「さぱり」サービス開始17周年記念日とVAIO事業売却発表


本日2月6日、ソニーから正式にVAIO事業売却が発表されましたが遡ること17年前の今日、3Dチャットサービス「さぱり」をサービス開始をした記念日でありました。

さぱりCafe -さぱり総合情報サイト-

さぱりは1997年2月6日にSONYによって公開された、VRML言語を用いた3Dの多人数オンラインチャットです。 3Dの仮想世界(以下ワールド)で仮想化身(アバター)となり、ネットを通じてリアルタイムで他人とコミュニケーションがとれることは、当時のパソコンユーザーにとってはまさに衝撃的でした。 公開当初、当時は低速回線、低性能PCだったにもかかわらず、3Dチャットさぱりのユーザーは着々と増えていきます。 ここでは、さぱりの歴史を年ごとに振り返ってみましょう。

サービスを創った自分自身がすっかり忘れていたのですが、そうでした、そうでした。

Sampo Park Relaxation(散歩・パーク・リラクゼーション)、「さぱり」はそのVAIO部隊の中のとあるソフトウェア部署の、3Dコンテンツを作るユニットで生まれました。ユニットといっても実働は私一人だったような...企画立案・ディレクション、プログラミング(オーサリング)は私一人。サーバー立ち上げやHP造りも一人。モデリングだけ外注に出して、外注コントロールも私一人。外注さんのモデリングデータをもらい、VRMLへ変換しJavaで動きをつけて動作確認。一人で2台のパソコンを使って一人で2ユーザーのチャットをして、ということを毎日繰り返して、作りあげたものです。ちなにも当時の開発PCはVAIOではなく、今は亡きDEC、モニターは三菱ダイアモンドトロンでした。

その後人気が出て一人では回せないのもあり、人をつけてもらってチーム体制でサービス運営をしていきました。「さぱりガール」と呼ぶアテンダント制度を導入し、昼間は常にスタンバイ、右も左も分からない初心者に話しかけて使い方を教える、話し相手になるということを先駆けてやってました。

「さぱりガール」は当時20歳半ばの女性で、無茶苦茶タイピングが早い上に辞書登録をすることで、定型文を1文字で出せるにしていて、聖徳太子ばりに一人で10数人の相手をしていました。今でいえば「無双」ってやつですね。

1997年当時はVAIOビジネスが立ち上がったばかりでまだ「銀パソブーム」の505が出てない頃。

PCG-505

つまりは全然売れなかった状況で、そんな中色々な試行錯誤にチャレンジをしていた時期。Web上で3Dを表現するVRMLのコンテンツを作る、というのもそのうちの一つで、結果的にいえば見事に滑ったわけですが、それでも当時の3Dチャットサービスの中では大成功を収めたと言っていいでしょう。

その原動力はヒットしたVAIOへのプリインストール。

VAIOを買ってきてインターネットにつなげて、適当にプリインストールソフトを起動したらたまたま「さぱり」がつながったというユーザーも多かったようです。当時はまだテレホタイムがあって11pmからが本番、にもかかわらずPHSで従量課金でつなげ、電話代が10万円超えたとかいっていわゆるネット廃人になったユーザーもいたほど。それ位、中毒性がありました。

VAIO事業売却というのはもといた場所がなくなるという意味でも、同期やお世話になった上司や後輩のことを考えても寂しい限りです。当時の悪戦苦闘、新しいことへのチャレンジ、挫折、色々な思いが去来しますが、本当に充実した時期でした。あと一言、若かったなあ、今ならもっと上手く立ちまわれるのになあ、と思うのは17歳も年をとったからでしょう。17年ですよ、気が遠くなりました。

まとまりはありませんが、VAIO事業初期の頃は本当にこう、混沌としてて、色々なことをさせてもらえて忙しくも楽しい時期でした。ありがとうございます。

なお、AIBOを3Dマスコットにして音楽に合わせて踊らせる、というソフトも作ってVAIOにバンドルしています。

これは「さぱり」の3D制作の応用で、モデリングしたDXFをDirectX5に変換して動かしていました。

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