911でソーシャルメディアが生まれ、311で死んだ

2001年9月11日、同時多発テロ発生。

ニューヨーク・ワールドトレードセンター(WTC)にハイジャックされた2機の旅客機が激突し倒壊。ワシントン、ペンタゴンにも同様に旅客機が墜落し、大きな被害を受けました。

この時私はニューヨーク、マンハッタンにいました。

911 smoke in the end of Ave.

空港は即座に封鎖、マンハッタンへ出入りできる橋、船すべて閉鎖されました。つまりマンハッタンは孤島となったのです。

この時情報は錯綜しました。一体WTCで何がおきているのか。マンハッタンで何がおきているのか。現地メディアのNY駐在員はともかく、海外メディアは「空港封鎖」「マンハッタンへの出入り禁止」により取材ができませんでした。

事件発生から数日後、ようやくマンハッタンに入れた日本のマスメディアが行った行動はこうでした。

石原慎太郎とブロガーが議論(4) ([の] のまのしわざ)

自身マスコミからのインタビューを受けるのは二度目。最初はあの911、ニューヨークのテロのときのこと。そのときに受けた印象と今回の印象はまったく同じで、一言でいうとマスコミはコンテキストにのせるためのコンテンツを探す、というもの。別の言葉でいうと、シナリオがすでにあって、それに合う俳優を求めている。

911の場合の質問はこんな感じ。

「どれくらい混乱しましたか?」
「水、食料とか枯渇しませんでしたか?」
「治安は悪くなりませんでしたか?」

答えはすべてノー。混乱したのはWTC近辺の人たちだけで、他の人にはほとんど影響なし。お店も普通にやっているし、地下鉄だって当日を含めて動いていたし。問題なのはマンハッタンからの出入りができなくなってしまったくらい。生活上は余り困ることはなかった、例えば食事など。お店が売り切れにもならないし、ちょっと不自由で、やることなくなって暇で友人と公園をプラプラしていたら報道陣に捕まったという経緯です。

このとき感じたのは、マスコミが求めているのは

・パニックになっているNY
・水・食料がなくなって不自由を強いられるニューヨーカー

という証言だということ。まるでオイルショックの時にトイレットペーパーに殺到して品不足になるような、極端な行動がニュースになるように。そんなのはnewsでもなんでもないのですが。

この時注目されたのが「Weblog(ウェブログ)」。今のブログです。

マンハッタンに住む市民が自らが撮影した写真や現地レポートをウェブにアップし、それが一次ソースとしてとても重宝されたのです。

正確で偏りのない情報として、ウェブログを発信する weblogger、略して bloggerはアメリカにおいて市民ジャーナリズムとして市民権を得ていきました。

ソーシャルメディアの勃興です。

あれから約10年。

2011年3月11日、東北関東大地震発生。

ソーシャルメディアはブログからSNS、そしてツイッターなどマイクロブログと一般に広がっていきました。今回の大震災、特に福島原発事故での情報においてツイッターの果たした役割はどうだったでしょうか。本来は正確で偏りのない一次情報が期待されるソーシャルメディアなのですが、実際には超強力な

デマ拡散装置

として機能してしまったのです。911の時は正確な一次情報を伝達したソーシャルメディアが、311ではそうなりませんでした。それどころか、従来マスメディアと同様に嘘、偽り、大げさ、憶測に基づいた情報が即座に、それこそ秒単位で拡散し、人々を不当な恐怖に陥れたのです。

この波は日本だけにとどまりません。世界各地にも秒速で飛び火し、世界中の国が日本から退避するよう呼び掛ける、日本からの渡航者や荷物に放射線チェックを行う、受け入れを拒否するなどエスカレートしています。

この大きな理由は2つです。

1)RTという機能が簡単すぎて、すぐさま情報を拡散することができるようになった

2)ユーザーが情報の真偽を確認せず、RTボタンを押してしまった

実際にあったデマですが、ある部屋でサーバーに押しつぶされて怪我をした、救急を頼むといった情報がありました。善意のRTによって情報はあっという間に拡散し、消防が動くに至りましたがその住所は架空のものだったとのことです。

誰かが怪我をしている、事態は急を要する。

この緊急事態に住所や、情報を出した人のそれまでの発言、人となりを確認することなくRTボタンを押してしまったのです。RTをした人を一概に責めることはできません。これは古くはチェーンメールといって、メールやメーリングリストが普及しはじめた頃によく見られた光景です。

「手術に必要なRHマイナスの血液を探している」

善意のメール転送により、メールのインフラは過負荷となり業務に支障をきたすまでになります。メール時代はインフラの過負荷でリミッターが効いたのですが、ツイッターの場合はこれまでの高負荷対策により十分な処理能力があり、リミッターがかかりませんでした。

そうなるともはや止まりません。善意のRTによりデマが拡散し放題です。

さらに問題になってきたのは、未曾有の危機に感情むき出しで会ったこともない人同士でののしり合いがはじまったのです。もはやこうなってくると情報の正確性や伝達能力とは別次元の話です。これまでもいわゆるソーシャル喧嘩は多々あったのですが、特に今回は政府発表、企業発表、マスメディアの報道の解釈を巡り専門家風の素人や中の人、まったくの一般人がくんづほぐれつの論戦を繰り広げ、情報の混乱に拍車をかけました。

これにより既存のソーシャルメディアの限界、問題点も浮き彫りになった格好です。つまり死んだ、といってもいいでしょう。ソーシャルメディアの終焉。ほぼ本当です。米軍情報。


ただこれは新しい時代の幕開けにすぎません。

クラスタ評論家のいしたにまさきさんによる、鋭い分析はこちら。

311東北地方太平洋沖地震:クラスター不在の原発関連の認識のむずかしさと電力不足という次のフェイズ:[mi]みたいもん!

これからものすごく当たり前を書くんですが、ソーシャルメディアというのは現場から発信されて、現場で受信されることに意味があるわけです。

だから、震災発生時第1フェイズの地域情報とか交通の状況とかの共有にはすごく有効だった。

ところが、原発事故という第2フェイズに移行してしまうと、現場じゃないところから発信され、自分が現場かどうかわからない不安になっている現場で受信されてしまったわけです。

つまり、状況の変化にソーシャルメディアが機能しなかった。

もっと言うと、既に存在しているクラスター間のやり取りには有効だけど、急に発生したクラスター間のやり取りには無効どころか有害だったということです。

これを意外なことに、石原慎太郎氏が4年前に正確に予見しています。

以下、メモから。


石原慎太郎とブロガーが議論(4) ([の] のまのしわざ)

2chは余りよくない。匿名性が高すぎるなど。

ブログはアメリカで(メディアとして)注目&重要視されてきている。
影響力がある
しかしメディアが情報のベースとなっている
新しい発見がない
ネットで拡散するだけ
(ネットユーザー)はマニフェストで評価
TVみない
ネット世論が大きな影響
ネット・ネットユーザーが力を持ってきている

ブロガーは自立(自律)している
自己編集能力を持っている

前回の都知事選の時期だけに選挙の話が多少入ってきていますが、注目すべきことに

「メディアが情報のベースとなっている」「新しい発見がない」「ネットで拡散するだけ」

と今回の出来事を予見しています。

そして最大の注目はこちら。

・ブロガーは自立(自律)している

・自己編集能力を持っている

です。自己編集能力とは同時に、情報の真偽を確かめることができる日頃の教養、調査能力、学習能力が求められます。まさにソーシャルメディアのあるべき姿を看破しています。

【余談】石原慎太郎氏について、非常に悪いイメージがつきまとっていますが、どれほど「直接」話したりつきあったりして醸成されたものでしょうか。ほとんどの人はマスメディアによる報道をベースに作られたイメージですよね。マスメディアがうそ、いつわり、大げさ、偏向で満ちているとしたら、石原氏の報道だけが正確で客観的であるはずがない、ということを前提に考えないと、さきの都条例の件も正しく理解できなくなります。余談終わり。

昨今キュレーションという言葉がバズワードとなっていますが、この「自己編集能力」が脚光をあびるキュレーションのひとつの大きな能力、と考えられます。

NAVERの「キュレーションセミナー」のパネルディスカッションで言ったこと、言えなかったこと:[mi]みたいもん!

そんなわけで、当日の私の発言としては、「今もっともキュレーションを体現しているサービスは?」ということに対しての答えである「それはtumblrです」というものであったと思います。

tumblrはこれだけ輻輳したソーシャルメディアの中で唯一、淡々とした情報が流れてきました。しかも日常と同じくグラビアアイドル写真に紛れて地震や原発の情報が入ってくるのです。なんというカオス、何という冷静さ。tumblrに次世代のメディアの在り方のヒントがありそうです。

911でソーシャルメディアが生まれ、311で死んだ。

そして不死鳥のように蘇るのはこれからです。

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