世界の大きさ

地図から世界の大きさを考えてみる。

一口に「世界」といってみると、どれくらいの範囲を想像するだろうか。多分Google Earthのように地球の大きさ、地球儀のようなイメージがある。全世界を旅するというとその想像の範囲の中を旅することになる。

しかし世界というのはその時代や常識によって大きく左右される。オーストラリアにいけば南北が逆の地図だし、アメリカにいけば大西洋が真ん中にある地図となり、なるほど日本は極東だ。300年前の地図には南極、北極はもちろんオーストラリアや日本すら存在しない。1000年前の地図ともなるとそもそも地球は球ではなく、平板なお盆のような形をしている。外洋の先には大きなイカや竜が棲息していて、危険を伴うことが描かれていた。

さらに時代をさかのぼると、ヨーロッパのみの地図、自分の文明のおよぶ範囲でしか地図は存在しない。つまり地図で描かれる範囲が世界の大きさというわけだ。

ノアの箱船の伝説(史実?)によると、世界はすべて数十日間水に覆われたそうだ。しかしこの時代の世界とは、文明の及ぶ狭い地図の範囲、見渡す限りといっても平野部が水に覆われたに過ぎないことが容易に想像できる。つまり現代でいえば江戸川区くらいとか。水がひいたかどうかというのは、鳩を放して帰ってこない、つまり宿り木を見つけられるかどうかで判断したという。そうすると鳩の航続距離から考えるに数キロからせいぜい数十キロ程度ではないか思う。すべての生き物のつがいを箱船に積んだと言うが、それくらいの洪水の規模であれば、地球から生命が絶えることはなかったろう。

いつの時代でもその当時最先端の科学と文明で理解できる範囲でしか物事を把握、記述することができない。今私たちの地図、Google Earthでは地球が一個しか存在しないが、1000年のたつと太陽系がすべてすっぽりと収まって、火星や木星をブラウズしている可能性だってあるのだ。その時はGoogle Solar Systemとでもいうのだろうか。

さて翻って1年10ヶ月の彼である。彼の世界は

- 家(2F)
- 家(1F)
- 近所の公園(までの道のり)
- 車の中
- 車で行ったところの側
- 電車の中(つつじヶ丘まで)

で語ることが出来る。狭すぎである。車や電車での移動は実質的な移動を伴ってないので、距離感は感じないことであろう。いわば火星や木星のような位置関係である。

海岸を前回みて大興奮するのも無理は無い。彼の世界の常識を超えた場所が出現したからである。どんどんと色々な世界を見せてあげたいと思う今日この頃。