先週から押井守・岡部いさく著の「戦争のリアル」という本を読んでますけど、文中にて宮崎駿の「風の谷のナウシカ」に関する面白い記述を見つけました。
戦争のリアル Disputationes PAX JAPONICA
押井 守
押井:(中略)一日にT-34戦車を50両撃破したとかさ。そういう話が日本人は大好きなんだよね。岡部:だからドム12機を三分で(笑)
(中略)
押井:そういうふうなことが日本人の心を慰撫するんだよ。でも慰撫してるだけであって何も学ばせようとしてない。
もっと言っちゃうと「(風の谷の)ナウシカ」だってそうなんだよ。巨人神兵ってなんなんだと。早すぎた試作品がウォーってなきながら、結局自壊しておしまいっていう。一同:(笑)
押井:あの男の子の乗ってた戦闘機だってそうだよ。バカガラスを撃墜したかもしれないけど、迎撃戦闘機で重爆を火だるまにしてやるっていう、その発想がダメだって!
一同:(笑)
押井:あれじゃトルメキアに勝てるわけないじゃん。風の谷自体が日本じゃないのかって話だよね。あれこそ農本主義日本。石原莞爾が夢見た世界とどこが違うんだ。でもちゃんと軍隊はある。女も子供も動員するんだっていう。で、戦う女王様なわけだ。同じだよ。卑弥呼のことなんだよ。虫と話すっていう巫女さんだもん。巫女さんを戦闘に立てて、農本主義国家として自衛戦争をするんだ。
だから「ナウシカ」は「ヤマト」よりもある意味ではタチが悪いと思った。一種正当さを装って日本人の心象にピッタリ合うから。「ヤマト」みたいにむき出しの軍事じゃないからタチが悪い。王蟲なんてどう見たってあれは押し寄せるシャーマン(戦車)であり、地を這うB-29(爆撃機)だよ!
一同:(笑)
押井:そして結論は腐海で浄化されるんだっていう話でしょ。だから同じだよね。一回焼け野原になって再出発するんだという。
(第一章 敗戦のトラウマと日本のアニメ - 総論として p.44~p.45より引用)
そしたらちょうど今日TVで放送されてて、この観点から今日放送されたナウシカを見ると、これがもう面白い面白い。これが大ヒットするんだから、まさに日本人の心象をきっちりとらえたアニメ。
押井守監督がいっているのは、ナウシカがいかに「軍国主義」で「日本的な戦争に対する考え方を具現化」していて、しかもそれを環境問題にすりかえて見せているか。だから「タチが悪い」わけです。
風の谷=大日本帝国
であって、女子供、ここではナウシカにあたるがそれが先陣を切って戦う。
押井:そのくらい日本で戦争を描こうとした瞬間、叩き込まれた日本独特の戦争文化、さっき言った「孤立した武闘派」と「個艦優越主義」と、もろもろをひっくるめて言えば、要するに敗者の安逸。それ以外ないんだよ。一同:(笑)
押井:ぜんぜん反省してないよ。女子どもが兵器に乗っているっていう発想自体がすでにそう。その時点で戦争に負けてるじゃん。なぜ女子どもなんだ。まともな発想がなぜでないんだ。(中略)
(「ニューヨーク爆撃」の話)
岡部:一発でも(ニューヨークに)爆弾を落としたいってところがもう、すでに・・・(笑)
押井:結局ルーザーの発想なんです。何を考えてもそっちにいっちゃうんですよ。
(第一章 敗戦のトラウマと日本のアニメ - 総論として p.45より引用)
まあそうして考えると、ナウシカが手負いの子供王蟲を連れてB-29ならぬ王蟲の大群の前に立ちはだかるのなんて、まさに特攻としか思えません・・・
ただこれがウケるわけですから、日本人の心の奥底で、そういうものが好き、支持してしまう民族性があるんですね。
というわけでナウシカを見て、反戦・平和主義、環境保護の映画だと思ったら大間違い。本当は太平洋戦争を賛美し、慰撫する軍国主義映画かも。
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