ヤマハ発動機の車イス用電動アシストユニットが17年ぶりにモデルチェンジしました。
車いす用電動アシストユニット「JWX-2」発売 アシストモードを2パターン設定、簡単に切り替え可能 - 広報発表資料 | ヤマハ発動機株式会社 企業情報「JWX-2」は、電動アシスト自転車PASの技術「パワー・アシスト・システム」を応用し、車いすのハンドリム操作の負荷に応じて電動の補助力がはたらく車いす用電動アシストユニットです。1996年の発売以来、国内外で高い評価を得てきた「JW-Ⅱ(ジェイ・ダブリュ・ツー)」の「扱いやすさ」「軽さ」「快適性」といった従来からの特長はそのままにフルモデルチェンジしました。
あれは25年前のこと。
2輪車で杉並の路地を走っていた時、駐車車両をさけて右側へ出たところ、同じく駐車車両を避けてでてきた軽自動車が出てきました。ブレーキは間に合わず、直前にバイクを倒して避けようとしたものの、そのままスライディングしながら正面衝突。バイクはほとんど壊れず、バイクと軽自動車の間に挟まれる格好になった私の大腿骨が砕けました。
そのまま病院に運び込まれ、手術入院。約2ヵ月の入院生活を余儀なくされました。
なにせ全体重を支える大腿骨が7つくらいにバラバラになったので、手術して金属のプレートとボルトとナットで固定。完全に骨がくっつくまで装具と呼ばれる、体重を足の外側で支えるためのアルミフレームを作成して装着。これで約8ヵ月ほど生活していました。
最初装具をつけて歩くときは感動しました。それまで病院のベッドから1mmも動くことができず、できたのは天井を眺めることだけ。大腿骨が折れているために寝がえりを打つことすらできません。そこからこの装具をつけることで、自立し、歩くことを許されたのです。
目線がベッドの高さから身長の高さになったときの視界の広さ、そして歩くことによって変わる景色。それがたとえ小さな外科病院の廊下であったとしても、自分の意思で移動できること、変わる景色を眼差しに焼きつけること、それが楽しくて数メートルの距離の廊下を何十往復したことを覚えています。
退院し、藤沢の実家に戻ったのは暮れも押し迫る12月末。高校の同級生から「これから横浜で忘年会やるから来いよ」と黒電話にかかってきました。いつものノリで行くといい、装具をつけたまま外出しようとして母親に駅まで送ってくれるように頼みました。ところが、母親が烈火のごとく怒りだし、行くなというのです。反発心旺盛な私はその忠告を聞き入れず、一人、冷え切った夜空の中、駅まで歩きだしました。
普段なら10分で着くはずの駅なのに、10分たってもその1/3にも辿り着きません。寒いはずの夜空なのに、なぜか汗は噴き出し、そして全体重が尻にかかる装具で、尻も痛みます。歩幅は普段の半分以下、そしてその歩みはゆっくりです。
駅までの道のり、距離は変わらないのに余りに遠くて気が遠くなりました。ああ、これは横浜はおろか、藤沢駅にもたどり着けないな、と。その頃はバリアフリーなんてありません、すべての乗換は階段で上り下りしなければならないのです。
そうやってくじけそうになったとき、母親が運転するクルマが路傍の私の横に止まったのです。窓を開けて、
母「ほらいわんこっちゃない、乗って帰りなさい!」
私「いやだ、乗らない!」
母「そんな体で無理でしょ、いいから帰りなさい」
ここで何かが途切れました。そうです、こんな体なのです。自分の意思で、意図どおりにならない自分の足。感情が吹き出しました。それまでの人生、いや今までの人生の中でこれほど泣いたことはないというくらい、号泣しました。あふれる涙が、感情が止まりません。どうしてこんな痛い目にあったのか、どうしてあの事故は避けられなかったのか、なんで自分の思い通りにならないのか、普段どおりに過ごしたいという些細な願いもかなえられないのか。理不尽さに、無慈悲な運命に抗うことのできないことに、涙しました。
結局母の申し出を断り、泣きながら歩いて家に戻りました。もちろん忘年会には行けませんでした。
それから数カ月後、装具がとれ、自分の足で歩けるようになりました。最初は8ヵ月膝を曲げていなかったために数mmも曲げられなかった膝が、リハビリで半年で正座ができるようになるまで回復しました。
そしてクルマの運転も出来るようになりました。数カ月ぶりに運転するクルマ、ATでしたがその余りもの速度感、そして移動感に圧倒されました。誰にも断らずに、自分の意思で、自分の好きなところにいけることに感動しました。歩けること、乗り物の楽しさと自由。そう、自由です。
特に2ヵ月にも渡る入院生活、そして装具をつけて痛い思いをしながら歩くことの不自由さ、そして周囲の目、健常者と違うことを常に考えながら行動計画すること。それを体験したあとに普段の、なにげなく歩くこと、移動することがいかに自由で、楽しいことか、を改めて思い知りました。
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今回、ヤマハ発動機が発表した車いす電動アシストユニットJWX-2の発表会と体験試乗会で、あの、動けなかった時代を思い出しました。そして電動車イスに乗った時の感動、自分の意思で動けること、景色が変わること、自由、フリーダムを!
当たり前のことは当たり前でなくなってからでないと、なかなかその価値を理解できません。普段私たちが何気なく歩いていること、振り向くこと、立ち止まること、これはすべて自分の意思でやっていることです。
しかし世の中にはそれが出来ない人もいます。私は一時期、そんな状態を体験したことがあったため、回復して今では自由に歩けること、移動できること、そして車を運転して遠くへ行けることにいつも感謝しています。
普通の車イスは腕の力で動かします。しかし腕の力は足と比べると決して強くなく、また車イスに乗るような生活をする人の中では、腕を動かすのも大変という方も多いことでしょう。電動アシストユニットはヤマハ発動機の最新の電動アシスト自転車PASの技術を応用して作られており、とても自然な操作フィーリングと軽い力で遠くまで行くことができます。しかも両方を等しい力で回す必要もなく、片手で回すだけで直進性を自動的に保ってくれます。さらにアシスト量のコントロールを切り替えたり、モードの設定をPCで行って調整することも可能。
▼ ホイールのところにそっと手を添えるだけ。後は電動アシストですっと前へ、数メーター走行。スロープも楽々、下り坂では自動的に速度制御、電磁ブレーキにより停止。
▼ 介助者用のコントロールパネル。押すと走行可能
確かに家族や介護の人の手を借りれば、車イスを押してもらうことはできます。しかし人は自立したいのです。その自立心をアシストしてくれる技術開発、というのは今後の高齢化社会、介護社会を見据えると非常に重要です。
車イスに対応できるバリアフリー化を、と都市では整備が進んでいますが、地方では進んでいないのが実情。もちろんバリアフリー化は重要ですが、すべての場所が平坦だったり、スロープを作るのは難しいです。例えば私が大好きなお城、石垣や櫓の中といった場所や、高尾山などの山歩きはそもそも無理な話。
現在の車イスがF1、レースカーばりの路面を要求しますが、今後SUV的にオフロード対応をしていったり、さらには4足歩行、2足歩行でまさに自分の足で歩くかのように自在に歩けるといった進化を期待しています。私の足腰が立たなくなる20~30年後にはそういう時代が来ているといいですね。そのためにも今からモビリティメーカーには頑張ってもらいたいです。