DIALY OF May 2000


5月 27日(土)曇のち雨


よく聞かれるのですが・・・

留学はまだ決まってません! 早い話、donationと呼ばれる寄付金(必要経費を含む) $50,000を部署がだすめどをまるで立てていただけないおかげで、夜も眠れない生活が続いている今日この頃。

そんな昨今、課長を思いっきりせっついて催促したところ、昨日の深夜 2:30ごろに一通のメールが留学候補先の教授あてに出ていた。内容は、、、

「うちのバジェットは 日本円で200万円、 $18,000だ。それ以上出すとなるとどういったことをしてくれるのか、もっと詳しい内容が必要だ。そうでない場合は 不足分をLCDプロジェクタや DVカムなど現物で補うしかない。後者が両者にとっていいと思うが、どうだろう」

いくらなんでも値切りすぎじゃん・・・だいたいだなあ、値段交渉する時期じゃないだろー。一応予定ではあと2ヶ月でいくハズにしたいのに、今ごろこれじゃあ、いけるものもいけなくなっちゃうよ。 いいかげんにしろよー。ほとほと愛想がつきてきたよ。そんなんなら自分でお金だして行くよ。お金作るとなると、、、クルマ売らなきゃ。せっかくこないだ買い換えたのにさ。フン。

以上、愚痴でした。

渡米シフト

とまあ、相変わらず足元が固まってないものの、渡米準備は着々とすすめなければ。来週は人間ドックにいくし、6月末までに丸秘プロジェクトは完了しなきゃいけないし、ジムカーナももう一息セッティングだしてそれなりの成績が欲しいとこだね。ということで、決めた。FLEXをばりばり使って土日出勤、平日休む。というか、休みまくってやるう。有給はあと38日ある。

くー、しかし明日も会社だー。


5月 21日(日)曇


エレガントなオブジェクト指向型プログラミングに書き換えてやるっ・・・

といっては見たものの、やればやるほどはまってきた。というかやればやるほど、いかにDirectPlayが認知されてないか、一般化されてないかということを認識できてきた。DirectPlayは DirectX2の時代からあるらしく、DX3, DX5と進化をとげてはいるものの、ほとんどのAPIは変わってないようだ。ある意味、初期の段階で完成してその後はバグフィックスくらいのものなのか、それともあまりにつかえなくて誰もつかってなくって、それがゆえにバージョンアップされてないのか。いずれにしても明らかなのは日本で出ているDirectPlayの参考書はやはり使えないということだ。うーん、こりゃ参った。やっぱり英語の本に手を出すしかないかあ。

とりあえず、エレガントなオブジェクト指向型プログラムはだいたい出来たんだけどね。前途は厳しい。

幻想の続き

人間であるということを証明することは容易ではない。動物学的にいえば、哺乳類の一種でありサルの仲間である。ではサルとは何が違うのか? サルもグループを構成し、リーダーがあり、コミュニケーションをし、いわば社会を作り上げている。人間であることの特殊性を考えたときに言語と社会というものが一番特筆すべき項目であろう。その言語は世界さまざまである。違う言語を知れば知るほど、社会と言語の意外な密接性というものが明らかとなる。

そもそも、なぜ言語が複数存在するのだろうか。アジアで考えると中国語、ハングル、日本語、タガログ語などがある。ヨーロッパに目を向けても、国ごとに違う言語があるという具合だ。これは日本での方言を考えるとわかりやすい。そう、言語はすなわち国の単位を表すものであるからだ。違う言葉を話すやつらは「ヨソモノ」であり、それは敵をも意味する。国の単位とは、つまりは社会の単位でもある。社会が複数あればそこには抗争が必ず存在する。このように言葉が違うこと、そして国、社会が違うことは争いの基本条件となるのだ。

逆にいえば、同じ言葉を話すこと、同じ国、社会に属した場合はどうだろうか。そう、一致団結して争ってはならないはずだ。争ったが最後、その国、社会は他の国からの侵略に耐えることができなくなるためだ。

言語が社会と連動することがわかった。そうすると、今度は侵略をした場合はどうするか。そう、当然のことながら侵略者はその言語の教育を行うのだ。これは植民地の歴史が物語っている。つまり、多くの国で話されている言語は多くの国を侵略し支配したことの証でもある。ちなみに言えば、世界の国の中で一番多くしゃべられているのはフランス語である。国連加盟国 150国以上のうち、100国前後をフランス語を公用語としている。人口でいうと、中国語というのもあなどれなく、英語は意外とそういう意味ではトップ独走というわけではない。

なぜ言語を普及させるか。もちろんコミュニケーションの手段として必要だからというのが一番だ。しかしそれだけではない、同じ言葉を話すことで言葉のもつ、ベースを浸透させているのだ。

たとえば、日本語では「あなた」と「あなたたち」というのは明らかに違う意味をもつ。「あなたがイジワルしたじゃない」というのと、「あなたたちがイジワルしたじゃない」というのは、大違いである。しかし英語では youしか表現するすべがない。一人がイジメをしたのか、クラスぐるみでイジメをしたのか曖昧ではっきりしない。というか、多分英語圏ではクラス単位でイジメをすることがないので、区別する必要がないのだ。フランス語では男性名詞と女性名詞というものがある。動物や性別をもつもの以外の無機物であったとしてもそれが男性か、女性かを区別してしまうのだ。さすがアバンチュール(死語)の国。

言葉は感じたことやみたことを表現する手段である。感じたことや見たことというのは、万国共通だとおもわれがちだが、それはベースが何もない場合はそのとおりだろう。しかし言葉を話せるようになってから、はじめて感じたことや見たことを表現できるわけだ。ということは、言葉に合った感じ方や見方が備わって、それに合致する言葉を選んでしゃべっているというほうがただしい。つまり、逆だということ。だから同じものを見たときにそれを表現する言葉や、受ける感情というものは、実はオリジナルな感情ではなく、言葉を教わったときにプログラミングされたロジックであるといっても過言ではない。

さて、それでは言葉はどこで覚えるのか?学校か? いや違う。家庭だ。両親との触れ合い、生活の中で子供は言葉を覚えるのだ。ということは、両親との共有体験を通じて感情やロジックが言語として記憶される。そしてそれと同じ体験が再現されたときに記憶された言葉を引き出し、再生するのだ。そしてその後学校などの社会の中でさらに経験と記憶を重ね、語彙力や表現力を高めていく。つまり言語能力の基本は社会に依存する。ちなみに両親と子供との関係性、つまり家庭は社会の最小単位である。

・・・つまり人は社会と言語という手段を用いて接続される。所属する。その方法を共通化、公式化すること。それが同じものを見たときに同じことを感じるはずであり、同じようなことを言葉として表現する由来となる。

おもしろいぞニッポン

常識とはその公式の平均点をさす。公式を失った社会ほど妙なものはない。最近残虐な事件が多発しており、精神的な病のせいだとか、学校のせいだとか、家庭に問題があるだとか色々な指摘と詮索がいりまじっている。しかしその本質を指摘しているものはない。これらの事件は犯人が特異な存在ではなく、社会が孕んでいるものであり、それが事件を起こす確率が上がっているだけのことだ。ではなぜ確率があがっているのだろうか?そのことを指摘したものは少ない。

公式がない

公式とは共有体験である。社会の共有体験とは。マクロな見方でいえば、歴史である。そうすると、世界大戦であり、戦後であったりする。今オカシナニッポンが加速しているのはとても自然なことである。なぜならば、共有体験をするはずの社会の最小単位である家庭が崩壊しているからだ。家庭だけではない。家庭が所属するはずの社会、地域にも所属できてない。国は地域が構成しているものである。国と個人が乖離している原因はここにある。社会の最小単位の家庭。今一番の問題は事件を起こす子供ではない。事件を起こした子供の親の世代である。学校教育が子供で終わり、社会に出てからの教育手段をまるでもたないニッポンという国は、誤って成長した世代を正す手段をもたない。終身雇用制の会社がある意味その役割を担っていたのが、リストラや終身雇用の崩壊によりその役割を担えなくなった。その上、専業主婦という家庭内に収まることにより子供の成長とシンクロして親として成長することができたはずの母親も共働きすることで子供との共有時間を過ごせなくなり、子供の成長と親の成長がシンクロしなくなっていった。

時間を過ごすこと。

同じものを見ること。感じること。

これが社会の基本であり、公式化のベースとなる。公式を失った社会の崩壊は近い。すべてはプログラムされたことだ。

アイデンティティの喪失

日本の現状、そして未来。首相が倒れ、いうことのできない言葉を受けて新しくできた新政権とその配慮に欠けた言動の数々。「神の国」との発言を批判するマスコミ。不用意な発言は批判されて然るべきだが、よく考えよう。どうして「神の国」がいけないのだ?日本神話はゼウスやポセイドンが出てきたギリシャ神話と同じレベルの、昔昔の文化の伝承であるわけだし、イギリスは今でも女王陛下に忠誠を誓うだろう。それなのに、天皇にまつわるものすべてがタブーであり、政治と分離しなければならないという反応は正当なのだろうか?今一度日本という国の存在を定義する時期にきているようだ。日本とはなにか。そのアイデンティティが今定義できてない。そのために日本というものの捉え方が各個人で異なるために反応がまちまちなのだ。それが公式がないということであり、キーワードである。

考えてみよう。戦後ニッポンを統治したのはどこの国だろう。なぜいまも天皇制は続いているのだろうか。なぜ自衛隊は軍隊ではないのだろうか。ちなみに英語では自衛隊は ARMYであり、NAVYであり、AIR FORCEなのだ。自衛隊に相当する英語は存在しないからだ。憲法で謳われている軍隊の放棄と自衛隊は明らかに矛盾している。この憲法はアメリカの統治のもと作られた。そして自衛隊も警察予備隊から派生し、アメリカの統治のもと作られた。そして安全保障条約。天皇制という強力な公式があった戦前と違い公式を失った日本。そして矛盾だらけの国。excuseだらけの社会組成。プログラムがむずかしすぎる。ひとつのプログラムをすべてに応用できない。

オブジェクト指向と手続き型

お気づきだろうか。日本はそう、手続き型の国なのである。決してオブジェクト指向ではない。親クラスを継承できないのだ。そのために非関税障壁でも指摘されるような規制、それはつまりはexcuse、がたくさんある、公式がない国なのだ。これは日本語という唯一無二の言語にマッチしている社会性であろう。そしてそれは戦後、アメリカに統治されたときに予めプログラムされたことなのだ。そしてこのプログラムは有効に動作している。このプログラムの行き着く先は、アメリカ化。言語を英語に変更することなく、アメリカと同じ社会性を手に入れることができるのだ。日本人のための日本人がたくさん住んでいる州。いや、面白いね。国という単位を自民党が支えているようだが、それは国じゃなくって、州なのだよ。

すべてを解くかぎはアメリカに

これが本当かどうかは、それはアメリカにいけばわかることだろう。楽しみだ。


5月 17日(水)曇り・雨


うっきーっクッキーっポッキーっ

今日はDirectPlayのお勉強。DirectPlayとは、DirectXに含まれる、ネットワーク接続のライブラリで、有名なところでは Dreamcastの SEGA RALLY2の通信対戦で使われている(だろう)もの。

がしかし、、、、

一行もコードを書けなかった。というのも、DirectPlayそのものが難解というか、手続きが複雑というか、Microsoftからは良いサンプルが出てないのがそもそもの原因。そしてこのDirectPlayの参考書をいくつか見てみたのだが、そのサンプルもひどい出来栄えだったということ。とにかくどのサンプルプログラムもひどいもので、煩雑なDirectPlayの手続きを中途半端に関数やら、クラスに入れ込んで実装するもんだから結果、プログラムが追えない、改変できない、再利用できない。うっきーっ!

もう、イライラしまくってむかつきまくって、悪態をつつきながらそれでもスパゲッティプログラムを読むしかない。はっきりいって、世の中に出回っている参考書に書いているプログラムの質は低い。C++でコードを書いているにもかかわらず、手続きとデータとクラスってものがちゃんとわかってない。中途半端に使えるもんだから、あっちこっちに手続きを分散させて書いてみたり、クラスの中にクラス以外の手続きを書いてみたりと、あんたたち、ほんとにプロなんかよーっていう仕事ぶり。もちろんMicrosoftが提供しているサンプルもレベルが低く、クラスなんてもんは使ってない。COMオブジェクトやら、C++なのにもかかわらず、プログラムのレベルは昔のBASIC、アセンブラと同じレベル。フォン・ノイマンがよろこびそーな手続き型プログラム。だいたいだなー、C++なのに gotoはないだろ。そんなソースをいけしゃあしゃあと公開できる神経が理解できない。C言語の時にすでに goto文を使うことは恥ずかしいことだ、というのは常識になったというのにこの体たらく。許せん。なんとかソースをすべて読みきり、それをエレガントなオブジェクト指向型プログラミングに書き換えてやるっ。


5月 16日(火)晴れ


おれはやるぜやるぜやるぜっ

ミサイルコマンドが完成した。すっげー、3日半で出来たよ。グラフィックは超シンプル。円とラインとボックスしか使ってない。あとは文字のみ。にしても、C++の威力、サクサクと出来るもんだねえ、昔苦労したのは一体なんだったんだろ?

設計と実装

さてポストモーテム。ポストモーテムとは検死という意味で、ソフトウェアプロジェクトを振り返るときに使う言葉だ。ってことはソフトって出来上がった瞬間に「死ぬ」というのを暗に意味してるのかな。今回サクサクできた原因はなんだろう。それはまず作るのが3回目で、何をどうすればいいかだいたいわかっていたということ、そしてクラスでミサイルやサイトなどのオブジェクトを表現したこと、ほとんどのデータをクラスにし、ウィンドウプログラム、描画関数とゲーム進行上のクラスを完全に分離したことなどが功を奏したのだろう。

その結果、今回はほとんど「デバッグ」に時間を費やしていない。いや、やってないに等しい。トレースも全然使わなかったし、例外処理も食らわない。意図したとおりにプログラムが動いていった。それはなぜだろう。

それは設計を実装しただけに過ぎないから。

つまりゲームを見渡し、必要になるデータと、データに対する操作をあげ連ね(設計)、クラスにまとめるという作業(実装)をしただけだ。実装をしているうちに設計の甘さが把握でき、そこで再設計をかける。そして再び実装する。この繰り返しだけでうまく進んだ結果、デバッグとう作業がほとんど発生しなかったのだ。自分の達成した物が、手間をかけずに手に入るってのはプログラマーやっててとても気持ちがいい。そう、デバッグ嫌いなんだよね。あと手間がかかる実装っての。

そーいえば・・・

この世の中に尊敬する天才プログラマーがいる。彼の凄いのは、そのプログラムスピードだ。そしてバグを出さない。出してもすぐに修正してしまう。目の前で華麗にデバッグをしていく様は、まさに神がかり。なんでそんなに実装早いのかなーと思っていたら、ほとんどデバッグしてなかったんだよね。あっても瞬時に修正を施し、間違いがない。そりゃ効率いいよね。

そんな彼を見ていて、プログラマとしての才能がないことを思い知らされ、プログラマのプロになることを断念した自分だが、その後彼を超えるプログラマを見たことがない。彼はトクベツだったようだ。そんな彼は今、Wz Editorシリーズを作っている。

TOEIC

本日はTOEICのテストを受験。昨日、洋書のTOEIC対策問題集を買い込み一夜漬けを試みた。TOEICは「ビジネスにおける英語コミュニケーション能力」を計るものなので、出題傾向がTOEFLとは違うのだった。とはいえ、同じ団体、ETSが行っているだけあり試験方法はほとんどいっしょ。TOEFLと比べると一般的な話題が多く、そんなに難しいとは感じなくなっていた。というよりも、TOEFLが偏りすぎなんだよね。それにしても面食らったのがリスニング問題のスピードの速さ。対策問題集の1.5倍ほどのスピードでベラベラしゃべるもんだから、全然聞き取れない。ほとんどCNNかBBC状態。まあでも前回に比べればアップしているでしょう。しててほしいな。してくれないと困るぅ。


5月 12日(金)曇、小雨、蒸し暑い


いくぜいくぜいくぜっ

VC++を使ったゲームプログラミング絶好調。今日はついに論理プログラミングから物理プログラミングまで到達し、マウスクリックでミサイル発射、爆発、誘爆までできた。さて、ところで、by the way, なんのゲームかというと、、、

ミサイルコマンド

ってどんなゲーム? こんなゲーム。1980年頃、まだ自分が中学生になるかならないころゲームセンターではじめて「トラックボール」を見た記念すべきゲーム。このとき、トラックボールという「アナログデバイス」に感動し、そしてそれとミサイルの照準の動き、ミサイルの爆発の連鎖の美しさは際立っていた。そしてまだアメリカとソ連の核兵器戦争が続き、見えない核戦争の恐怖が意識の底にあったなか、核ミサイルが都市に飛んでくるのを迎撃ミサイルで打ち落とすという、まさにバスハイジャックよりもリアリティのある、社会的なテーマを持った作品である。ん、ちょっと回りくどいか。

それがミサイルコマンドのすべて。トラックボールというアナログデバイスに魅せられた自分は、その10年後再び「マウス」というアナログデバイスと出会うこととなる。マウスとトラックボールは原理的にはまったく同じもので、それを利用しX68000ではスイッチを使うことでマウス、トラックボールを切り替えることができた。時代は16bitコンピュータ時代。マウスもようやく標準装備になってきた。それでゲームを作るといったら、やっぱりミサイルコマンド作るしかないでしょう。

ってな論理で、PC-9801用ミサイルコマンドを作ってみた。MS-Cとグラフィックをたたくライブラリを利用して作ったのが自作ミサイルコマンド第1作。C言語で作成したが、ミサイルを飛ばして誘爆させておしまいとなった。それまで約2週間。

そしてその2年後、再びミサイルコマンドを作ることとなる。X68000用ウィンドウシステム、 SX-Window 2.0が出たからだ。イベントドリブン方式の擬似マルチタスクシステム。アプリがまるでなかったシステム、特にゲームはほとんど皆無。CPUパワーもまるで足りず、リアルタイムゲームなんて無かった。でもやっぱウィンドウシステムだよ、マウスで操作だよ、マウスといえば、ミサイルコマンドでしょという、無理やりな論理で作ってみた。これは半年がかりでちょこまかと作り上げ、ちゃんとゲームとして完成させることができた。いま考えると立派なもんだ。このゲームは電脳倶楽部に投稿して掲載費もらったり、フリーソフトの本に収録されたりした。これは gccとSX-Window用ライブラリで作った。

あれから、8年・・・そしてまた、性懲りも無くミサイルコマンドだ。なんでそこまでミサイルコマンドなの? うーん、それはね、シンプルだから。そしてオブジェクト指向に向いていると思うから。落ちてくるミサイルと、迎撃ミサイル、これをオブジェクトで共通化して作ったり、複数のミサイルをクラスで管理したりと、オブジェクト指向を勉強するには最適な課題。その成果か、なんと2日でミサイル発射、爆発、誘爆までできちゃった。あとは都市と、乱数で落ちてくるミサイルを発生させ、面の概念導入、スコア加算、難易度変更・調整だけだ、、、ってこれが一番大変なんだけどね。

野望

普通のゲームにしちゃうと、もったいない、このミサイルコマンドは設計当初から x, y, z座標で計算している。そう、3D対応なのだ。予定では Direct3Dで描画して3Dゲームとするのだ、わはは。それを見越して最初から論理部分と描画部分を完全分離して設計。さらにいえばマウス等の入力部分も完全分離。入力はネットワーク対応でもいけちゃったりなんかしてねー、ネットワークゲーム化もやるぜやるぜやるぜ。でもって、Oh!Xに投稿するぜ、するかな、してみたりして、まじでする?

C++

思ったよりも早くC++は理解出来そうだ。しかしオブジェクト指向と、手続き型プログラムがごちゃごちゃになって、途中で何を書いているんだかわからなくなってしまうのは結構閉口するな。ゲームってそもそも手続き型だけど、データはオブジェクト指向なんだよねー。でもクラスには手続きかけるし、もちろんかくし、じゃあ手続きプログラムは他でいらないかっていうといるし、あー、ややこし。

渡米

冷静に考えると、あと2ヶ月で渡米することになりそうだ。スケジュールひいたら、もう、一刻の猶予もないでやんの。健康診断で人間ドック入って、受け入れLetterもらってVISA申請して、チケットおさえて、引越し下見してもらって、保険に入って、CITIBANKの口座を作ってとかやっていたら、あっという間に7月末、そしてバビューンと異国の地。結構カウントダウン入ってきたね。向こうにいって使い物になるよう、プログラミングリハビリやってるんだよね(^^) でも結構いけそう。ああ、来週はTOEICのテストだ。明日、あさってはFISCOでジムカーナだ。うひー、人生トップギアでアクセル全開だ。渡米する前に投稿しなきゃ。 それはそうと、会社でプログラミングしたものを投稿するのはいかがなものだろう・・・(^^;


5月 11日(木)晴


はじめてのVC++

ちょうど1年前に買ったこの本、ようやく読み始めた。そう、はじめてのC++を勉強したので、よーやく「読める」ようになったのだ。VC++の場合はどーしても MFCとおつきあいをしなければならないが、まあ、MFCも元をたどれば Macintoshに行き着くってことで、すべてのWindowsシステムは祖先が同じだから考え方は同じこと。イベント駆動型なわけだよね。C++のオブジェクトを利用してうまく(複雑に?)継承して表記することができるようだ。ということで、今勉強中・・・

ない!

ところがこのVC++の本、どうも肝心なものが抜けている。それは、、、OnIdleイベントだ。すべての例がマウス操作などのイベントによって引き起こされるもので、時間の経過によって変化するサンプルがない。これでは肝心のゲームが作れないではないかっ!! PCといえばゲーム、ゲームを作るためにプログラミングという、ポジティブスパイラルを持って今まで臨んできた自分としてはやはりここはmotivation upと、skill upのためにも是非おさえておきたいところ。MSDNで調べてOnIdleを使うことはわかったが、やはり例が欲しい。後輩にきくと MFCの本を貸してくれた。ここにはOnIdleをオーバーライドしたり、Timerを使った例が載っていた。これだよこれ。

というわけで(?)現在ちょっとしたゲームを作成中。さて、何日でできることやら。

動かない!

さて一方で COM1をコントロールするプログラムも作成中。CreateFileでデバイスをオープンしてCRを送り、データを受けるという凄く単純なプログラムなのに、どーにもこーにも受信できない。挙句にデッドロックしてるし、、、デッドロックしてもVC++が動作しているってのがなんとなく妙な感じ。やっぱり暴走したら、画面がぐちゃぐちゃになって、IPLボタンを押すくらいの「ドキドキ」感がないと、プログラムしている実感が湧かないなあ(^^)


5月 7日(日)曇り


もてぎジムカーナ

今日はもてぎでジムカーナ。こちらをごらんあれ。

はじめてのC++ by 技術評論社

久々にプログラミング言語の本を買ってみた。もちろんワタクシ得意の「はじめて」もの。最近買うのは必ずこのキーワードがくっついている。そう、自分のスタイルでは、「極める」のはなくって、なんでもかじれる程度で十分なのだ。

C++はそれは昔、多分9年前に勉強したことがあった。もちろん独学。X68000に gccを使ってコンパイル。 Hello Worldをコンパイル・リンクするのに3分。そーんな時代もあったもんだ。これで勉強がはかどるわけねーよな(^^;

今は Celeron 433MHz, X68K比 43.3倍のクロック数で瞬間コンパイル&リンク。時代は変わったぜ。きっと Pentium IIIの 1GHzとかってもっとすげーんだよな。やっぱ速いってすげーことだ。

速いといえば、この本、650pほどあるけど、1日半で読破した。すげー勢いでページがめくれるのだ。それはやはり昔とった杵柄。でも忘れていることも、勉強しきれなかったこともあるし、なによりオブジェクト指向っぽいことははしょっていて理解が甘かったのが氷解した。正確にはオブジェクト指向のC++的表現方法がわかったということかな。

しかし読んでいると、なんか違和感を感じる。そう、この9年の間にまた中途半端に Javaをかじったので、それとごっちゃになっているのだ。なんで String型がないんだとか、ポインタとか参照型ってそんなのあったなとか、もうぐちゃぐちゃ。やっぱりC++はいわれるようにエレガントな言語ではないというのもわかった。しかしだからといって、Javaがエレガントだとしても理想と現実は違って、マシンディペンドしたコードをあえて書きたいという欲求には応えることができず、応えると理想は地に堕ちる。ま、プログラマじゃない自分にとっては言語はなんでもいいんだけどね。OSも、言語も手段にはこだわらない。近道できる手段を選択するだけさ。

ということで、C言語を勉強したときは「はじめてのC」、そしてC++は「はじめてのC++」が非常にわかりやすい。技術評論社はいいね! そーいえばこの会社でアルバイトしてたこともあったな・・・ The Basic(ざべ)編集部。覆面座談会が面白かったが、これってアルバイトがテープ起こしやるんだよね。これをやってたんだけど、これのおかげでブラインドタッチを覚えた。ブラインドタッチをマスターしないとテープ起こしはついてけないからねえ。

箱男

箱男って現実には箱の中に入っているけど、外界との接続に「コピーベルト」を使うことで仮想接続しているよね。これってめちゃくちゃ仮想現実のインターフェースを使っていると思う。

電気羊はオランダ妻の夢を見るか?(ん?あってる??)


5月 5日(金)晴


シュパーーーーーーーッ!(続き)

その音はトンネルに反響した、自分のマフラーからの音だった・・・当然だよね(^^; それにしても、シュパーかよ。

back to the future

PS2を買ったおかげで、最近DVDを借りて見る習慣がついた。DVDソフトは数が少ないので、当然VHSビデオを借りるようになってきた。で最近チェックしたのが、

「攻殻機動隊」「ブレードランナー」「パトレイバー the movie 2」「うるせいやつら ビューティフルドリーマー」

ようは押井 守作品を中心におさえようと思ったわけだ。そして雑誌 Titleで押井氏と matrixのウォシャウスキー(?)兄弟の対談で出てきた世界観をもつ映画であるブレードランナー。これをここ3週間で見てみて、なんとなーく押井守の一貫したテーマが見えてきた。

すべては幻想

現実と仮想の区別とか、時間とか、そういった概念というのは人間が作り出した一種の共通単位であり、それだけの存在である。ある人があるものを見て、それを現実であると思うことと他の人があるものをみてそれを現実であると思うことが重なって現実というものが作り上げられるが、それはまた他の人から見たときに現実ではないとされることもある。人がどの社会に属し、何を考えているか、それにより現実は現実ではなく、夢を見ているのと同じ状態に陥る。つまり、所詮現実さえも、仮想の共有体験の積み重ねでしかありえない。

時間というものは絶対的に存在するように考えられているが、それは地球の自転であり、公転を基準にしたものである。地球が何周自転したか、公転したかということ自身は意味をもたない。つまり過去とは何周前の地球であり、未来とは何周かしたあとの地球である。この二つの地球に何の変化があったとしてもそれは各個人に対してどんな意味をもつのか。そして1万光年離れた星は1万年前の状態をみているという。それならば、宇宙で考えたときに「現在」とはいつのことをいうのだろうか?それは1万光年離れた星の1万年前のことなのか、それとも1万年後に届くであろう光のことなのだろうか。

パトレイバーでは、日本の平和が幻想であるということを説き、そして実害のないテロ行為により、戦争状態という幻想を作り上げることにより平和が幻想であることを明確にした。そしてビューティフルドリーマーでは、毎日同じことの繰り返しという夢の中の現実の生活をおくることで、現実ではない夢との共通点を明らかにした。そして、その結論はとは。現実と幻想は同一のものであるということ。

人々が考えている、見ている現実とは、同じものではない。人々によって時間の流れも現実もまったく違うものなのだ。それは人々が見る夢がすべて違うことに由来する。この夢の、現実の受け止め方を共通化、公式化することにより人々は共通の現実を享受することがようやくできる。この共通化、公式化は人々が所属する社会が作り上げるものであり、それはつまりは誰かによって定められたものなのである。

そのために所属する社会が違えばこの公式は異なる。

(続く?)


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