな気を奮い立たせて、やらなきゃいけないことといえば、、、

  パスポート以外で必要なもの
Social Security Number(SSN) 住所
住所 銀行口座
銀行口座 SSN

アメリカには戸籍制度がない。そこでアメリカ社会で本人を特定するためのものとして、そもそも日本の国民年金、厚生年金にあたる、年金制度のSSNを使う。さてお気づきだろうか。この表には矛盾があるのだ。これでは永遠に何もできなーいっ!

今回、家は日本人の大家さんから直接借り受け、審査がなかったので銀行口座を作る必要がなかった。とりあえずこれで話は進むが、どうやらSSNはなかなか作らせてくれないらしいし、大学のインターナショナルオフィスでもshould notだといわれた。そりゃそうだよね、学生としてきて、収入もなく、年金を払うことも、受けることもない人間にどうしてSSNの処理を負担しなきゃいけないんだ、という論議からSSNをとることが難しくなっているという。実際SSNをとらずに済んでいる人もいるが、携帯電話などは未だSSNがないと非常に入手が困難だという。

なんだか不自由な国だ。

銀行口座の開設にはやはりSSNがあるほうがスムースらしいが、パスポートや大学の近くであれば大学のIDカードでもよいらしい。というか、銀行口座くらいかるく開設させてくれよな。まあ口座維持料を取る国なので、口座作ってほったらかしというわけにはいかないようだ。

お金がない

日本にいるときにCITIBANK虎ノ門支店に口座を作り、ドルカードなる、ドル決済ができるものまで作った。これで万全と思ってアメリカに乗り込んできたのだが、、、大失敗。というのも、勢いあまって貯金ほとんどをドル決済用の口座(マルチマネー口座)にシフトして、普通口座の円を少なくしていたら、アメリカでCITIBANKからお金を下ろすときに使う口座はこの普通口座の円から、そのときのレートを利用してドルにしてくる。

つまり、マルチマネー口座はなんの役にもたってないのだ。

しかもこのドルカードのキャッシングをしてお金をひきだしちゃろうと思ったら、なんとPINが違うという。そういえばこのカード、自分で番号を登録するんじゃなくって、かってにアサインされて書類に記載されてきたような気がする。ついでにいえばその書類は引越し荷物の中だ。さらにいえば引越し荷物はまだ届いてない・・・

ということで、突然貧乏になってしまった。おろせる現金がない。キャッシングもできない。どうすりゃいいんだ?このホームページで「ワンクリックで1ドル(現地通貨で)寄付」とかいう機能があれば、きっと心やさしい1000万人の読者がワンクリックしてくれるからあっというまに1000万ドルをゲットできるはずなのに、どうしてそういう機能が今ないんだろう。

乞食かストリートミュージシャンか、大道芸人か行商か

ニューヨークには日本ではすでに絶滅した乞食という職業の人がいる。階段の踊り場で缶に小銭をもらうべく、一日座っているのだ。また地下鉄のホームや車両の中に同じくお腹がへった(hungry)、小銭頂戴という人もいる。が、なかなか恵む人はいない。

この「お腹へった、へった、へった、小銭頂戴な、ベイビー」と、ラップ調にハモりはじめると立派なストリートミュージシャン、一気に小銭投入率が上がっていく。

さらに芸術的になっていくと小銭がDIMEからQUATERになり、さらには$紙幣まで格上げになるのだ。

地下鉄に乗っているとさまざまな人がいる。DURACEL乾電池をもって売り歩いている人や、なぞの雑貨をぶらさげている中国人風の人までいる。乾電池は結構気が利いているかもしれない。ウォークマンとかちょうど電池を切らしていたら買ってしまうもんな。

観光地では圧倒的に大道芸人。こうなるとtipか、donationとなる。中にはtipを入れない間はずっと固定していて、tipを入れると動き出す大道芸人とかもいる。暑い中、ずっと立ったままなのは大変に忍耐のいる話だ。バッテリパークでは、黒人のパフォーマーがヨガを見せていたのだが、donationは

chineseは1ドル、japaneseは2ドル、koreanは3ドル、ヒスパは4ドル、blackは5ドル、whiteはそれ以上

と叫んで笑いを誘っていた。しかしこれは一体どういう順番なのか、非常に意味深である。士農工商みたいなもんなんだろうな。となると日本人は士農工商の商以下ってことだ。

1クリック1ダラー

ってやっぱ悪くない案だな。ここにカード番号の登録がぁとか、入ってくると逆に1ドルもらわないとやってられないよって話になってくる。どうしたら簡単に送金できるようになるかな。PCの横にプリペイドカードさして、そこからクレジットが減るって仕組みが簡単でいいな。

ところでお金は?

やばいってんで、CITIDIRECTで口座の残高を調べたところ、まだドルに換えてない円が30万円残ってた!これでとりあえず当面の家賃と生活費はなんとかなる。しかし、為替レートと手数料から、1ドル111円くらいで換金されるので、非常に高い手数料をとられる。10万円をドルにすると、4000円くらいをこの為替マジックによりCITIBANKに吸い取られる仕組みなのだ。ちくしょー、だまされたー。きーっ!

明日は銀行へいって口座作ろうかな。SSNないからきっとまた大変なんだろう。


8月 29日(火)晴 (当然NYの天気)


あれから 1week

あれとはNYに到着したことである。とにかく、まだ1週間しかたってないのか、というのが実感。余りに色々なことがありすぎて、考えすぎて、書ききれない。しかしすぐに忘れてしまうので書き留めておこう。

NYに到着

NEWARK空港に到着。インフォメへ直行し、Sheraton NYにいきたいと告げるとバスのチケットをもらった。バスを待つためにバスストップへ向かうがまだこちらは夕方5:00pm。日はさんさんと照らしている。5pmに飛び立って5pmにつくなんて、ほんと遠いとこだよな。バスは途中、シャトルに乗り換えてホテルでdropしてくれるとのことだったが、このシステムを理解するのは相当あとのこと。シャトルに乗り換えるといっても、このシャトル、たんなるワゴンで、行き先いえっていわれてもなあ、物怖じしてなかなかいえないよ。まあ2度も叫んだから一応伝わった。

ホテルについて、名前をいうと、ちゃんと予約がされていたのでキーもらってスムースに部屋まで入れた。とにかく寝よう。なんていっても風邪ひいて、飛行機の中の冷房といい、このシェラトンの冷房で体調は完全に風邪モード。jetlag(時差ぼけ)で行動できないのはダメだから、明日はちゃんと朝におきるぞ。

初日

7amにおきた。朝からダイアルアップの環境を整えて、メールを読む。これで連絡をつけるのは完璧。そして9amにホテルをでて、まずはNY散策だ。セントラルパークからBroadwayを歩く。歩く、あるく。歩くこと1時間半、今回の留学先のNew York Universityについた。腹も減ったのでそのへんに出ている屋台のベーグル、マフィン、ジュースを売っているところでマフィンとジュースを買う。近くの公園、Washington Square Parkで食べる。とても天気がよく、気温も結構高いが風はちょっと涼しい感じ。日本の夏に比べれば、秋みたいなもの。

しばらく公園でぼーとしていると体調サイアク、気持ち悪くなってきた。どうも風邪とjetlagで身体のリズムがぐちゃぐちゃらしい。1時間ほどどーにもならなくて動けない。

その後体調回復したので、また性懲りもなくBroadwayを南に向かって歩く。そのさきはBattery Park、自由の女神だ。Battery Parkからは自由の女神は見えるものの、ほんの豆粒ほどにしかみえない。NYにきたら、やっぱり自由の女神をみないことには始まらない。そして船にのって、島へ上陸。ああ、やっぱり自由の女神ってでっかいんだなあ、観光客ってたっくさんいるんだなあ。それよりなにより、NYにいるような気がだんだんしてきた。

2日目

留学先の大学にいかなきゃいかん。電話してアポをとる。学校の場所は昨日すでに把握済みなのであっさりといける。世話してくれている人のほか、いないとかいってた教授、助教授もいて、挨拶回り状態。そしてその後のことをちょろちょろと話、学生IDの話とかをした。

ちょうどそのときにいた、日本人の学生2人と友達になり、スターバックスでお茶をする。一人はちょうど卒業し、もう一人は2年目なのだが、休学するという。この人の家があくので、shareですけどどうですかという話になる。部屋探しは第一命題なので非常に重要、すぐさまその人の家に下見にいってみる。電車で30分ほどのWashington Heightsという場所で、治安の悪い場所とされているところだけどいってみると全然雰囲気はよい。

部屋は広いし、リビングも広い。roommateは2人とも同じ学科の学生だという。shareする環境としては申し分なし。治安の面だけが気になるが、値段も安いし、いい物件がなかったらここにしようと思った。

3日目

とはいうものの、へやさがしはしておこう。さて、どうしよう、まずはNew York UniversityのIDをとるか。なんとかIDはとった。Off Campus Housingという場所で物件を斡旋してくれるらしいがちょっとそこはよらずにずんずんと街を散策する。East Villageから、チャイナタウン、国連本部。チャイナタウンは、、、別途紹介しよう。

チャイナタウンから遠くにでっかい2つのビルがみえる。これがうわさの World Trade Centerビル。こりゃあがっとかなきゃ。

4日目

そんなとぼけた部屋探しもないだろうということで、Off Campus Housingへ向かう。NYUのIDを見せるが、IDが studentではないということでvalidじゃないといわれた。一応肩書きは visiting scholarで、普通は使えないらしい。とにかく学科へいけといわれたので、そこはどこだときくと、おれは知らないといわれた。それはそうだよな、自分がどの学科に所属しているかはそこのofficerはしらないもんね。

学科に行き、事情を話すとレターを書いてくれた。このレターをもっていくと、それは黄門様の印籠のよう、顔パス状態。PCで物件を検索するとまあ相場は$1300から$1800くらい。たっかいよなあ。ちなみにshareの物件は$650であった。

が、ここで重要な問題が。この物件、連絡先の名前と電話番号が書いてあるだけ。電話してアポとって内見して、契約して、、、それは当然すべて英語だよ。そんな英語力と度胸があったら米の国まで来ておらん。無理だ。

一応物件があるであろう場所をうろうろとしてみた。Upper East Sideはセントラルパークのeastで、metropolitan museumがある場所。このmetropolitan museumの目の前にその昔ソニーの創設者盛田さんが住んでいたということで、そこまで行ってみる。確かにUpper Eastはいい場所だ。が、その一等地に住むって凄いことだよ。当時はソニーなんて2,3流の電気メーカー。海外進出だってしたばかりの頃。しかし、アメリカでものを売るにはアメリカへいって、アメリカ人の嗜好を探らないとの思いからのNY赴任。先見の明があるし、その行動力には尊敬に値する。

そんなこんなでうろうろしたが、East/West Villageはちょっとごちゃごちゃしてて余り好きじゃないことが判明。結局値段の面からshareの物件にお願いすることにした。これで住む場所は決まり・・・

と、その1時間後に電話がかかってきた。なんと、roommateが突然反対して、他の人を探したいといいだしたとのこと。あいやや。shareの一番難しいところが出てしまった。一気に部屋探しは暗転、闇の中へ。

5日目

仕方がない、Real Esate Agentに頼もう。Real Estate Agentとは、日本でいうと仲買業者。Brokerともいうらしい。Brokerというといいイメージがないのだが、Agentというとなんかカッコイイ。しかし手数料は年間家賃の15%をとるという、かなり高マージンな仕事だ。アメリカには敷金礼金という習慣がなく、普通はDEPOSITといって保証金1か月分、解約時に返金されるというシステムであるので安く済む。しかしこの手数料 broker feeはかなりのものだ。が、効率よい部屋探しはこれしかない。

日本人がやっているAgentに電話をするが、アポは月曜日になってしまった。だいたいのAgentは土日休みなのでこの2日動けないのは時間がもったいない。というのも、ホテルは1週間分しか会社から費用が出ない。しかもSheraton はなんと $238/day + TAXなので、とてもじゃないけど overstayなんかしたくない。月曜日以降は他の安いホテルにしなきゃ。

そうあせって、でも街中をふらふらと歩いていると本屋の旭屋発見。まるで日本のような品揃えにびっくり。そして次に紀伊国屋発見。ここもまったく日本である。両方とも従業員まで日本人、レジも日本語での応対をしている。うーん、余り近寄らないようにしよう。ただここでヤングマガジンが入手できることを発見。イニシャルD、湾岸ミッドナイトを毎週読める、が、$5もする。ちょっと高いなあ。

ここでニューヨーク便利帖なるものをゲット。これは、まあいわゆるニューヨーク在住日本人向けの情報誌で、日本語が通じるお店やら、医者やら、入国、出国時にまつわる手続きとかの情報が載っている。この中でReal Estate Agentがたくさんのっていたので、このうち、土曜日もやっているところに電話。すぐさまアポをとって見に行った。

紹介された物件は Chelsea、Pen Stationの側というか、Madison Squareの近く。ゴジラ2の卵の場所というのかな。まったくゴジラ2と同様、messyでかーなーりーふるいとこ。pre war buildingというから、戦前の建物、築50年以上のレンガづくり。中はrenovate(改装)してあるから綺麗というが、下地処理をしないままペンキを吹き付けただけの物件。鳩が住み着いて外観は汚いそのもの。景色も殺伐、それでいて$1500/month。治安は当然悪そうだが、警察署の裏にあたるのでそんなに悪いこともないらしいが、そーゆー問題ではない。neighborhoodは重要なのだ。わけわからない白人以外の人種が昼間からたむろしていて、sidewalkがmessyなようではジョーダンじゃない。Upper East Sideの見た後だと住み気はないな。

6日目

もう、手はない。今日はやることないのでセントラルパークを散歩。その広さと人の多さに愕然。まるで砧公園と新宿御苑と代々木公園をたしたような感じ。警察も見回りをしているが、それでも昼間といえど犯罪が起きることもあるので気が抜けない。

しかしそれよりも頭痛がひどくなってきた。日本からもっていったパブロンじゃ太刀打ちできなくなってきたので、友人から教わった Advilという薬を買ってみた。これは一言でいうとほんと強力な薬。1粒しか飲まなくってよくって、12歳以下はのんじゃだめで、効かないときは2粒のんでもいいけど、一日に6粒以上のんじゃだめっていう代物。とにかく寝よ。

7日目

Sheratonチェックアウトの日。さて、どこのホテルに移ろう。頭痛はAdvilが効いたのか、かなり引いた。朝からWashington Square Hotelに連絡して予約する。そしてチェックアウトの時に届いた荷物を受け取る。荷物が増えてしまった。初めてTAXIにのり、Washington Square Hotelへと向かう。TAXIの運ちゃんは日本にもいったことがあって、結構親日派な感じ、少し話をして楽しかった。Hotelにチェックインしたが、部屋が空かない。一回下まで戻ると、かぎの入れ方がよくないといわれ、また大きな荷物を上にもっていってようやく部屋に入れた。すでに汗だく。そしてAgentに会いに向かうが、外は雨が降り出した。しかも、豪雨。傘があっても役立たず、すでにずぼ濡れ。これならTAXI使えばよかった。

Agentのオフィスに入ると、物件は今はEast VillageとUpper East Sideにあるという。各々 $1500と、$1700だという。内見は夜にはできるだろうからということで、夜にアポをとる。

教授とのミーティングと学科のガイダンスまで時間があったので、物件のあるというEast Villageへと向かう。が、ここも結構messyな感じ。地球の歩き方によると数年前までは治安の悪い場所で近寄ってはいけないとされたところだという。そこが$1500かあ。やだやだ。

大学まで歩いて戻ると、日本の食材屋に掲示板があって、よく物件が載っているという話を聞いたのを思い出した。食材屋をみつけ、掲示板をみるとかなり色々とはってある。中にUpper East Sideで$950ってのを発見。こ、これは安い。あとからきた日本人の女の子2名(姉妹か双子)も興味を示していた。こういうのはスピードが肝心、店を出てすぐさま電話し、夕方7時にアポをとる。

学校へと向かい、教授とのミーティング。もちろん英語だ、、、どういうことをしたいのか等の話し合いを約30分をして、なんだかよくわからないけどそのまま学科のガイダンスに突入。ガイダンスとはいわゆる新入生のガイダンスで、初めてみんなが顔を合わせる機会。そんな中っていうか、当然英語で話しは進むわけで、自己紹介も英語であることよ。英語で、外人100人相手に自己紹介って、はじめてのケ・イ・ケ・ン・・・・すげー緊張、心臓ばくばく。

学生はほんと色々な場所から来ている。人種も色々、アジア系も多い。ただ感心するのは、日本人を除くほとんどの人が英語がスムースだという点。というか、nativeといっても過言ではない。こりゃいかんなあ。

ガイダンスが開けてから日本人に声をかけられた。visiting scholarということで紹介されたので、すごく目立つ存在ではあったらしい。その後、数人の日本人に取り囲まれ、連絡先交換会。うわ、もう日本人同士で寄り集まっちゃったよ。でも少し安心したというのも事実。が、このぬるま湯につかってばかりもいられないだろう。

そして速攻で消え去り、Agentに電話、内見の件を問い合わせると East Villageを7時に内見できるという。Upper Eastの物件とダブルブッキングしてしまった。速攻でUpper Eastの物件に連絡し、6時にシフト。そして5:30には現地につき、まわりを見て回った。

環境ばっちり、やっぱりManhattanはUpper Eastに限る。あとは中だけ。中も狭いながら(といっても、10畳くらい)もfurnished(家具つき、ベッドつき)で、もうすぐにでも住める環境。 これはいますぐ決めるしかない、、、ということですぐに決めてしまった。

一応そのあとEast Villageの物件も内見。部屋は非常に綺麗で、1bedroomと広かったが、6Fで階段ってのと、階段自身がmessyでsmell badだったのが超マイナス。これで$1500はUpper Eastの$950とは比較対照にならないよ。Upper Eastはしかもsublet(又貸し)なので、手数料なし。DEPOSITのみなので、さらに安い。

結局この日、色々なことがありすぎ、とはいえ住む場所も決まったし、なんだかようやくNY生活が始まる予感。


8月 21日(月)晴


I have been on the plane already. すでに機上の人

現在はコンチネンタル航空の誇る、777上である。はあ、ほんとにアメリカに向かっているんだねえ。現在地はカムチャッカ半島のつけね、日付変更線を越えたあたり。人類の祖先はその昔、このベーリング海を島沿いにアメリカ大陸に渡ったという。まじかよ。

怒涛の日々

何が凄いって、機上の人になるまでのスケジュールであることよ。英会話スクールに入る、とうか、VISA申請用の書類、IAP-66が届いてからの2週間というもの、あっという間に過ぎて今日に至る。特に英会話スクールが終わったときからが大問題。

またかよ

自分は完璧なスケジュールを立てていた。8/16,17でオフィスのパッキングを行い発送。はやくあがり家のパッキングをし、8/18には家の荷物を発送。19はガレージにいき、車をおく。予備日は20日。そしてゆっくりと21日に旅立つ。

予想通り8/15にvisaがとれ、コンチネンタル航空を仮おさえしてもらった。そしてゴキゲンで16日に会社にいくと、課長から突然こんなことを言われた。

「部課長に、留学で何をするかを説明、宣言して」

はぁ〜? 部課長相手だぁ? まあ説明するのもよかろう。なんていっても部の費用でいかせてもらうんだから説明くらいはしてやるぜ。しかし時間がない。すると「今まであるのを使ってちょこちょこっとプレゼンして」。それくらいなら時間はあるか。そして17日の朝10:00からのプレゼンとあいまった。しかしその後課員にもメールがでて、課員もそのプレゼンを見るという。うー、、プレゼン相手、プレゼンの目的が明快じゃないとプレゼンなんて作れないよ。とりあえず課員にも留学制度を知ってもらうこと、そして今回の留学への経緯、目的をプレゼン資料としてまとめた。とはいえ、連日の壮行会で深夜0:30からの作成だ。2:00amまでかかってしまう。

ああでもなければこうでもない

寝不足のまま、朝9:30に出社しプレゼン開始。留学への経緯、目的を説明するまでは良かった。具体的に行う研究内容に入ったとたん、会議は紛糾、部長、課長数人がああでもない、こうでもない言い出した。それに対して説明やら釈明やら、反論やらする自分。が、何が困るって、部長と課長のいっていることが食い違っていること。そもそも課長にOKもらったプレゼンを部長に提示したところ、部長と課長の意見が正反対で課長のOKがでれば部長はNG、部長がOKなら課長は面白くないいう始末。そんなこんなでわけわからず2時間以上も続いてしまった。

これで終わったと思えばそうではない。食事へといくことになったが、これも先の部課長のいっしょでしかも同席だ。さらに議論は1時間続いた・・・

これで終わりかといえばそうではない。あの引継ぎはどうなっている、このプロトタイプは他の人がデモできないと困る、ソースをよこせ、チームはどうなった。結局その日の残りの日はすべてその作業にあてることになった。荷物のパッキングなどできるはずもない。パッキングするためのマシンを使って作業しているのだから。渡米は前からわかっているんだから、どうしてもっと前にやろうと思わないんだろうねえ。いつも間際、バタバタ。

そうして壮行会にいき、家に帰るとまた11:00pmだ。これから家のパッキングだ、、、ってできるわけない。航空便、船便、実家行きの荷物を分類するはずが、結局まるでできない。超適当。そしてスーツケースに荷物をつめはじめるが、どうも要領を得ない。そんなこんなで、、、おっと今ジュースが出た(コンチネンタル航空)気が利くねえ、、、で、朝の4:00am。次の日は9:00amには運送屋が来て荷物をさらっていくというのに。

運送屋は走り屋

9:00amきっかりに電話がなり運送屋が攻め込んできた。8:30くらいにはディーゼルエンジンの音がしたので来たのはわかっていたが、さすが punctual, promptだよ。部課長に習わせたいくらい。 そしてあれは実家、ここは海外、これは航空便と、ごちゃごちゃの家具をさしていったら、少々不機嫌な顔をされた。そりゃそうだよなあ、分類しとくのはオレの仕事なのにわけわからないんだから。

ちょこちょこと話していると、どうやらこの運送屋のおにーちゃん、走り屋であることが判明。86を4台乗り継いでいるという。そして今はまっているのはチャットで、今度の土曜日は長尾峠でオフ会だといっていた。オフ会で峠かあ、時代は変わったよなあ。チャットは毎日、しかも1時間以上やっていて、たまに3:00amまでやってしまうという。次の日つらいでしょと聞くと、「自己責任ですから」とあっさり。偉い! 最近いいわけがましい奴はいても 、そういう潔い奴は貴重だ。

37だ!

37とは、超軽量鍛造アルミホイールVOLK RACING TE37のことだ。タイヤ&ホイールはさすがに多過ぎて実家に送ることにしたのだが、このホイールをみつけて運送屋さんは大盛り上がり。「かるいっすねえ!」といい、4本まとめてパッキングしようとしてるし。さすがに4本は重かったらしく、2本ごとにまとめるが、ホイールの価値を知っているのでやけに厳重にパッキングしてくれる。言わなくてもホイールのリムが傷つかないようにエアキャップは入れてくれてるし、大助かり。

6時間かけ、やっと荷物は搬出終了。そして速攻で会社へと赴く。それはエアのチケットをとりに行くためだ。そう、visaはとれてもまだチケットは入手してなかったのだ。そうしてその他の仕事をかたす、、、がやっぱりオフィスのパッキングは終わらない。夜は当然壮行会。そして家にはもう泊まれないので品川プリンスに泊まる。

最後の休出

土曜日だってのに、パッキングが終わらないので休出する。ようやっとパッキングも終わったが発送はできない。あとで誰かに頼むしかない。ごめんなさい。

これだけではまだ終わらない。家に戻り、最後のお掃除をする。実はこの日は二子玉の花火大会があり、二子玉の町はそりゃあ大騒ぎ。しかしそれどこじゃないと思っていたら友人から花火のお誘いがくる。ぎりぎりまで掃除をし、花火開始直前に多摩川の土手に向かう。1時間余りの夏の絢爛豪華な雰囲気を楽しみ、、、まだこれだけじゃあ終わらない。今度は府中での壮行会の電話が入る。すぐさま車で府中に向かった。

そうして夜中1:00、ついていけないので途中リタイヤ。さて、どこに泊まろう。ホテルの場所も名前も知らないし、こりゃ困ったなあ。それに車が車なので立体駐車場とか入らないから場所も選ぶ。結局なーんにも残ってない家に戻り、がらーんとした場所にカーテンを敷き、その上でねた。全然休めなかった上に、朝冷え込んで風邪までひいてしまった。

最後のガレージ

再び府中のガレージへといく。今度は車を1年間預けるためだ。そうしてしばしの休息。府中駅まで送ってもらい、ついに自分は自分とスーツケースと少しの荷物だけになった。

そうなってくると、ようやく自分が旅立つ実感というか、寂しさというか、センチメンタリティが湧いてきた。もう戻る場所はない。逆にいうと自分の行く先がすべてだ。そうして新宿へと向かった。

この期に及んで

もちろん晩に泊まる場所は決まってない。新宿と渋谷、どちらに泊まろう。結局次の日に国際免許をとらないとならないので、渋谷に泊まることに。しかしあまり渋谷をうろうろしたくない。ということで新宿でドライヤーとバッグ、旅行グッズを買い込んだ。渋谷にいき、さーてどこにとまろう。こういう場合ってどうやって情報を手に入れるんだろうと考えてハタと気が付いた。そう、iモードだよ。早速iモードで渋谷のホテルをチェック。出る出る。一番近いのは、東急インだ。早速そこを予約し、5分後にチェックイン。ああ、iモードで本当によかった。

落ち着かない出発日

まだまだ落ち着けてない。朝7時におき、8時には世田谷警察署。国際免許をとり、タクシーにとびのって、9:00に二子玉の家。アパートの引渡しである。引渡しが終わり、かぎを返して新玉川線に飛び乗る。渋谷に舞い戻り、渋谷のDoCoMoショップでiモードの解約だ。どうもありがとうiモード。また会う日まで。しかーしここで問題が。DoCoMoって解約するとそれまでの料金って全部そこで現金精算だという。まじ? 13000円請求され、ちょうど13000円が手元にあったから支払えたが、すっからかん。TU-KAは銀行引き落としだったぞ。もし現金もってなかったら危ないじゃあないか。

見送ってくれるというありがたい友人と渋谷で食事をし、さらには買い物までして、新宿へと向かう。NEXに乗るためだ。ホームではうじゃうじゃと人の姿が見える。さすが一番の出国ラッシュの日。そんななかホームでへーぜんとタバコをすう渋谷系ポリネシア風躾の行き届いてないティーン女2名がいる。煙たいってばさ。かなりむかつくが、まあそんな奴らの住む日本とも今日で最後。二度と見ることのない奴に腹立てていても仕方ないと、気をとりなおす。さっすがぁ、おっとなぁ。

コンチネンタルって、ミクロネシア?

コンチネンタル航空はANAのカウンターでチェックインをする。通路際のシートがいいというと、なにやら色々と手続きい手間取っている。あげく、な、なんとチケットに手書きで!名前を書いているではないか。NOMA/ TMR おれっててぃーえむれぼるーしょん? ちゃうちゃう、NOMA/T Mr.(ミスター)ね。

シート番号はしかも未記入、搭乗の際にアサインするという。おいおい、まさかコンピュータ入ってないんじゃないだろうなあ、、、

手書きのチケットじゃあ、、、、

妹も成田まで見送りに来てくれた。成田の見送りといえば、エレベーターにのり、手を振りながら下のフロアへと消えていく、ああ、なんてドラマチーーーーック、、、てのを期待していたのだが。だがだが。第二ターミナルはそうではないという。同じフロアでゲートを通過するだけ。ドラマなんてあったもんじゃない。「じゃあね」といって、見送ってくれた友人と妹の後姿を列に並んで見送る自分がそこにいた・・・ 全然意味がなーい! これじゃあどっちが見送りなんだかわからないじゃないか。

なんだかなーと思い、ゲートを通過する際にチケットを見せると、いきなり係員の表情が曇る。そりゃそうだ。手書きなんだもん。そんなの見たことないよな。 他の係員に見せて、ようやくOKがでた。そしてX線で荷物をチェック。するとまた係員が色めきたち、他の男の警備員を呼ぶ。なんだなんだ、そうだそうだ、FinePixが入っていたからだろう。と思ったら、「ナイフがはいってませんか?」ナイフぅ?入っているわけないじゃん、そんなもの。中をあけると、渋谷での買い物が出てきた。スプーンと、フォークと、ナイフ・・・

係員が色めき立ったのは、あまりにも、くっきりはっきり明確にナイフの形が映ったからだったらしい。そりゃびっくりもするよね。余りに大胆すぎる。とりあえず、もう一度通してOKをもらった。どうやら食器ナイフは持ち込み可らしい。それにしてもそんなものを手荷物に入れてる自分も、迂闊だ。

その後は何事もなく、普通。搭乗口へと着き、手書きのチケットを渡すとようやくシート番号等が印刷された券をもらえた。。。あ! 手書きチケットの写真とるの忘れた。かなり悔やまれる。

興奮の再会

777に乗り込み、しばらくシートでぼーっとしていると見た顔が目に入ってきた。そう、NEXを待っていたときにいた、あの躾の行き届いていないポリネシア系ティーン女2名である。ポリネシアってミクロネシアでやっぱりコンチネンタル?なんでたくさんある飛行機の中で、この飛行機にのっているかなあ。 こっちの殺気に向こうも気づいたらしい。ふ、この飛行機でタバコ吸ったらただじゃおかないぞ。デジカメで写真とってインターネットで公開してやる、、、ってそりゃあ嫌がらせストーカーだよ。落ち着け落ち着け。

やるぜコンチネンタル

さて、問題のコンチネンタル航空である。手書きのチケットはともかくとして、カウンターはANA、整備、運輸系も全部ANAが担当。ボーディングも日本人スタッフだ。機内はというと、日本語readyなスタッフ6名を含む15名で担当。だいたい日本語で会話できる。外国系航空会社としては日本人に手厚いよな。もちろん日本発NY行きなので8割は日本人客というのもあるが、外人、英語onlyのUAと比べると段違いによい。

入った瞬間からすでにがんがんに機内は冷えていて、寒いったらありゃしない。毛布1枚じゃ足りないよ。ってことでもう一枚請求したら one eachとかいわれてもらえなかった。まあ上着をもってこなかった自分がいけないんだけどさ、寒いよ、風邪が悪化するよー。飲むものといえばあったかいお茶に赤ワイン。少しでも体あたためなきゃ。

目の前には液晶モニタが設置されていて、ビデオ、オーディオ、ゲームなどを楽しめる。映画も結構やっているのだが、知らないものばっかりで見る気が起きなかった。ゲームは単純なゲームばかり。コントローラはスーファミコンパチな形なのだが、テトリスで下ボタンを押していると左や右にも入っちゃってゲームにならない。オセロは弱すぎ。すぐに飽きる。

これがプレステとかで、ときめもとかちょうど4時間くらいかかる奴だとかなり燃えてやれるのになあ。というか、今すぎプレステにしてくれ。機内の人とみんなのゴルフネットワーク対戦とかでもいいぞ。とはいえ、結構多くの乗客が最初の3,4時間はこのモニタとコントローラにくぎ付けになっていたので、効果はあるに違いない。その後はどうかって? みんな寝に入っちゃった。自分は逆に最初の3時間はほぼ寝て、今起きだしている。できる限り到着するNYの現地時間に合わせて行動したいのだ。現地時間は現在10:30am。まだまだ朝だよ。

つづく・・・

NYより愛を込めて

無事にNewark空港に到着し、バスを乗り継いでホテルまで辿り着いた。あーよかった。さて、明日はどっちだ?


8月 15日(火)晴にわか雨


渡米日程ほぼ決定。8/21(月)。おや、もう1週間ないよ。実感って、、、わかないもんだなあ。そういう自分ってちょっとヘンだよな。


8月 14日(月)晴


まだぶつけてたのを思い出した。

ぶつけ遍歴6

山中湖の合宿の帰りのタイミング。バスの時間までにバス停まで部員を送らないければいけないのだが、部員がとっても時間にルーズ。いらだったまま車をバックさせるものの、なぜかこのときドアを閉めるのをはしょってバックした。すると別荘の柱にドアがひっかかり、ドア大破、フェンダー破損。38万円の中古KP61スターレットに修理費20万円以上の痛い出費。

ぶつけ遍歴7

新車のシルビアにフォグランプをつけて1ヶ月もたたないころ。家に帰り、いつものシルビアを眺めると、、、フォグランプが割れ、フェンダーとバンパーがあっちを向いている!! 誰がやりやがった!? なんてことはない、親父がぶつけて帰ってきただけのことだった。確か15万くらい。

ぶつけ遍歴8

そのシルビア、なぜかマフラーから低い音を轟かせたことがあった。なーんてことはない、親父がバックしてマフラーを縁石にヒット、マフラーを破損して排気漏れを起こしてしまったためだ。マフラー交換、8万円くらい。

ぶつけ遍歴9

CR-Xで林道を走りに行った。はじめての林道、砂利道で脇はふたの無い側溝がある。側溝に落ちると間違いなく足回りを破損する、そう思い軽く流して走行していた。とあるカーブを曲がるとそこには橋があり、その橋のつぎめに大きなえぐれた穴があり、そのままの速度で突っ込んだところ、思いっきり下回りをうち、フロントタイヤが思いっきりトーアウトに。よくみるとサブメンバーが曲がり、後ろに下がってしまった。サブメンバー等交換、見積もり30万円以上、そこを25万くらい。

やっぱり乗った車も多ければ走ってもいるから事故多いよな。でも一切ジムカーナ場やサーキットではやってないのがせめてもの救い?

ぶつけられ遍歴1

番外。シルビアを洗っていたら、幼稚園から幼稚園生がまるい椅子を転がして近づいてきた。軽い衝撃音がして、逆サイドに回ってみるとなんとサイドシルに凹みが。幼稚園に事情を話し(苦情をいったともいう)、当事者の幼稚園生の親御さん3人(?)と直接話し合いになってしまい、どのお子さんが一番責任が大きいかとか、親御さんの人間関係の強弱やら、交渉窓口になった一番年少の親御さん(多分まだ20代)とああでもないこうでもないと大変な騒ぎになった。板金代45,000円だったが、負担は親御さんを含め頭割り。責任追及は即座にいうべきという大きな教訓を残してくれた。

ベルリッツで英会話

今、ベルリッツに通っている。一日10レッスン、約8時間を5日間行う集中レッスンだ。自己紹介で趣味は何と聞かれて、「car racing」と答えると、そりゃあもう大盛り上がり(なんでだ?)。授業の約半分は車の話で盛り上がる。K&Nフィルターはつけているか?とか、インテークマニホールドにはテーピングしろとか、タイヤは何つけてるんだとか、そんな話ばっかり。一体英語でなーにしゃべってんだか。

にしても男性の先生の80%はこの car racingの話題で盛り上がれる。やはり海外では racingというのは趣味のひとつとして非常にポピュラーであり、そして多くの人がなんらかのtuningをやっている、知っているようだ。車をstockで乗るのがどうも rareな感じがする。

しかし英語の教科書のよく一般的な車の話題が載っているもんだから、そのたびに大きな脱線をしてしまう。 He seems to have a trouble starting his carとかはじまると、 What is a problem?とかきかれて、バッテリだ、スパークプラグだ、プラグコードだ、でプラグはどこのを使って、いくらする、日本は高い、インターネットで買うと安いぞ、インターネットで検索しろ・・・

明日が最終日。さて、英語力は上がったのかなあ?


8月 3日(木)晴


きたきたきたきたーーーーーーーーっ!!

ようやくそば屋の出前、visa applicationの書類 IAP-66が到着。速攻で会社へいき、サインをして、担当部署に持っていった。が、「担当者は帰りました」。なにおぉぉぉぉーーー、電話して不在だったから折り返し電話してくれるように伝言したのに、イミナイジャーン!

これで2週間半後に渡米がほぼ確実になってきた。ほいさっさ。

日本で英会話スクール

渡米の日程が決まりそうではあるが、スケジュールとしては大変に delayしてしまった。この分、現地の英会話スクールにいく時間がなくなってしまった。さて、それなら日本で英会話スクールにいけばいいじゃん。ということでこの夏、短期でいけるところを探してみた。

日本の英会話スクールはそういう短期集中講座というのはあまりやってないらしい。日米英会話学校(四谷)にあるやつとか、ベルリッツ位しか見つからなかった。近くにあるベルリッツに電話してきくと、1日89700円だという。一日でであることよ!!なんか日本語がヘンになるくらい、高い。これを10日(2週間)いくとどーなっちゃうんだよ??10日間だとディスカウントされて、一日87100円になるという。それでも87万円。同じ期間、同じ授業内容でアメリカであれば20万くらいなのに、高すぎ。

サマーキャンペーンてのがありこれは個人レッスンではなく(多分)少人数のクラスのレッスンをとるもの。こちらは一日10レッスンで5日間で24万円だという。なんとなくオトクな感じがするのが、人間のなれって怖いと思わせるところ。ちなみにこれもアメリカであれば、5日間で3万円だ。

日本の英会話スクールの高額さに改めてびっくりさせられた。これじゃあ行く気にもならないよ。

一難さってまた一難

ひとつ大きな問題が解決したからだろうか、駐車場から車をバックで出すときに電信柱を留める、斜めのワイヤーに車をかすらせ、べっこりとへこませてしまった。しかもリアフェンダーとドア。サイアク。2枚もやっちゃうと板金代が2倍。しかもカラーリングでカッティングシートが貼ってあるところだからなおさら。一度剥がし、板金してもう一度貼らなきゃならない。あーあーあーーーーー。人生で最高の凹ませ具合だよ。

ぶつけ遍歴1

新車が知らぬ間に右フェンダーが凹んでいる。どうやら当て逃げされたらしい。気落ちしてドライブに峠を走っていたら前のダンプのはねいしでガラスにひび! 超かっかして上り坂をハイスピードで飛ばしていた。下り坂になったらブレーキが利かない。そう、フェードしていたのだった。スピードが落ちきらないままコーナーを曲がるとそこにはなんと道幅いっぱいのダンプが! 正面衝突するーと思い、ハンドルを左にきり、ガードレールに左フェンダーをぶつけてなんとか止まりきった。左右フェンダー板金、フロントガラス交換、修理費しめて14万円。若かりし20の悲しい思い出。

ぶつけ遍歴2

北海道で友人のMARK2をドライブ。優先道路を進行していると右のほうから車がきて、一時停止で停止。当然こちらが優先だし、向こうもとまったので40km/hくらいで交差点に進行したところ、なぜかその車が発進、危険と判断しクラクションを鳴らしつつ、ブレーキをかける。すると向こうはクラクションにびっくりして交差点の中で停止し、道をふさがれた自分はそのよこつらにどかーん・・・ 一番悲しかったのは友人だろう。 ライト破損、バンパー交換板金その他、しめて修理代25万円くらい。これで過失割合が8:2とかいいやがった。結局9:1で折り合いつけたけどほんとぶつけ損だったなあ。若かりし20の暗い思い出。

ぶつけ遍歴3

バイク2台で杉並の狭い路地を走っていると駐車車両がある。それを避けて右側へ出たところ、同じく駐車車両をさけて中央に出てきた軽自動車と正面衝突。大腿骨破損、、、じゃない、複骨折、入院二ヶ月、全治2年、留年決定。若かりし20歳の痛い思い出。

ぶつけ遍歴4

藤沢に引越し、うきうきわくわく湘南ナンバーへ変更。いつも練習にいく慶応大学湘南藤沢キャンパスの裏手の畑の間の道でサイドターンの練習(良い子は真似しちゃいけません)。サイドターンに失敗し、道路から外れて畑に少し突っ込んだところ、ゴンと土ではない、別の手ごたえ。なんと畑の土の中にU字溝がひとつ埋まっていた。チンスポイラー破損、フレーム凹み、憧れの湘南ナンバーが2cmほど切断。血気盛んな26歳の寂しい思い出。

ぶつけ遍歴5

友人3人と山梨から清里へ抜ける峠道、クリスタルラインをドライブ。雨だった。右ヘアピンを曲がろうとしたところ、濡れ落ち葉を踏んでしまいガードレールが迫ってきた。右にハンドルをきり、フロントは避けたがリアが出てガードレールにヒット! 左リアホイールアーチがブリスターフェンダーの逆に凹む。板金5万円。とても高い清泉寮ソフトクリームだった27歳の甘い思い出。

いつも・・・

さて、よーく考えてみよ。すべての事故は同乗者がある、または何台かで走行している時にやっている。ちなみに今回もそう。助手席の人と話しながらバックしていたときにやったものだ。人と一緒にいると注意力がそっちにいっちゃうんだろうなあ。今回なんて、「なんかヘンな音がするなあ」と気づいたものの、さらにバックしちゃったからね。あのとき気づけばドアまでいかなかったんだろうなあ。後悔さきに立たず、発つ鳥あとを濁さず。諸行無常の響きがあり。まだまだ落ち着かない32歳の苦い夏の経験。

それでも・・・

お金で直るものはまだいいよな。お金でリカバーできないものなんて、世の中いっぱーいあるんだから。


8月 2日(木)晴


お誕生日おめでとう

本日は父の63回目の誕生日。

黒谷友美だけでなく、板倉香

やっと調べられた。NHK 金曜日 24:00からやっている「にほんごでくらそう」で小林克也とともに案内役をつとめる女性、それが板倉香。XAX(エグザス)のポスターとかにも出ていたのだが、今日の今日まで名前知らなかった。

調べたところ、NY生まれ、慶応大学(在学中??)、身長174cm モデルというプロフィール。モデルとしてはCamCanで米倉涼子と共に紙面を飾っている。まるでできすぎのスペックだよなあ、世の中こういう人もいるんだねえ。今井美樹が出ていたBRANDで女優デビューしたらしい。出てた回を見たけど、あまりの演技の下手さ加減にびっくりした記憶がある。だってこの人だけセリフがアフレコなんだよねえ。その点、「にほんごでくらそう」は非常によい。日本語チックな英語の発音で流暢にしゃべってくれるので非常に聞き取りやすい(^^)


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