さいたまの魅力を再発見:田島ヶ原サクラソウと江戸・東京は誰かに守られている #saitamatour

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さいたま観光資源プレスツアー、最初に訪れたのは特別天然記念物に指定されているさくら草が自生するという「田島ケ原サクラソウ自生地」。若干季節外れということもあり、一面の花というわけにはいきませんでした。最盛期はソメイヨシノが満開の頃ということで、4月上旬がベスト。1週間ほどずれていましたが、それでもかわいい花が開いていました。

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(さくら草)


このサクラソウ自生地、自生しているのはさくらそうだけではありません。その他多種多様な品種が手つかずの自然のなかひっそりと息づいています。

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田島ケ原サクラソウ/さいたま観光コンベンションビューロー

荒川にかかる秋ヶ瀬橋の南側、河川敷に広がる4haの草原で、約100~150万株のサクラソウやノウルシなど約250種の野草が自生しており、国の特別天然記念物に指定されています。

この自生地をささえているのが荒川のヘドロ。

ヘドロ - Wikipedia

ヘドロとは、河川や沼、池や湖、海などの底に沈殿した有機物などを多く含む泥。底質と呼ばれる。河川のヘドロは河川底質(かせんていしつ)とも呼ばれる。ヘドロは屁泥とも書かれることがあるが、語源は定かではない。灰泥(はいどろ)、維泥(いどろ)が訛ったものだとか、神奈川県津久井郡(現在は相模原市の一部)の方言でぬかるみを意味する言葉が語源であるという説もある[1]。 「ヘドロ」という語句は日本語だが、漢字が存在せず、慣習的に片仮名で表記されることがほとんどである。

ヘドロというと私たち昭和世代ではネガティブなイメージですが、栄養豊富な泥と考えるとわかりやすいです。この泥がさくら草など多様な原生種を支えています。

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(ヘドロ)

ちょうど雨ということもあり分かりやすいですが、水を含んだ土がベトベトの泥になっています。いかにも栄養豊富そうな感じ。この湿潤で栄養豊富な土があるからこそさくら草が自生できるのだとか。

このヘドロは川の氾濫によって運ばれてきます。しかし近年のスーパー堤防をはじめとする治水工事のおかげで氾濫の回数は少なくなってきており、人々の生活とさくら草の自生との相反する関係性が見て取れます。

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(さくら草水門)

さくら草自生地のはるか向こうに見える異質な建物。一見宇宙からやってきた知的生命体によるものかと思いますが、これが治水工事の一つのシンボル、水門です。

荒川上流河川事務所 | 事務所の取組み | 荒川の主な施設 | 水門

さくらそう水門は、鴨川が荒川第一調節池をとおり荒川本川に合流する際に、囲繞堤(いぎょうてい・荒川と荒川第一調節地を仕切る堤防)を横断するための水門として設置されました。 この水門の機能には、(1)鴨川の水を荒川本川に合流させる。(2)洪水時には水門を閉じて囲繞堤の役割を果たす。(3)さくらそう水門と昭和水門を操作することにより、調節池完成後もサクラソウ自生地の冠水頻度を以前と同じ割合にする。の3点があります。

いくつかの機能あわせもった水門となっており、サクラソウ自生地への配慮もされています。

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調節池排水門を閉め、調節池としての容量を確保します。昭和水門、さくらそう水門はサクラソウ自生地の冠水頻度を変えないために、洪水初期または小洪水時には開かれています。

水門は通常開かれていますが、護岸工事やスーパー堤防の発達によってそもそも冠水の頻度が下がってきているとの話でした。

人為的な影響といえばもう一つ、このヘドロがみえた遊歩道。

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(遊歩道)

こちらも(当たり前ですが)そもそも存在せず、理由があって整備されたとのこと。しかし人が中を横断する形で往来することで、かなり悪影響が出ているのも事実。そういった「サクラソウ」にとって受難の時代を、「田島ヶ原サクラソウ自生地を守る会」ボランティアの方たちの啓蒙活動と見えない努力によって支えられています。

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「手つかずの大自然」という言い方をよくしますが、このサクラソウ自生地はもはや手をいれないとすぐにでも絶滅してしまうでしょう。もちろん過保護にしてしまうわけにいきませんが、それでも最小限の手助けをすることで健全さを保とうとしています。

こういった自然と人工・人為のとバランスはいつの時代でも難しいものです。特に昨今は環境への意識の高まりにより、大自然への憧れが強くなっています。しかしだからといって「手をいれない」「手つかず」がすべてに勝る価値ではありません。

荒川のスーパー堤防がサクラソウにとってよくない、取り壊してしまえという環境ファシズムがあるやもしれませんが、そもそもこの荒川流域、この地域すべてが人為的な大規模プロジェクトで作られた人工都市であったとしたら。

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江戸時代以前には,利根川・渡良瀬川・荒川は南に流れて東京湾に流入し,鬼怒川・常陸川・小貝川は東南に流路をとって鹿島灘に注いでいました(上の図).徳川幕府は利根川を東に向けるという東遷事業を1500年代末から1600年代前半にかけて行いました.まず中流部において北寄りの河道に一本化し,新川通を開削して渡良瀬川と合流させ,平野を東西に二分する分水界の台地を開削してつくった赤堀川(栗橋,関宿間)により常陸川と連結させました(下の図).

実は江戸時代、東京湾に流れ込んでいた利根川を太平洋に流れるように工事を行っていたのです。この河川のつけかけ事業を「東遷事業」と呼びますが、これに合わせて荒川、江戸川もつけかえ、隅田川が出現したというのです。

この400年近く前に行われた大規模河川事業のおかげで江戸、現在の東京の発展があります。

自然の摂理に挑戦する大規模事業の歪みは、未だに残っています。

スーパー堤防 荒川下流河川事務所

荒川下流域沿いは、ほとんどがゼロメートル地帯※のため、万一荒川の水が堤防を超えて流れ出したら、大災害が予測されます。

そもそも荒川下流域は0メートル地帯。そしてこの東遷事業によって川の水は東へと流れるようになりましたが、ひとたび大雨、氾濫すればその水は本来北から南に標高が下がるのに沿って、南へと進みます。

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利根川の現在の河道は,江戸時代初期から行われた大規模な工事により人為的に東へ向きを変えられていて,自然の地形には従っていません.平野内に流入した氾濫流は,水は低きにつくという自然の理に従い,付替え工事前の自然状態における大利根の流れを再現し,現河道から離れて古利根川・中川沿いに南下しました.氾濫流入量が大量であったため,途中にある中小河川の堤防を次々と破壊しながら流下を続け,19日早朝には東京都内に流入し,江戸川河口から東京湾に排水されました.洪水の流下距離は60kmに達しました.新川通の左岸低地(群馬県側)も同時刻に渡良瀬川の決壊により浸水しましたが,ここでは平野の傾斜している方向が堤防によって閉ざされた状態にあるので,氾濫水が滞留して浸水深は最大6.5mにも達しました.

このように自然の摂理といえば摂理なのですが、いかに私たちの生活が人々の絶えまぬ努力に守られているかがわかります。400年前の東遷事業も江戸を守るために行われたもので、現在のスーパー堤防もその機能を補完する、いわば

江戸補完計画

都市生活者もサクラソウと同じく、誰かに守られてひっそりと生きていけるのです。感謝、感謝です。


【さいたま観光資源プレスツアー他エントリー】

さいたまの魅力を再発見:さいたま市観光資源プレスツアーに行ってきます ([の] のまのしわざ)
さいたまの魅力を再発見:鉄道博物館は日本の鉄道にかける熱意とパワーがみなぎっている #saitamatour ([の] のまのしわざ)


【関連リンク】

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