「911でソーシャルメディアが生まれ、311で死んだ」が話題です。ガジェット通信でも掲載され、あちこちで反響を呼びました。
▼911でソーシャルメディアが生まれ 311で死んだ - ガジェット通信
一方で反論や反発も多くいただき、改めて反響の大きさに驚いています。
今回はその続編として、なぜツイッターじゃダメなのか。そしてタンブラー(tumblr)がヒントになるのかを説明します。
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実はツイッターとタンブラーでは機能にほとんど違いがありません。どちらも「ミニブログ」という位置づけで、ブログの機能をそぎ落として2007年頃に開始されたサービスです。
ツイッターはタンブラーよりももっとシンプル、140文字のテキストしか扱いません。というのもツイッターはミニブログというよりもICQに端を発するインスタントメッセンジャーの末裔で、メッセンジャーの「ステータス表示」を頻繁にかえるという使い方に着目してその機能だけに絞ったものだからです。ステータスという表記はWeb上では見当たりませんが、API上にその名残をとどめています。140文字という数値はUSAの携帯のSMSが140文字制限というのに由来します。
ソーシャルメディアが311で死んだ、のはこのツイッターによるデマの拡散があまりに広範囲で多大な影響を与えたから。その意味では旧来マスメディアと同じかそれ以上の存在感を示した画期的な出来事でもありました。
デマの拡散と同じくらいデマ情報を打ち消す情報(消火情報)も流れた、という意見もありましたが
・デマ情報と消火情報とはタイムラグがあり、その間大きな混乱をきたした。情報面だけでなく、感情面も。
・消火情報がすべて行き届いたとは考えにくい。
という点で不十分です。
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なぜ tumblrか。まずtumblrの使い方をひもといてみましょう。
大きく分けて、postとreblogがあります。
postは「情報発信」の位置づけでブログのようにポストするものですが、tumblrの場合は自由文を発信する人はほとんどの場合いません。見つけた「画像」、または「文章(パラグラフ)」をwebページから切り取ってpostします。
この「切り取ってpostする」という行為が重要です。
たとえばこれが はてなブックマークなどのブックマークサービスの場合「webページのURL」が最小単位となります。ところがtumblrは「Link」というもので同じ機能を持っていますが、「Quote」という文章単位、「画像」という画像単位に細分化することで、コンテンツを細分化します。
これがマイクロコンテンツ化です。
tumblrではほとんど「Link」は使いません。もっと細かな粒度であるQuoteや画像が主なコンテンツとなります。同じページから違う場所を引用してpostすることも多く、1つのページから複数のマイクロコンテンツが生み出されることも一般的です。
次にreblog。
reblogはツイッターでいうところのタイムライン(TL)に相当するDashboard上で行う、Retweet(RT)とほぼ同じ機能です。
reblogはツイッターの公式RTとほぼ同じ機能ですが、コメントを追加することもできます。ただ多くのユーザーはコメントなしでreblogします。
tumblrの特徴的なのはここからです。postとreblogの比率が圧倒的にreblogに偏っています。人によってはpostをほぼせず、reblogしかしないことも。逆にpostしかせず、reblogしない人は少数派です。ですからDashboard上はほぼreblogされたコンテンツが占有されます。
ここに情報の発信者(poster)と拡散者(reblogger)が明確に役割分担されます。
次にDashboardの並びです。
post/reblogされたコンテンツが、followしたユーザー情報とともに時間軸でDashboard上に表示されます。すると人気コンテンツは複数の経路をたどり、なんどもDashboard上で邂逅します。1度reblogしそこねたからといっても、もしそれがいいものであればしばらくすれば何度でも戻ってくるのがタンブラー。自分がpostしたものが巡り巡って1年後にDashboard上に現われることもありますし、めいぼうじんさんの名postは定番コンテンツとして2007年から3年半も愛されています(詳しく知りたい人は「めいぼうじん 秋場所」で検索)。
tumblrの特徴はこのDashboardにあります。
マイクロコンテンツ化された情報がまるで遺伝的アルゴリズムのように分離されたり、結合されたり、はたまた順序を入れ替えたりして現われることで新しい価値を生み出すのです。
まさにマイクロコンテンツGA(Genetic Algorithm)。
そのDashboardの奇跡ともいえる偶然がtumblrの醍醐味のひとつ。
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分かりやすく例を使って説明します。
まず魚がいるとしましょう。この魚がwebコンテンツです。
魚の姿形をコピーするのが「魚拓」。
魚のいる位置をクリップするのがブックマークサービス。
魚をさばいて、お頭だけにするのか、白身だけにするのか、目だけにするのか、骨だけにするのがマイクロコンテンツ化(素材化)。
この素材(マイクロコンテンツ)を調理して、料理にするのがDashboard。
素材は自分で釣ってくる(post)でもいいし、人がつってきたもの(reblogされたもの)を使ってもいいのです。
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高度情報化社会は情報の取捨選択、フィルタリングが重要と言われてきました。ところがフィルタリングだけではもう不十分。ネットをつかいこなして情報を得る、情報リテラシーの高い人は今まで他者を情報弱者として見下してきましたが、今回の311でデマに翻弄されたのは逆に情報リテラシーが高い方だったことからも分かります。
それもそのはず、デマが氾濫している情報をいくら取捨選択しても、残った情報がデマ情報にかわりません。逆に高度なフィルターで「よりもっともらしい、思わず信じてしまうデマ情報」だけが選択され流通してしまった側面もあります。
ここで重要なのは単一の情報それぞれで判断するのではなく、複数の情報をフローでみつつ、総合的に価値判断、場合によっては自分で関連情報を検索・確認して、さらに他者の解釈を加味して文脈化すること。つまり
キュレーションです。
ASCII.jp:キュレーションって何ですか? NAVER森川社長に聞くインターネットメディアにおけるキュレーションとは、「情報を価値付けし、情報と情報をつなぎ合わせて新しい価値(文脈=コンテキスト)を生み出す、という行動や概念を指す。従来のネットサービスにおけるアグリゲーション(収集)の多くが、機械的に情報を集めてくるだけであったのに対し、人の価値判断がそこに加わるのが大きな相違点だ。
tumblrはツールとして、自然にこのキュレーションができます。
もうひとつ、大きなポイントが「感情」です。
ツイッターは比較的感情を出しやすいソーシャルメディア。311の場合はその面が裏目にでて、みんな「不安」「恐怖」といった感情に流されてヒステリックに反応したところもあります。つまり不安の連鎖、パニックです。
一方tumblrはその「感情」が平素からありません。reblogは基本ノーコメント。純粋に情報発信・流通に特化しているので、311であっても「不安」や「恐怖」といった感情が表に出にくく、パニックに陥ることもなかったわけです。たしかに原発や津波の状況などDashboardに流れてきましたが、その合間にいつもとかわらずグラビア写真が流れてくるのは、落ち着いていた証拠(?)。私ですか?もちろん落ち着いてグラビア写真も reblogしましたよw
311のような大災害で二番目に怖いのは、群衆です。不安と恐怖に陥った人間がどんな行動するのか、そして集団心理が働いたときにどうなるのか。パニックというのは同じ場所で同じ体験をした人たちだけなるのかと思いきや、ネットの発達と大地震という広範囲に影響した共有体験によってパニックがソーシャルで起きることが証明されました。ネットが旧来メディアに勝る新しいメディアだと思っていたら、実は旧来メディアと同じ危険性も内包していた格好です。
twitterが本来果たすべき役割は、一次情報の発信でした。つまり原発なら原発のそばにいって、何がおきているのかを生の声であげる。これは旧来マスメディアではやりにくい、機動性があるネットメディアの利点です。ところが今回原発の中で事故がおきたので、事故関係者でなければその役割を果たすことができません。つまり当事者ゼロ、一次情報ゼロ。
そのため二次伝達に終始することになりますが、「感情面」がでやすいツイッターではソーシャルパニックがおきて、本来期待されていた正確な一次情報発信が埋もれたばかりか、デマ拡散装置として日本中を混乱の渦に陥れたのです。
その点tumblrは平時から二次伝達に終始しており、同時に二次伝達から一次情報を探して裏をとるという作業もごく自然に行われています。ですから比較的デマに強い、冷静なソーシャルメディアだったということができるでしょう。
<まとめ>
・ソーシャルメディアの強みとは、旧来マスメディアがあげない、あげられない一次情報をあげること
・情報伝達(特に二次情報)はキュレーションの手法を使い、情報と情報をつなぎ合わせて文脈(コンテキスト)で判断する
ツールによって向き不向きがあり、Twitterは一次情報のアップ、tumblrはキュレーションに向いていることが311で改めてわかりました。
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