MT(マニュアルトランスミッション)は絶滅危惧種である。
しかしそんな中、復権の兆しも見えている。
初代アルトワークスのCMではこう言っている。
「運転ではない、これは運動だ」
そしてアルトワークスの復活。
「クルマと自分がひとつになる」
「いま、マニュアルにのる」
AT全盛、そして自動運転技術が興隆しドライバーの主体性が失われつつある今だからこそ、ドライバーの操作が走りに直結し、上手い下手もドライバー次第のMTの意義が改めて認識されている。
なぜMTに乗るのか。それはこの動画に集約される。
「がちゃがちゃすんの、楽しいから」 fun to shift
シフトチェンジは楽しみなのだ。クラッチを切り、エンジンの回転数を合わせ、シフトを操作し、ギアをつなげる。
この時、回転があっていなければクルマはピッチングし、「下手くそ」とドライバーに静かに伝える。ドライバーは悔し涙を流し、再びチャレンジする。それを繰り返すうちにドライバーの技量は増し、いつしか神のようにまるで何事もなかったかのようにシフトレバーだけが前後左右に移動しているだけとなる。そこに最初あった衝撃はない、スムースそのものである。
運転ではない、運動だ
目的地に着くための移動、モノを運ぶための運搬ではない。例えるならアルペンスキーだろう。
わざわざスキー場までいって、リフトで山の上に登り、スキーですべっておりる。その繰り返しである。
のべ滑走距離は相当になるが、最終的に同じところに下りてくるだけなので、絶対的な移動距離はゼロである。また荷物も載せられないため、実用性はゼロである。吹雪になれば寒いし、日がさせば日焼けする。それでも誰も意味がないとは言わない、なぜならアルペンスキーはアウトドアスポーツであるからだ。
これがMT車であり、さらにいえばオープンカーである。アウトドアスポーツ、スポーツカーとは運動である。運動なのだからMTでがちゃがちゃすんのが「目的」であるのはなんら不思議ではない。
AT技術の進化はすなわち、健康な男子だけではなく、女子供、老人、身体障害者でも運転ができるようにという民主化の歴史であった。限られ選ばれた人だけではなく、誰でも運転し、遠くまで移動ができ、重い荷物を運搬できる身体拡張能力が得られるのがクルマだったのだ。
いつしか移動と運搬のみが主目的となり、実用性と利便性の名のもとに本来もっていたスポーツ、楽しみを顧みられることがなくなってきた。それが結果的に「クルマ離れ」を引き起こしていることは自明。
スキーを移動手段、運搬手段ととらえ、コスパを考えたらどうなるのだろうか? この問いの答えは意味をもたない、なぜなら問いがナンセンスだからだ。
改めて現代におけるMTの位置付けは何か。それはもうエクササイズ、スポーツ、レジャー、という軸で考えるべきだろう。
スズキ・アルトでは当初RSターボでシングルクラッチのセミオートマを導入したものの、結局は普通のMTが欲しいという声に後押しされてMTのワークスを出した次第だ。
それほどみんな「がちゃがちゃ」したかったということだ。
ペダルの踏み間違いによるAT車の暴走事故
残念ながら今のAT車で一番の問題となっているのは、ペダルの踏み間違いによるAT車の暴走事故である。特に高齢者に多い。
その原因は様々なケースであろうが、ただ一ついえるのはMT車は暴走事故が起きないことだ。
MTはその構造上、なにか操作を失敗したらエンストして止まる。また何かの問題があってエンジンが勝手に吹けあがってもクラッチさえ切れば、暴走することはない。
だから高齢者には本来、MT車がいいのだ。両手両足の連携動作はボケ防止にもなると言われている。
MTの進化
高齢者向けMT車の進化としてあるとしたら、クラッチ操作の自動化である。渋滞時のクリープとアイドリングストップを連携してやってくれたら、それだけでもまったく問題ない。クラッチをバイワイヤー(スイッチ)にして、1速に入れたらあとはクラッチを切らなくともエンストしないシステム。
シングルクラッチのセミオートマと同じクラッチの仕組みだが、大きく違うのはシフトはマニュアル操作な点だろうか。あのザラザラしたギアの感覚、シンクロがはじかれた時の手の痛み、あのインフォメーションが大事なのだ。
セルモーターを駆動に使うのもいいだろう。速度が低下、アイドリング回転以下になると自動的にエンジンは停止させ、駆動したい場合はセルモーターで前に進むのだ。そうすれば1速でクラッチをつなぎっぱなしでもモーターで駆動し、アイドリング回転以上になればエンジンを始動させてモーター駆動をやめればいい。ちょっとしたハイブリッド車のように、渋滞時は電気自動車になる。
いざというときにクラッチを切って駆動を物理的にカットする、これがいかに大事なことか、安全面を考えるとまさに一番重要な点ではないかと思う。
移動・運搬とは違う価値観を
MTは運動であり、リハビリである。皇居をマラソンするのと同じように、健康のためであってもいいだろう。速度を出す、タイムを縮めるだけがスポーツではない、ゆっくりと、確実に操作すること、それが目的かつ価値であってもいいだろう。
(参考)
⇒ 池田直渡「週刊モータージャーナル」:一周して最先端、オートマにはないMT車の"超"可能性 (4/4) - ITmedia ビジネスオンライン