最近森高千里にハマっています。
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もっと正確にいうならば、再びハマりなおした、というべきでしょう。なぜなら20年前に十分ハマっていたから。どれくらいハマっていたかというと、研究室にあった当時貴重だったスキャナで森高のグラビア写真をスキャンし、X68000用に最適化。65536色で表示させたり、「ダメッ」という声をサンプリング、X68000のエラー音に設定したり。そういえばSX-WindowsでADPCMサウンドファイルをエディットするプログラムまで組んで使ってました。
あれから20余年。
改めて森高千里の歴史を振り返り、自分にとって、日本の経済にとって、そして日本の社会にとってどんな影響を及ぼしたのか分析してみます。
【森高千里の歴史】
「森高千里」という存在は簡単に分けると大きく3期に分けられます。
・誕生期(1)
・成長期(2)
・円熟期(3)
1)誕生期:80年代最後のリアル・アイドルとして
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森高千里 - Wikipedia1969年、大阪府茨木市に生まれる。幼少時に一家で熊本県熊本市に移る。九州女学院在学中の1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞。同コンテストで審査員を務めていた糸井重里とCMで共演。同年冬に芸能活動を本格化させるため上京。九州女学院を中退し、堀越学園に編入する。
「森高千里」はポカリスエットのCMで抜擢、一躍時代の寵児となります。いわゆるシンデレラ・ストーリー。CM効果と抜群の容姿で同世代の男性のほぼ全員が「森高千里」の名前と顔を覚えることになります。大学生となっていた私も当然その可愛さに驚愕、虜となります。しかし。
その後順風満帆といかず、迷走をしはじめます。
歌に女優に。「アイドル」としての売り出し方として、例えばアイドル・南野陽子が歌に女優にと活躍の場を広げたのに倣い、当然ドラマや映画に出たのですがその演技力のなさに全員が驚愕。いくらアイドルに甘い我々でも、予想を超えるセリフ棒読みにひいたものです。
一方の歌でうまくいったかというと、そうでもなく。フリフリのアイドル、ではなくボディコンといった「繁華街に実際に存在する女性」ファッション。田舎からきらびやかな東京に上京してきた家出少女、しかしその煌びやかな大人の世界で失恋や挫折を繰り返すといった、現実的ではあるが幸薄い少女といった印象。
「1986年のマリリン(1986年2月5日リリース)」の本田美奈子、「六本木純情派(1986年10月29日リリース)」の荻野目洋子と同時代であるが、その幼い表情と垢ぬけさが大きなギャップ。デビュー曲「NEW SEASON」ではソバージュでドラムをたたいて歌うなど、ミスマッチが目立ちました。
結果不遇な時代を過ごし、ストレスで健康を害します。
2)成長期:バーチャルアイドルとしての開花
迷走を続けた第一期から2年、転換期を迎えます。それがメガヒット「17才」。「17才」がカバー曲であったとかそういったことはどうでもよく、問題なのはその衣装。従来の世相を反映したボディコンファッションでも、フリフリのアイドルでもないもの。フレアのミニスカから伸びるスラリとした足にハイヒール、さらにトドメのパンチラ。不似合いとはいえ、ボディコンなど街中で見かけてもおかしくないファッションだったのが変態丈ミニスカ、全身スパンコールのギラギラな衣装といきなり「非現実化」します。
ファッションだけでなく、歌、特に歌詞にも大きな変化がみられます。このころから森高自身が作詞を手掛けます。自らストレスで体調を崩したのをもとに「ストレス」を作詞、
「このままじゃ地球がダメになる」
と大袈裟、アイドルでも等身大の恋愛でもない独自の世界観を構築します。「ストレス」のPVでは衣装もウェイトレス姿と「コスプレ」を実践し、「ザ・ストレス(ザ・森高ヴァージョン)」ではジャングルの中にあるという伝説の「ストレスの王国」を探す探検隊の物語を描いています。
つまり「現実離れ」を加速することでそれまでのバブル経済を背景にしたリアルだけど森高には似合わないリアル女性像と決別し、独自の世界へ突入したのです。つまり「森高」というバーチャルキャラクターと世界観を、現実化したのが森高千里という形です。それは「ザ・森高」「森高ランド」といったネーミングによくあらわれています。
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3)円熟期:等身大の女性、アーティストとして
第二期で成功を収めた森高の支持層は主に男性、オタク系といってよく、女性からの支持はほぼありません。しかしエスカレートするバーチャル・アイドル化の一方、森高が本来持つ「アーティスト」としての才能もだんだんと開き始めます。作詞だけではなく作曲、ドラム演奏だけでなくキーボード、ギター、リコーダーと活動の幅を広げます。
そしていつしかミニスカを封印、ロングだった髪もショート~セミロングにして心機一転。等身大の女性として、同世代の女性の気持ちを代弁するような曲を次々と出し、女性からの支持を受けます。
安定した楽曲、容姿端麗さは変わらぬものの、同時代に小室哲哉プロデュースのアーティストがヒットチャートを席捲、私の興味はだんだんと失われて行きました。
4)突然の幕引き
終焉は突然です。30歳を迎えた1999年、江口洋介と結婚。出産のため産休に入った以降、活動を休止したのでした。
・・・
自分の中で森高といえば第二期「バーチャルアイドル」時代がピークでした。その奇抜な歌詞とファッション、インパクトのあるPVはリリースするたびに狂喜乱舞。次はどんなことをやってくれるのか、ほんとドキドキワクワクしながら待ってましたね。
一方第三期、「渡良瀬橋」のヒットで国民的アーティストとなったのですが、バラードなどスローテンポな曲は余り好みではなく、惰性でCDを買っていたような気がします。
さてこの森高の売り方の変遷は日本社会・経済と密接な関係にあります。
第一期は1986年~1988年、バブル景気に湧く時代。
バブル景気 - Wikipediaバブル景気(バブルけいき)は、1980年代終盤から1990年代初期までの数年間に日本で起こった、資産価格の上昇と好景気、及びそれに付随して起こった社会現象である(昭和・平成バブル)。
バブル景気 - Wikipedia現在イメージされる、ワンレングスヘアにボディコンワンピースの若い女性たちがジュリアナ東京で扇子を振って踊り、日本中に札束が乱舞し金満社会になっていたという、極端にステレオタイプ化されたバブル景気のイメージは、最盛期である1988年春頃に形成されたものである。
デビュー曲「NEW SEASON」でGジャン姿だった森高千里はその後クラブでの恋を描いた「オーバーヒートナイト」、外車が通りを埋める六本木をイメージした曲「GET SMILE」、「見て」などをボディコン衣装で歌うことになります。まさに家出少女が上京し、大人の世界に憧れ背伸びして挫折する姿そのもの。
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第二期はバブル経済最盛期、1989年という特異点に誕生します。1989年はクルマでいえば日産Z32 Z、R32 GT-R、ホンダNSX、トヨタ・セルシオが発売された年。その1989年7月25日に5枚目のアルバムとなる「非実力派宣言」が発売されるのです。
この中の曲「非実力派宣言」の歌詞がすごい。開き直り、アイドル否定です。
・実力はない、実力は人任せ
・歌は下手、でもやるしかない
・(暗喩的に)顔はいいのよ
これと同時に展開したのがコスプレ衣装、変態丈ミニスカ+美脚、パンチラ。
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森高千里 - Wikipedia発売当時はビジュアル面での営業戦略として、斬新なプロモーションビデオの販売展開がなされていた。当時所属していたレコード会社が、パイオニアの資本が入ったワーナー・パイオニアだったこともあり、秋葉原電気街ではレーザーディスク本体の店頭デモンストレーションのほとんどが「臭いものにはフタをしろ!!」の一色になった時期もある[6]。
実際にこの時期を体験していますが、その破壊力はすさまじいものでした。リピートで永遠に森高のミニスカ美脚が再生され、町すべてが森高に染まるといった状況はまさにリン・ミンメイかメガゾーン23の時祭イヴか。今あるオタクシティ秋葉原の萌芽といっていいでしょう。技術系、オタク、コスプレが連動した最初の成功例です。
ところがバブル経済はあっけなく崩壊します。
実体経済から乖離して資産価格が一時的に大幅に高騰し、その後急速に資産価格の下落が起こる様子が、中身のない泡がふくれてはじける様子に似て見えることからこのように称する。また、その景気後退期を「バブル崩壊」などと呼称する。
バブル崩壊と同時に男性の時代が終焉を迎えます。それまで豊富な資金をもって女性を翻弄していた「強い男性」が姿を消し、代わりに女性の社会進出が加速します。OLとなって自分で稼ぎ、女友達と遊ぶ時代です。
同時に女性が社会進出し、男性に頼らず自分自身のお財布で遊ぶようになり、女性同士で遊びに行く定番といえばカラオケボックス。カラオケボックス向けに歌える曲や、心情を代弁するような歌詞がウケる時代へと変化していきます。
同時に問題となったのは、森高の支持基盤がぜい弱だということです。つまりオタク系男子にしか支持されていないニッチなアイドルでは早晩限界を迎えます。また年々エスカレートする森高ワールドはインフレを起こし、ネタ切れ、コスプレ疲れも見えていたことは間違いありません。
音楽業界においてバブル崩壊の一番大きな影響は、歌の売り方が変わったことです。それは「タイアップ」です。
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タイアップ全盛時代の象徴・森高千里とPUFFYこのようなタイアップ全盛時代を象徴するアイドルとして、90年代前半には森高千里、後半の代表にPUFFYの名を挙げることができる。
(中略)
1993年のANA沖縄キャンペーンソング「私の夏」、「ソーダとジンでケムール人」という風変わりな歌詞で話題となったサントリー”アイス・ジン”(「GIN GIN GIN」95年)やローソンの「行ーかなくちゃ、行ーかなくちゃ」のCMソング(「Let's Go! Let's Go! (II)」97年)などが代表的なところ。ドラマの主題歌に日本テレビ系『まったナシ!』の主題歌となった「私がオバさんになっても」などがある。
速水健朗「タイアップの歌謡史」 p.194~195
上記以外にも第三期には様々なタイアップソングを出しています。
臭いものにはフタをしろ!! - Wikipedia 「臭いものにはフタをしろ!!」は電話機のCMソングとしてリリースされた。
勉強の歌/この街 (HOME MIX) - Wikipedia「勉強の歌」は、日本テレビ系アニメ『おちゃめなふたご クレア学院物語』のオープニング・テーマである。
八月の恋 - Wikipediaカップリングの「いつまでも」は日本テレビ系アニメ『おちゃめなふたご クレア学院物語』のエンディングテーマ、ただしTV放送版と今作では歌詞が一部違う。なお同番組のオープニング・テーマは、同じく森高の「勉強の歌」。
ファイト!! - Wikipedia 1991年バレーボールワールドカップのイメージソングに起用された楽曲。
渡良瀬橋 (曲) - Wikipedia 「渡良瀬橋」(わたらせばし)は、森高千里が作詞、斉藤英夫が作曲・編曲を手がけた曲。1993年に発表。テレビ番組『いい旅・夢気分』のテーマ曲として使用された。
ハエ男/Memories - Wikipedia フジテレビ系「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」ハエ男コーナー挿入歌
風に吹かれて (森高千里の曲) - Wikipedia 全日空「ラ・九州」キャンペーンソング
ロックン・オムレツ - Wikipedia フジテレビ系列『ポンキッキーズ』挿入歌。子供番組の挿入歌ということもあり、歌詞やメロディは比較的覚えやすいように作られており、演奏時間も2分30分ほどの短い曲である。
気分爽快 - Wikipedia アサヒ生ビール「Z」CFソング(森高自身も一時期出演、アサヒビール#過去に存在した商品も参照)
夏の日 (森高千里の曲) - Wikipedia テレビ東京系「浅草橋ヤング洋品店」エンディングテーマ
素敵な誕生日/私の大事な人 (シングル・ヴァージョン) - Wikipedia アサヒ生ビール「Z」CFソング
二人は恋人 - Wikipedia 日本テレビ系列ドラマ『恋も2度目なら』主題歌
休みの午後 - Wikipedia 「渡良瀬橋」同様、テレビ東京系『いい旅・夢気分』のエンディングテーマとして使用された。
ジン ジン ジングルベル - Wikipedia 森高の楽曲「GIN GIN GIN」(アルバム『TAIYO』収録)が使用されていたサントリーアイス・ジンのCMで、クリスマス期間に使用された楽曲。カップリング曲「GIN GIN ジングルベル」がCMヴァージョンで、「ジン ジン ジングルベル」は歌詞の一部が異なる。
SO BLUE - Wikipedia TBS系列COUNT DOWN TVオープニングテーマに起用された。
ララ サンシャイン - Wikipedia ちなみに「夏はパラレイロン」も当時ニッポン放送で放送されていた「森高千里 STEP BY STEP」内の『パラレイロン普及計画』でタイアップされた。
銀色の夢 - Wikipedia 明治チョコレート「Meltykiss」TVCMソング。
Let's Go! (森高千里の曲) - Wikipedia カップリングの「Let's Go!(ll)」と共に「ローソンへ行かなくちゃ」TVCMテーマソング。ローソン店内でもよく流れていたが、CDのセールスとしては今一つに終わった。
SNOW AGAIN - Wikipedia 明治チョコレート「Melty kiss」CMソングに使われ、このTVCMには本曲のPVの一部が使われている。
電話 (森高千里の曲) - Wikipedia カネボウ「SALA」TVCMイメージソング。
海まで5分 (森高千里の曲) - Wikipedia TBS系列ドラマ『海まで5分』主題歌。(中略)
前述のドラマで使用されてから10年以上を経た2010年8月頃より、森高自ら出演するパナソニックのビデオカメラCM曲として使用されている。
冷たい月 (森高千里の曲) - Wikipedia NTV主催の美術展『パリ・オランジュリー美術館展』のイメージ・ソング。
私のように - Wikipedia 「私のように」はキリン「ナチュラルズ」コマーシャルのイメージソング。
・・・半分くらいだと思ったのですが、シングルのほぼすべてがタイアップ、イメージソングでした。そうでないものを見つけるのが大変なくらい、多すぎますね、これは。タイアップするために曲をCDとして出す、という逆の流れ。
ところがタイアップ戦略が飽きられてきたのか、CDセールスは年々落ちていきます。楽曲の品質自体は代わりはないものの、1998年をピークとしたCD市場の減退、女性アーティスト市場における競争の激化、タイアップ戦略の限界、そして30歳を迎えようという森高の「オバさん化」による若さ価値の逓減、など複合的な理由でしょう。
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第三期では同年代女性の支持を受けるために森高自体がバーチャルアイドル「森高」から等身大のリアルな女性「森高千里」へと戻っています。ところがリアルに戻ったが故に問題が顕在化したのが「オバさん化」による価値逓減。
曲は売れなくなる、いまさら女優になれない、バラエティなどTV番組にも出れないとなると30代をどう生きるか。アイドルからはじまったキャリアメイキングに困った末、突如結婚退職、専業主婦化で華麗にEXITするのです。
ある意味、90年代最後の伝家の宝刀といっていいでしょう。「結婚退職」、「専業主婦化」は今では憧れの人生設計。安定的な収入(人気)のある旦那を捕まえ、子育てに専念することに成功します。
もしこの時結婚しなかったらずっと同年代女性の代弁者として曲を出していたのでしょうか。例えばマンションを購入、ペットを飼いだした「負け犬」の歌、非正規雇用の年下男性との経済的に困っている恋など。一ファンとしてはそんな森高さんは見たくありませんが。
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例えば高齢化による価値逓減をものともしないアイドルといえば、郷ひろみ、ジャニーズでいえば近藤真彦や少年隊など。水木一郎やささきいさお、堀江美都子といったアニソンの大御所も年齢にかかわらず価値は逓減しません。
事実上の引退から10余年。
2000年代はCM出演や女性誌での表紙、執筆など活動は控え目でしたが、子育てが一段落した昨今その活動が活発化しているようです。そして驚くのはオーバー40とは思えない容姿端麗さとプロポーション。美脚の健在ぶりに「女ざかりは42でしょ」と歌いたくなるほど。昔と比べてああだ、こうだと揶揄する輩も多いですが、私たちの常識で想像する「子持ち42歳女性」のイメージとはかけ離れていますよ。もはや「(いい意味の)化け物」と言っていいほど。
山口百恵のように、一度結婚引退したアイドルは復帰しないのが一世代前の考え方。しかし今ではママドルといって活動し続けるのが一般的です。
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森高千里がママドルとして活動を活発化するのが果たしていいのかどうかは分かりませんが、いったん引退した専業主婦が復職する、というのは日本社会の趨勢なのかもしれませんし、その裏には旦那(男性)の弱体化がベースになっているのが遠因とも考えられます。
2010年代、森高千里がどういう活動をするのか。それは同年代の女性のみならず、日本経済の行く末を占う道標になるといっても過言ではありません。
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次回予告)
かしゆかと森高の類似性について。かも?