なぜクルマが売れなくなったか?(序章)過剰な母性がクルマ社会をダメにした

自動車関係でもないのに、毎日どうやったらクルマが売れるのかばかり考えています。おぼろげながらも頭に浮かんだことをメモ代わりに。

過剰な母性がクルマ社会をダメにした

いきなり過激なタイトルですが、これはクルマ社会だけでなく一般社会、国家にもいえる共通する傾向とおもっています。

ここでいう「母性」とは女性的なこと、女性が発想しやすいこと、特に母親的な視点や思考を総合しています。女性を指しているわけではないので誤解のないよう。

ベクトルでいえば「危険」で「エキサイティング」なものより、「安全」「安心」。快適性や楽チンさ、居心地のよさの優先。旅人よりも、安定安住。

クルマの進化は流行によるものや法規制などありますが、1970年代からはざっとこんなところ。

・排ガス規制(環境・健康問題)オイルショック
・エアコン、パワーウィンドウ、パワステの標準装備
・衝突安全性の向上
・居住性(広さ)の工場
・シートベルト装着の義務化(チャイルドシートの義務化)
・カーナビの進化
・ABS、VSAの標準化
・エアバッグの標準化
・燃費規制(環境問題)

どれをとっても「安全」「快適」の進化であり、その結果「安心」につながっています。

ところがその結果どうなったかというと、ボディは大きく重くなり、エンジンは小排気量かつパワーよりも燃費指向へ。運動性能が明らかに劣った非力で背高ノッポのクルマばかり。

80年代、90年代はそれでもエンジンの進化、パワー競争、筑波のラップタイムアタックなど男性的なアプローチが残っていましたが00年代は皆無。皆無ですよ。

そしてスペシャリティカー、スポーツカーは絶滅して現在に至ります。

安全は大事です。快適性も大事です。しかしいくらクルマの安全性が高くなったからといって、事故がなくなるわけではありません。所詮は人間が作って、人間が運転するものです。最後はドライバーの責任であり、責任をとらないわけにいきません。ハンドルを握るということは一歩間違えると凶器になるものを手にすることです。

ところが過剰な母性により、安全性や快適性があがったクルマからは凶暴性を感じ取れません。あるのは「安心」だけ。安心して1トンを超える鉄アレイを振り回しているんですから、末恐ろしい。

そして凶暴性を失ったクルマは、いわゆる草食化した男性とあいまって魅力を失ってしまったといっていいでしょう。残ったのは利便性だけです。

ところがこの利便性もコストの壁にぶつかります。

交通機関として比較した場合、ガソリン代だけでなく駐車場代、保険代、税金、その他メンテナンス費用。非経済的とみなされ、そもそも所有しないという方向にいくのは自明のこと。ここに趣味性や嗜好性による評価は入りません。すでにクルマから趣味性が失われているからです。

コストの問題にぶつかると、クルマは小さく、安い方向にふれます。軽自動車が(相対的に)売れているのはそのため。別に軽自動車が魅力的で趣味性が高いわけでなく、税金・保険料が安い、というイメージで売れているだけです。実際には燃費もコンパクトカーと同等か、場合によってはそれ以下。

トヨタすらも軽自動車への参入を表明しましたが、これはもはやクルマ世紀末の様相を呈してます。

この原因はある時期からクルマを売るために「女性に訴えかけるもの」になったことに由来します。

これは同乗する女性向けであったり、女性ドライバー向けだったり。

そもそもクルマは重ステで腕力が必要でした。マニュアルでした。クラッチがあり、踏力がいりました。窓も手動であけました。エアコンはなく、暑い夏は窓をあけ、ウチワをあおいでいました。運転=ガテン系です。体力も筋力もいり、普通の女性は運転どころか免許すらも持っていません。

ところが女性の社会進出、男女雇用機会均等法の施行などの社会変化がこの事態を変化させます。女性も免許をとる必要がでてきたのです。

免許をとった女性をとらえるため、各メーカーがこぞって「母性」に訴えかけるクルマを作り始めました。なぜなら売れるからです。

かくして「売れる」クルマを作るメーカーが急成長し、他メーカーもそれに右ならえしました。そのなれの果てが現在の多様性のない、画一的なクルマどもです。

いわば進化の袋小路に入ってしまった、絶滅寸前の生物のよう。

そしてここでワナに陥ります。というのも「母性」のひとつの特長に「1円でも安いスーパーで買い物をする」という経済理念が働くからです。1円をセーブするために、ガソリン代を100円使うことをいとわない(気にしない)という自己矛盾をはらんでも、それは無視ですが。

2年前ガソリン代が高騰、リッター200円に届こうとしたときに明らかにクルマの利用が減りました。そしてクルマを手放す人も多く出て、燃費が悪い車が売れなくなりました。

クルマは経済性の悪い移動手段としての認識が定着した瞬間でもあります。

ところがここでの問題はクルマが単なる交通手段としかとらえられてないところ。ここに趣味性や嗜好性がまったく評価されていません。なので運転しても面白くなく、苦痛さえ感じるクルマになりさがりました。

そして趣味性や嗜好性が評価されないということはつまり、所有欲が喚起されないということです。つまり買う、手元においておきたいという行動に移らず、かくしてクルマは売れなくなりました。

電車やバスを買いたいと思う人はいません。あれは乗るもの、利用するものだからです。クルマもそうなっちゃったんです。なんで買うのか、こんな面倒くさく、高いものを。

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なぜクルマが売れなくなったか?(本編)父性の復権こそクルマ復活の鍵 ([の] のまのしわざ)

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